(熊本市古京町 県指定文化財)
熊本城二の丸跡から三の丸跡に建つ、細川刑部(ぎょうぶ)邸に向かった。この地は武家屋敷の一角であるが、市内東子飼町に存在した建坪約三百坪の同邸宅を、ふるさとづくり特別対策事業によって平成5年に移築したものである。
細川刑部家は、熊本初代藩主細川忠利の弟である興孝をもって初代とした分家で、子飼細川家とも呼ばれる。
熊本城二の丸跡から三の丸跡に建つ、細川刑部(ぎょうぶ)邸に向かった。この地は武家屋敷の一角であるが、市内東子飼町に存在した建坪約三百坪の同邸宅を、ふるさとづくり特別対策事業によって平成5年に移築したものである。
細川刑部家は、熊本初代藩主細川忠利の弟である興孝をもって初代とした分家で、子飼細川家とも呼ばれる。