flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

城北線

2014-08-10 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(東海交通事業)
 名古屋市北西部を全線立体交差で複線重軌条という甲線規格並みの線路を走りながら、ワンマンディーゼル車一両が一時間に一本という状態の路線がある。元々は国鉄瀬戸線として、岡多線瀬戸市―中央線高蔵寺―勝川―東海道線稲沢及び枇杷島を結ぶ路線として計画されたものの一部であり、主に貨物線として機能する予定の路線であった。名古屋駅に程近い、笹島貨物駅及び後に移転した名古屋貨物ターミナルは、東海道線大阪方面からは直接進入できる構造となっているが、東海道線及び中央線東京方面からは稲沢駅でスイッチバックをしてからターミナルに向かうという不都合があったため、それを解消するべく、東海道線用の南方貨物線は昭和42年(1967)、中央線用の瀬戸線は昭和51年(1976)に建設が開始された。然し、建設費が莫大であるのに貨物輸送から道路輸送に次第にシフトし始めたことで計画が見直され、瀬戸線小田井―稲沢間は凍結。瀬戸市―高蔵寺間は、当初の岡崎―瀬戸市―多治見間を結ぶ計画であった岡多線の瀬戸市―多治見間を凍結して、瀬戸市―高蔵寺間を編入する形で岡多線の受け皿となった第三セクター愛知環状鉄道として開業し、勝川―枇杷島間は名古屋環状線(城北線)として整備されることとなった。また、城北線の第一種鉄道事業者はJR東海ながら、建設が日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)であり、貸損料対策及び建設費償還の別立運賃等のため、運行を子会社の東海交通事業に委託している。そのため、中央線勝川駅接続及び名古屋貨物ターミナルのある西名古屋港線(あおなみ線)の相互乗り入れができない状態が続いている。
  
  
 瀬戸線との分岐予定だったオーバークロス地点

      小田井付近  中央線接続準備地点

(関連記事:枇杷島駅 勝川駅 南方貨物線 あおなみ線


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