千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

ちょっと前の山笠

山笠終って、久々に大黒流総合サイトば見よりました。

その中で2015年(平成27年)10月12日
サイト立ち上げ10周年企画として「大黒流総合サイト 10周年記念座談会」ば
しました。こちらから

この企画は昭和30年代初めに生まれたおいしゃん達が
昔の山笠について語り合うて言う企画です。

昔は本当におおらかな山やった。
見てんなざっせ







今じゃこげな風景は絶対見られませんもんね。
一枚目昭和50年、なんと山台の中に子供が入っとります。
誰も今のごと地下足袋やら履いとらんでズックです。
他流舁では〆込みに小銭忍ばせてお櫛田さんで買い食いして
全コース一緒に前走りすることはありませんでした。

二枚目は昭和44年の集団山見せ、古ノ一当番町。
真ん中大人は当時の「坂赤手拭」あとは子供ばっかり。
子供乗り放題、一番左は梅月堂の智ちゃんその隣が対馬小路の小西
鼻どりで遊ぶ子供はすノ二の阿部の隆ちゃんです。

三枚目は昭和42年、すノ三の山川浩の顔も見えます。

このころは参加者も少のうて山笠受難時代。


これは昭和43年の追山馴し 当番町対馬小路(現つノ一)
舁手の少なさにびっくりしましょう?
今のごと台廻り切らんだっちゃ誰もおりません。
法被は「大黒」の統一法被の時代です。


これは昭和31年、旧電車通り(明治通り)ばわたる山笠。
ベニヤ板に描いた大黒さんの顔が飾りです。


これは昭和33年 流舁 当番妙楽寺(現古ノ一)、飾りは人形やのうて「お宮」です。


これは昭和39年 町総代 当番中つ(現古ノ一)記念撮影。
このころから人形が乗り出します。やっぱ「オッペケペ」ですね。
中つは落石さん、古門戸は篠原さん、妙楽寺は三苫さん、


昭和29年 流舁 当番東下新(現川中)、これも平面大黒様です。
引き出し山です。後ろの飾り山に台の無かとがわかりましょ?

座談会でも出た話やばってんが・・
マスコミの中継やらで段々山笠が盛んになる一方で、
祭りに(追山に向けた)「真剣勝負」の色が濃くなって、
昔のようなおおらかさが薄れたごとなって今に至ります。

ばってん山笠は時代時代に合わせて祭りば継承するために
いろいろ工夫して続けて来とります。
追山やら櫛田入のスピード化は山笠ば宣伝するマスコミによって
あおられて来とります。

大黒流は一貫しておんなじような全コースタイム30分前後(27分台も過去にあり)
ばってんが他の流がどんどん早うなって来とりますもんね。

今日はちょこっと昔のおおらかな時代ば振り返ってみました。
写真は「大黒流総合サイト」所有の写真ばお借りしました。

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