ありよります。
「誓文拂」と書いて「せいもんばらい」と読みます。「誓文(せいもん)」とは今でいう誓約書のようなもので「誓文拂(せいもんばらい)」の由来は江戸時代、京都の商人や遊女が陰暦10月20日に四条京極の悪王寺神社に参拝して日頃商売上のかけ引きで嘘をついた、すなわち「誓文」を破った罪を祓(はら)って神罰を免れようとした習わしです。「誓文拂」の習わしにちなんで当時の呉服屋が陰暦10月15日から20日まで特別の安売りを始めたのが後々「誓文拂」という大安売りの販売会として全国に広がりました。
・・・・神戸元町のせいもんばらいのページより抜粋
せいもんばらいて各地にあるとですね
中学生の頃は川端通りが賑やかしゅうなって
なんかしら、出てそうつかな損のごとあって、
買うもん無いくせにうきうき出かけて
100円のセーターやら、Gパンば買うた覚えのあります。
そのころの川端商店街の人出は凄かった。
「年に一度のだ~いせ~いも~ん」
てテープが流れて、今の飾り山見物より
人通りの多かった気のします。
夜、街中(まちなか)に出られるだけで
楽しかった頃・・・
当時は今のごと、中学生が夜の街
そうついて歩くことは無かったです。
それが今や12時近くに、ましてや制服のまま
コンビニの外で、地べたに座り込んで
カップ麺食べよる時代です。
家庭での食卓のだんらんもないとでしょうね?
そのころ・・
ドンタクも今より賑やかで参加型でした。
今は「昔、綺麗どころ」の姉さん方たちが
芸ば披露したり、子供達のバトンやらダンスば
披露したりの宴舞台ですばってんが
昔は、「コーラ早飲み競争」やらあって
商品目当てに何回も列に並んだものです。
せいもん払いが終わると一気に暮れが近づいてきます。
「そろそろできるとこから掃除ばし始めろうか」
やらいう気になってきます。
昔の方が同じ時期でもかなり寒かったような記憶があるとは
私だけでしょうか?
相撲の頃はかなり寒くて木枯らしが
吹きよったような気がします。
相撲て言うたら須崎の相撲部屋の「大潮」が
場所中に誕生日ば迎えるけん、
毎年、その日に魚屋の大将が「鯛」ば
部屋に届けよったとば思い出しました。
家の前ば朝早ぅカランコロンて
浴衣一枚で風呂敷手に若い力士が
場所に歩いていきよりました。
手荷物は風呂敷の中の、「まわし」だけ
寒そうやったです。
家にも時々相撲が遊びに来よりました。
関取についてきた若い付き人が酔っ払って
うちの女性の従業員に悪さして
今で言うセクハラでしょうか?
その若い衆、破門になったです。
「轟」て言うしこ名やったと記憶しとります。
ちなみに現役力士「普天王」の
ブログ日記はこちら
力士もネット時代ですバイ
本当にこのごろは「ぬっか」
朝夕は結構冷え込みますが、昼間は結構
まだ暑かったりします。
例年、相撲の頃にあがってくる海岸ばたの
イカも今年はまだ上がらんごたぁですね。
毎年今頃はお年寄りが海岸の朝の散歩で
イカば拾うて来よります。
このイカはさばいて三日ぐらい冷蔵庫に
入れとったら柔くて、味も廻って
食べごろになるげなです。
そう言やぶりも正月用に買うても
三日ぐらい置いたほうが刺身にはようなります。
人間も年取って、腐りかけたほうが
味のでるとです。
おいしゃんも
そろそろ美味しゅうなりよります
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