千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

博多・・・・

本日2回目の投稿です。こちらはちょこっとお勉強編です。

久々に静岡から古ノ一山笠参加組のK・Fとのやり取り・・

ここ数年博多祇園山笠に参加しとらんでやりとりもなかったばってんが今回久々LINEで繋がりました。

ネットでこのブログ見て「山笠に参加したい」て言うて来て
「ならとりあえず博多に来い」て言うておいしゃんちに泊めて
酒飲んで人となりば見ておいしゃん預かりで古ノ一から参加するごとなって
「櫛田入」も務めた男です。

見ず知らずの男ば自宅に泊めるて驚いとったばってんが
そこは博多のおいしゃんやけん、いっつもはら割って酒飲んでみらな人はわからんが信条やけん。

話違うばってんがくさ安倍総理夫人の昭江さんも同じらしい。
あの方大酒のみらしかですね。
おいシャンと似たとこのあるけんあの人の言い分は信憑性があるて思うとです。
籠池さん一家はキャラクターの強すぎて今時のマスメディアには格好の
突っ込みどころ満載ですけんダーティーのイメージは免れまっせんね。

話戻します・・・・

何おもうたか?K・Fここ数年山にでてこんですもん。

「地元や無かけん・・」

そのくせこそっと博多に来ておいしゃんとこには顔も見せんかったですもん。
色々思うことのあったっちゃろう・・
そいけんて別に構わんです。
博多は3日住んだら博多んもん、皆大きな顔しとりますもん。

東京の「三代続かないと江戸ッ子じゃない」の風潮は博多には通用しまっせんもん。
新しかもん好き・・はたまた古(いにしえ)の昔から大陸との玄関口です。
東京以上に(半島・大陸含めて)色々な人の集まっとりますもんね。
それが博多です。

そいけんK・Fにもいつでも大手振って博多に帰って来いて言うとります。
今年は山に参加するかどうかはわからんばってんがおいしゃんとの約束通り
嫁連れて来るそうやけん皆で水掛けてやりまっしょうや・・

今日K・Fからあらためて「博多」の位置、博多弁やら聞いてきたけんちょこっと
今回は専門的に「博多」の意味の蘊蓄ば今書いてみます。


これ見て下さい・・
古くは日本の最古参の「クニ」「奴国」があったとこ。
「魏志倭人伝」でも「カンノワノナノコクオウ」て言うほど日本の代表的な集落国家です。
魏(中国)の王朝から倭国(日本)の那国ば王て認めるて言うとが「金印」です。

当時からかいつからか?この地形が鳥が羽根ば広げたようで(どっから見たか?)
羽型から「博多」の呼称が始まって言われます。

この地図でわかるごと西の「伊都国」と東は宗像の間の海岸線の部分が「博多」
那国の海外との接触点として栄えた場所が「博多」であります。
日本で唯一の大陸(海外)との交易港として栄えた港町&商業都市が「博多」です。

その地の利ば時の政権は取り合いします。
古くは「平清盛」時代から始まります。鎌倉時代もずっと・・・・
どんたく(松囃子)の起源は博多の町ば割り振りし住みやすうした
平氏に恩義ば感じて始まったて言われます。
現「御笠川(旧石堂川)」は川の氾濫ば食いとめる目的で平清盛時代から手掛けて
延々黒田の時代に完結した人工川です。
その恩義もあっての「松囃子」の起こりです・・

博多は地の利もあって歴史上、幾多の戦場になっております。

やっとそれが落ち着いたとが1,600年の関ヶ原の戦い・・
恩賞ば受けた「黒田長政」が博多の地ば納めるごとなりました。

長政の父「官兵衛」のゆかりの地、岡山の出身地の「福岡」ば博多に持ち込みました。
それまで自治都市、商業の町「博多」は黒田家の「福岡」に吸収されます。

福岡の一部、那珂川から東部が博多、西部は福岡と色分けされますったい。
そんでも歴史上は博多の方が長かけん松囃子やら山笠は福岡黒田家に
お伺い立てながらやって来た歴史のありすます。

その頃から福岡・博多の色分けの出けて来て那珂川以東は博多て言うことで
櫛田神社の氏子の範囲ば「博多部」ていうごとなっとります。

現在は行政区割りで「博多区」てなっとりますばってんが
博多原住民なお櫛田さんの氏子て言う範囲やけんややこらしかですぅ~
こげは蘊蓄で良ござっしょうかいな?

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