千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

戦国歴史ロマンに思う・・

相変わらずNHKの大河「どうする家康」はあんまりピンときませんね・・
キャスティングでしょうか?
煮え切らん家康ばってんが当時は本当にそげんやったかも?
一向一揆で「本多正信」に裏切られるし・・・・
ばってんが心配せんでちゃこの人、後に「井伊直政」やらとともに側近の位置に使えます。
後の有力武将です。
ネタばれやけどここの一向一揆の坊さんは後に左遷され地方に移封されますよ・・

「井伊家」は女城主でも大河に登場しましたばってんが
徳川家では末代まで君臨しますね。
「桜田門の変」は有名なお話でドラマにもなりました。
正信は策略・軍師的な役割ば担います。
一方武闘派の「本多忠勝」は一遍も負けたことのない武将。
この正信と忠勝は親戚筋です。
戦国時代の徳川家のイケイケの時代の頼れる武将たちです。

今回注目は「服部半蔵」です。
早い時期から登場してちょっと頼りない忍者の棟梁役です。
服部半蔵て言うたら「忍者ハットリ君」のイメージばってんが
実は伊賀の出やばってんが忍者やありません。
父の反対押し切ってこの時代燻っとった忍者から抜けて
家康のもとに仕官して武将になった人です。
歴史的には「本能寺の変」で家康が京都から伊賀越えで
逃げ出すときに地の利ば発揮して案内して家康ば助けたとが有名ですね。
昔の伊賀忍者衆の手ば借りたて言います。

さてさて今回の歴史ロマン・・・・
嘘か本当か?おいしゃんが今まで読んだ小説でいちばん
面白かった本能寺の筋書きです(^^♪

実は本能寺の変は秀吉が暗に光秀ばそそのかしてやらせって説!
それが備中からわずか10日での大返しばなしえたって言うお話。
秀吉は事前に本能寺から地下の抜け穴ば掘っとって
信長にも「もしもの時は・・」って話しとったらしい・・

計画は実行され歴史の通り本能寺の変は起こりましたばってんが
信長はこのぬけ道で逃げ出します・・・・・・
ところが実際には秀吉の手によってこの抜け道は途中でふさがれとって
信長は窒息死(今で言う一酸化炭素中毒死)・・・
後に秀吉が遺体ば見つけ壮大な葬儀ば催す予定やったはずが
信長の遺体は見つからずじまいで秀吉は苦肉の策で信長の木像ば
棺に納め葬儀ば行いました。
なら誰が遺体ばもちさったとか?
すべての計画ば密かに聞かされとった家康が信長の弟(血は繋がっとらん)に
密かに知らせて持ち去らわせたって説。
この弟は、本能寺から数キロ離れた所の清玉上人て言う住職
阿弥陀寺の住職てされとります。
清玉上人は密かに阿弥陀寺の無縁仏の墓地に埋葬しました。
一方京におった家康はこの変から逃げ出すべく算段します。
「穴山梅雪」の案内で伊賀越えばするばってんが
梅雪は途中から別行動し挙句は光秀の追っ手に捕まり討ち死にしたてされとります。
ここで活躍するとが「服部半蔵」です。
行く手行く手ば伊賀の忍者衆に道の確保して家康は
命からがら逃げおおせてます。

家康ていうたらこの時だけや無うて幾度となく
「もうダメ」って言う修羅場ば経験しとりますもんね。
最後の最後まで「大坂の陣」で真田幸村から目前まで迫られましたけんね・・

この「家康」はしたたかな面も持っとったけど
幾度とない失敗で学んだとでしょうね・・・
それと強運と忍耐の持ち主です。
「鳴くまで待とう」には信長にもいっぱい鬱憤もっとったはずです。
嫁と長男ば信長の命で殺したくらいやけん・・
秀頼に自分の孫(千姫)ば嫁がせたとぃその城ば攻めるようなこともしてます。
非常な面も持ってますが一番は配下に恵まれたことでしょうね・・
秀吉によって武蔵の国に追いやられてもその配下たちは
後の大都会(お江戸)の町ば作り上げます・・・・
湿地帯やった場所で「江(川)」の「入口(戸)の名の由来のごと
川がいっぱいあった土地ば利用して町ば作り上げたとですね~~

話は違いますばってんが日本全国の地名はみんな
その地の歴史ば表しとります。
その地名から歴史が伺えます。
福岡でいうたら黒田藩の時代からの「大名」「舞鶴」は博多の歴史では最近のお話。
そのすぐ隣にある「警固」・・・・
これはもっともっと古(いにしえ)の大陸から倭国ば守る
警固(けいご)所があったとが所以です。

東京でちゃよく聞く地名も昔の江戸の町の名残ば残した
地名が一杯ですもんね。

歴史はやっぱり面白い・・
真実がわからんだけに「if(もし)」のロマンが生まれます。
中世以後は文字の資料で歴史が判明されますばってんが
考古学の世界では近代的な科学の手によって歴史が覆されようとしています。
これは絶対事実ですもんね。
古墳や山城もレーダーで地形ば読み取って判明するとにはびっくりです!

それにしても昔からその専門分野で秀でた人がおったんですね。
今で言うたら天才です。
古墳作った人やら天文学の知識、その時代で外国語しゃべりきる人・・
特に今で言う「数学者」が江戸時代の平民にいっぱい居って
算術比べしよったて言いますけんね・・・・

トップにたった家康も秀でた人の一人やったでしょうばってんが
日本はそれぞれの分野での「天才」がいっぱい居って
歴史が作られたってことです。
「葛飾北斎」に代表される文化人はじめ陶工、大工等・・・・

それに比べおいしゃんは我が国になんの利益ももたらしとりません(>_<)
ばってんが人の99%はそげな平々凡々の人たちやもんね・・
なんもせんで一生幸せに生きて死んでいく人のうえには
飢饉や疫病・戦争やらで尊い命ば亡くした人が数え切れんくらい・・
人の人生ってなんでこげん不公平っちゃろう?

100歳まで生きる人あれば事故や病気。虐待・戦争でわずか数年しか
生きられんやった命・・・・
神様がおるならなんと残酷な神様やろう?って思いますね・・

なんなんやろう?
けど世界中、信心でこの世界の文化文明が培われたとは否めませんもんね・・

そいけんおいしゃんこの歳になって

浜宮さんに毎日おすがりしとります・・・・・

「宝くじ当たりますようにって!」

やっぱ俗っぽいおいしゃんです(^^♪

話はそれたばってんが調べれば調べるほど歴史って面白かですよ~~

つけたしのごと今回もチャンチャン!

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