【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月27日(土)より転載】
【革心50】
山本伸一は、梅園新村記念館を見学しながら、妻の峯子に言った。
「中国の改革のために奔走された周総理と頴超先生が、一緒に過ごされた時間は、世間一般の夫婦と比べれば、決して長くはなかったはずだ。しかし、互いに、深い愛情と尊敬、信頼で結ばれていたと言われている。それは、お二人が、“夫婦”というだけでなく、“同志”の絆に結ばれていたからだろうね」
“夫婦”も、相手を見つめ合うだけの関係であれば、その世界は狭く、互いの向上も、前進も乏しい。しかし、二人が共通の理想、目的をもち、共に同じ方向を向いて進んでいく“同志”の関係にあるならば、切磋琢磨し、励まし合いながら、向上、前進していくことができる。
夫婦愛、そして同志愛に結ばれた夫婦の絆ほど、強く、美しいものはない。
周恩来・頴超夫妻の間には、「八互原則」があったという。
一、互愛(互いに愛し合う)
二、互敬(互いに尊敬し合う)
三、互勉(互いに励ましあう)
四、互慰(互いに慰め合う)
五、互譲(互いに譲り合う)
六、互諒(互いに諒解し合う)
七、互助(互いに助け合う)
八、互学(互いに学び合う)
夫妻は、常に、この精神に立ち返って、愛と信頼の絆を、より強く結び合いながら、新中国の建設をめざしてきたのであろう。
峯子は、伸一を見て言った。
「頴超先生にお会いしたら、お伺いしたいことが、たくさんありますね」
続いて訪中団一行が訪れたのは、南京東部郊外の紫金山であった。ここは、孫文の墓所「中山陵」があることで有名だが、まず伸一たちが訪れたのは、中日友好協会の廖承志会長の両親であり、孫文や周恩来らと共に新しい中国の建設のために戦った、廖仲・何香凝夫妻の墓所「廖陵」であった。
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