flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大乗院跡と奈良ホテル

2013-03-03 00:00:50 | 木のたてもの

(奈良市高畑町)
 この日は奈良国立博物館の正倉院展内覧会に招待されたため平城入りした。宿泊の手配は大乗院跡に建つ奈良ホテルとなり、夕食はホール三笠でコース「高円」を食して、古都の風情を感じた。
  観覧後に振舞われたぜんざい 
 今回の展示は、工芸である螺鈿紫壇の琵琶や瑠璃杯のほか、近年発見された最古の戸籍とされる御野国山方郡三井田里(美濃国山県郡三田洞)の戸籍、初陳列の信者を僧侶へ推薦するという文書「優婆塞貢進文」などがあった。

 大乗院は寛治元年(1081)藤原政兼の子で僧となった隆禅が、現在の奈良県庁付近に興福寺の門跡寺院(皇族・貴族が住職を務める寺院)として創建したのが始まりという。治承四年(1180)平重衡(たいらのしげひら)の南都焼討によって現在の跡地に移転した。然し、宝徳三年(1451)の徳政一揆(民衆の政治的要求活動)により焼失している。その翌年、一条兼良の子、尋尊が再興し、足利義政の命を受けた善阿弥により作庭が始められた。
 国指定名勝 大乗院庭園
 大乗院庭園と奈良ホテル       
 明治時代に入ると九条尚忠の子、隆芳が華族松園尚嘉となって大乗院は売却された。そのため敷地は飛鳥小学校、奈良ホテルとなった。
  
        
 興福寺五重塔を眺めながらの朝食
   
 奈良ホテルは都ホテル創始者の西村仁兵衛、奈良県、鉄道院によって、明治42年(1909)に開業した、総檜造二階建ての宿泊施設であり、設計は建築家の辰野金吾、片岡安である。当初の宿泊者原則は、高等官または資本金一定額以上の会社重役であるとし、また、外国王族の国賓、皇族などの宿泊が多いため、高級調度品・食器の使用、セントラルヒーティングの導入、上村松園、川合玉堂、前田青邨、横山大観などの画家に館内を飾る絵画を依頼し、迎賓館に準じた調度や設備となっている。


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