おいしゃんが料理に興味ば持ったとは、そう小学校の頃やったです。
おいしゃんちは商家やったけんおふくろもそうそうかまうてくれん家やったです。家には住み込みの従業員がおって食事は皆揃うて台所で同じ食事する仕来りやったです。久美ちゃんて言う内所の世話するお手伝いさんが掃除やら食事の一切合切の世話してくれよりました。食事の内容も質素でお昼はおからや一汁一菜、その昔は、炊き立てのご飯は美味しかけんいっぱい食べるけん、ご飯は炊いた後、酢ばまぶしていつも冷ご飯。叔母さんは「炊き立てのご飯がたべたかった~」て後に聞いたほど。
お江戸小説のごと家族と使用人が別々の食事ほどは無うて皆一緒の食卓やった。おふくろはいつも仕事で忙しかったけんおいしゃんな賄いの久美ちゃんにいつも引っ付き回って過ごしよりました(^^♪久美ちゃんにおたまでカルメ焼きの作り方襲えて貰うたとも楽しか思ひ出です。お玉に砂糖入れて火にあぶり溶けたところで重曹入れたらぷ~っと膨らみます。膨らんだところで水で冷やせばでけ上がり。
炊事場でビー玉ば焼いて水につけてひび割れたガラス細工作りやら、鉛ば溶かして細工してお遊ぶとも久美ちゃんは横で笑うて見てくれよりました(^^♪忙しかおふくろに頼まれて久美ちゃんに妹の誕生日に「リカちゃん人形買うて来て」て頼まれた久美ちゃん、「奥さんそげなとは私わかりません(>_<)」
その頃から常備菜作りは常で「高菜の油いため」も・・作って見たいって言うおいしゃんに「今、高菜は無かよ~」って久美ちゃんに言われ葱で作ってんろう、試したは良かばってんが鍋に火が移って燃え上がりおろろいた記憶も、今で言うフランベやったとですね。そげんして料理のコツば少しずつ習うて育ちました。学校が半ドン(半分どんたくが由来)の土曜の午後は久美ちゃんが作ってくれる焼きめしが楽しみでそれ食べながら「吉本新喜劇」見よりました(^^♪あとで聞いたとばってんがあの色のつた焼きめし、「醤油ば垂らしただけやったとよ~」って後になるほどって思いましやね。久美ちゃんの焼きめしは美味しかった・・・・
後におふくろが家族だけの食卓ば過ごしたいって思いで中庭に炊事場こさえて家族だけで食事するごとなったばってんがおふくろは料理はそげん上手ではありませんかった(^^♪その頃には久美ちゃんもうちから嫁に出て行ったとです。その後、旦那さんば亡くして再びうちに働きに来た時は子連れでそれが今のヒサシ(寝たろう)です(^^♪
その頃、高度成長期で巷ではインスタントラーメンが大流行り、おふくろは年越しそばの替わりにインスタントラーメンにしたほどです。その頃食べたとが「これだ」やら「ちび六」今食べたら美味いもんやないですけどね。チキンラーメン、カップヌードルが未だに人気なのはやっぱり味ですね!当時はまだ博多でも今ほど豚骨ラーメンが有名な時代や無うてインスタントラーメンにも豚骨はありませんでした、その頃おいしゃんが考えたとが画期的な「冷しラーメン」ですたい!湯がいた麺ば冷やして冷水で溶いたスープに漬けて食べたらこれがまずい(>_<)・・そげな試行錯誤しよりました、今考えたらラーメンの麺ば蕎麦つゆで食べたら{ソラーメン}美味いって考えもせんかったですもん。
日々精進して試行錯誤したとが「焼きめし」ですったい、これには20年かかりましたやね、結局は火加減、中華鍋手に入れてやっと完成です。人生いろいろ、息子の弁当毎日作ったりゆらりんで試行錯誤したりして今に至ります。今じゃ出汁からスープから本格的な料理も作ることがでけるごとなりましたばってんがこの歳になって一緒にたべてくれる人がおらんとが寂しかですね。
そいげなおいしゃん、商家の大家族では無うなったばってんが一人料理ば楽しんどります。
手作りいなりと揚げ丸天うどんの午餐です。
時々無性に食べとうなる「日田焼きそば」・・・・
汁と具の割合がまだ作り方が完ぺきではない「親子丼」
誰か一緒に「食は人の天なり」ば一緒に楽しんでもらえる人の居らんかいな?
アイゴ~アイゴ~(^^♪