千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

お代官様・・お前も悪よのう

昨夜はアガペのいただきもので豪華な夕食。

野菜いっぱいのスパサラに野菜サラダ、切り干し大根
手羽元の煮物、キノコの煮物にメロンのデザートと健康的。
感謝です!(^^♪
おかずだけでおなか一杯なほどのとい
どうしてもご飯が食べとぅなる・・・これがいかんっちゃね・・

昨日は第7期給付金に伴う福岡市の家賃給付金の申請ば・・
めっちゃ面倒くさか~、これってちょっと普通の人は判らんめぇ
お役所のすることはいつも堅苦しかですね。
これって担当部署に文句言うてもらちが明きません。
決まったことするとがお役人ですけんね。

さて今日は昔のお役人で一番メジャーな「お代官様」


「越後屋、お前も悪よのう・・クックッ」のイメージですが・・

名前の通り江戸時代以前は各地方の領主の「代理」ば務めよりました。
て言うとも信長は家来たちは常に城下に住まわせたけんです。
「国家老」はトップの権力ば持っとるばってんがあくまで
「お家」の役職です。
代官はいまでいう「県知事さん」かな?
江戸時代は幕府の役人(いわば公務員)に代わります。
各地方に陣屋(代官所)ばおいてそこで政務ばこなしておりました。
似たとに「番所」がありますがこれはいわば現代の警察に似とります。
お江戸ではこの「番所」の役割ばするとは「町奉行」です。
現代の町交番にあたるとが「自身番」警察官やのうて庶民が務めてます。

さて、このお代官様、意外と薄給やったらしいです。
ある代官の家禄(給料)は200俵で、それば換金したら85両ほどらしい。
これに加えて、59人扶持の役料(手当)として590両が支給されます。
ここが江戸時代の武家社会独特で階級によって家来、使用人ば何人
雇わないかんてなっとりますもんね。
て言うともいざ合戦ていうときはいつも兵力ば揃えとかないかんけん。
それが太平天国の江戸時代にもその制度が残っとったとです。
「何人扶持」て言うとは給料とは別に家来たちの食い扶持です。
それでも赤字やったらしい・・・・
※江戸時代の給料がお米て言うとには訳があります。
お米は長く置くと腐るけん大量に財産として残せんとが一つ
また常に災害時用に米ば備蓄しとかないかんかったけんです。


そこで「お代官様」はどうやって私腹を肥やしよったか?ですね。
意外と公的な制度のあって幕府から30000両位ば預けられとって
地元の豪商たちに年1割で貸し付けよったげな。
いまでいえば政府系金融公庫ですね。

その利息のまた1割が代官の手取りになっとったらしい。
やっぱり「お前も悪よのう」のごたぁ代官は全国で1割強がおったらしい。
ばってんが大半の商人からの接待は・・・
「返済ばもう少し待ってください」て言う接待やったらしい。
商人もいつもかしこも儲かりよるとは限らんめえけんね。

お江戸の時代の武士の給料は200年以上変わらんやったとぃ
物価は高騰するけん武士の暮らしは惨めなもんで
浪人(牢人)となればなおさらでどかちんやら傘張りの内職
用心棒でわずかな銭ばかせぎよったとです。

よう「士官する」て言う言葉聞くばってんが今で言う
「公務員」ですね。
ばってんが幕府は要らん役職の食い扶持まで払いよるけん
財政は火の車、新規に公務員ば採用する余裕はありません。
そいけん公務員(幕府の)は少しでも上の役職に就こうと
「付け届け」が日常茶飯事やったとです。
そして町奉行の与力やら同心も薄給やったけん商人から
「お目こぼし」貰うて生活の足しにしよりました。
同心付の御用聞きに至っては元やくざの類で一般的には
「親分さん」てよばれよりました。
別に仕事ば持つ御用聞きもおるばってんが同心からの小遣いと
町民からの付け届けで生計ばたてよったとですよ。

経済ば動かすとは商人たち。またその前におまんま作る
農民が日本ば支えてきたとです。
それにしても武士て言うとは何の生産性もなか職業?のとい
威張り散らかして見得だけはもっとる厄介なひとたちですね。

長がなるけん今日はこの辺で・・・・

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