和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心45/小説「新・人間革命」

2015年06月22日 06時56分57秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月22日(月)より転載】

【革心45】

 孫文亡きあと、国民党に亀裂が走る。共産党を敵視する右派によって、孫文の遺志を継いで国共合作を推進してきた、国民党左派の中心であった廖仲が暗殺された。彼は、中日友好協会の会長となる廖承志の父親である。

 頴超は、廖仲の夫人・何香凝を支え続け、夫人が推進してきた女性解放運動を大きく発展させていった。

 当時の中国には、南の広州に国民政府があり、北の北京に軍閥の政府があった。国民革命軍は北伐を開始した。周恩来は列強支配の中心地・上海に潜み、共産党の地下組織を指揮し、労働者を蜂起させる。制圧した上海に、蒋介石率いる国民革命軍が到着する。

 この上海で、国民党右派の蒋介石らは、反共クーデターを起こす。共産党員を次々と捕らえ、殺害していった。また、北伐の伸展にともない、国民党左派の主導で移された武漢政府に対して、蒋介石は南京に政府を樹立。国共合作にピリオドが打たれた。

 共産党への弾圧は激しさを増し、周恩来には、多額の懸賞金が懸けられた。広州にいた穎超の身も危険にさらされた。彼女は、母の楊振徳と共に変装して広州を脱出し、周恩来が身を潜めている上海へ向かった。

 上海で夫妻は再会できたものの、周恩来は、共産党の再建に奔走し、ほとんど一緒に過ごすことはなかった。

 一九二七年(昭和二年)八月、共産党は、周恩来の指揮のもと、南昌で蜂起する。だが、何倍もの力をもつ蒋介石軍の激しい追撃を受け、広東へ南下していった。

 周恩来は、この時、マラリアによる高熱で苦しみ、三日間も昏睡状態に陥っている。ようやく一命を取り留めて上海に戻るが、夫妻は、五年間にわたって地下活動を展開しなければならなかった。その間、多くの同志が殺されていった。裏切りにもあった。それでも、二人は、闘争を続けた。

 苦渋の忍耐の日々にあっても、一歩も引かず、赤々と闘魂を燃やし続ける人こそが勝利者であり、そこに、目的の成就もある。


■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注1・2・3・4西園寺一晃著『頴超』潮出版社
 主な参考文献
 西園寺一晃著『頴超』潮出版社
  『人民の母ーー頴超』高橋強・水上弘子・周恩来 頴超研究会編著、白帝社
 ハン・スーイン著『長兄ーー周恩来の生涯』川口洋・美樹子訳、新潮社
 サンケイ新聞社著 『蒋介石秘録』 サンケイ出版


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