(大垣市墨俣町)
「一夜城」で名の知れた墨俣城だが、歴史については謎に満ちている。
城自体の存在は確かであるが、その場所については、木曽三川の氾濫によって痕跡を絶たれ、推定の域となっている。
また、築城の経緯も稲葉山城斎藤氏を攻めるための拠点として織田信長臣木下藤吉郎、蜂須賀小六らによってこの地に築かれたことが通説となっているが、より稲葉山に近く同じ一夜城説のある葉栗伏屋城と唱える説もある。
主に「前田家文書永禄墨俣記」によって長良川、犀川に沿ったこの地であるとされ、平成3年に建てられた模擬天守内にある歴史資料館には、その文書に添った歴史紹介をしている。
何れにせよ、木曽三川の交わっていたこの辺りが、美濃、尾張、伊勢に関わる重要な位置にあったことは間違いない。
(関連記事:美濃路墨俣宿)
「一夜城」で名の知れた墨俣城だが、歴史については謎に満ちている。
城自体の存在は確かであるが、その場所については、木曽三川の氾濫によって痕跡を絶たれ、推定の域となっている。
また、築城の経緯も稲葉山城斎藤氏を攻めるための拠点として織田信長臣木下藤吉郎、蜂須賀小六らによってこの地に築かれたことが通説となっているが、より稲葉山に近く同じ一夜城説のある葉栗伏屋城と唱える説もある。
主に「前田家文書永禄墨俣記」によって長良川、犀川に沿ったこの地であるとされ、平成3年に建てられた模擬天守内にある歴史資料館には、その文書に添った歴史紹介をしている。
何れにせよ、木曽三川の交わっていたこの辺りが、美濃、尾張、伊勢に関わる重要な位置にあったことは間違いない。
(関連記事:美濃路墨俣宿)
川沿いは風通しがよくて、寒いですよね。
バルタンさんのふるさとの一つ、有松ですか。
残念でしたね、でも今日絞り祭りだったのですね。
お忙しいので、ご近所の長良の街をバチバチ撮ってください。
風が冷たく、凍えた手でシャッターを押した記憶が蘇ります。
今日は有松絞り祭り、仕事がなかったら行きたかったのですが?
昼から打ち合わせで、断念。
なかなか撮影のために時間をとることが出来ません。
長い道のりです。