和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心49/小説「新・人間革命」

2015年06月26日 07時07分47秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月26日(金)より転載】

【革心49】

 頴超の母・楊振徳は、一九四〇年(昭和十五年)十一月、病のため、六十五歳で世を去る。身なりも質素で、清貧に甘んじ、雑草のごとく強く、いかなる迫害にも屈することのない、気高き信念の生涯であった。

 彼女は、娘にこう語ってきた。

 「人は周夫人と言ってきっと大事にしてくれるわ」「でもあなたは一生懸命学んで、努力して、周夫人としてではなく、穎超として尊敬される人になりなさい」(注1=2面)

 独立した人間であれ――それが、母の教えであった。

 頴超が悲しみの淵に突き落とされた時にも、泣いても何も変わらないのだから、歯を食いしばってでも頑張るようにと、励ました。

 母親は、人生で最初の教師であり、娘にとっては、生き方の範を示す先輩である。

 フランスの作家アンドレ・モーロワは言う。

 「数々の失敗や不幸にもかかわらず、人生に対する信頼を最後まで持ちつづける楽天家は、しばしばよき母親の手で育てられた人々である」(注2=同)
  



 第二次国共合作のあとも、国民党には反共的な考えが根強く、共産党との対立が続いていた。周恩来、頴超にも、常に監視の目が光り、脅迫なども日常茶飯事であった。

 安徽省では、国民党軍が共産党軍を襲撃する事件も起こった。しかし、周恩来たちは、いきり立つ同志に、今は団結して抗日の戦いを進めることを懸命に説いた。

 四五年(同二十年)、日本の無条件降伏によって中国の対日戦争は終わる。ところが、それは新たな国共の内戦の始まりであった。

 周恩来と頴超は、梅園新村を事務所、宿舎として、国民党との和平交渉を行った。だが、和平はならず、内戦は激化し、悲惨な全面戦争となっていった。

 そして、共産党が国民党を制圧し、四九年(同二十四年)十月、中華人民共和国が成立するのである。一方、国民党の蒋介石は、台湾へ移っていった。



■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注1・2・3・4西園寺一晃著『頴超』潮出版社
 主な参考文献
 西園寺一晃著『頴超』潮出版社
  『人民の母ーー頴超』高橋強・水上弘子・周恩来 頴超研究会編著、白帝社
 ハン・スーイン著『長兄ーー周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社
 サンケイ新聞社著 『蒋介石秘録』 サンケイ出版


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡




最新の画像もっと見る

コメントを投稿