蒲田耕二の発言

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中村勘三郎

2012-12-31 | ステージ
昨日(12月30日)の昼下がりにBSで放送された『法界坊』は、見応えあったなあ。故・勘三郎丈追悼番組の白眉だったんじゃないか。

主人公は、剽軽さと残忍さとを併せ持つ破戒坊主。初めは色々とこっけいな振る舞いを見せ、間抜けなドジを踏んだりするのだが、だんだんと凶悪な面を見せ始め、最後は両性具有の悪霊と化して若い恋人たちをきりきり舞いさせる。

喜劇悲劇が入り交じり、切り子細工のようにめまぐるしくフェーズが移り変わる辺り、シェイクスピアもビックリである(演出の串田和美もそこを意識したらしく、墓穴を堀るシーンで『ハムレット』を引用したりしていた)。

あらゆるロジックを嘲笑し、非合理の極北でドラマを成立させるのが歌舞伎の面白いところだが、その面白さがこの作品では突出している。

主人公を演じるには当然、軽妙な喜劇性と悪役の凄みとが求められる。その相反する両面を、勘三郎はあきれるぐらい鮮やかに演じきっていた。コミカルな彼は、たけしや桂文枝が逆立ちしてもかなわないほど粋なお笑い芸人である。一方、悪霊の演技、というより舞いはヘタなホラー映画そこのけの怖さだ。

この18代目中村勘三郎という人、一般に体格の貧弱な歌舞伎役者の中でも際立って短躯だった。だが、その小柄な彼が目を剥いて呪いを掛けると、画面いっぱいにグロテスクなオーラが立ち込める。煌々とライトを照らしてほとんど陰のない歌舞伎のステージでこれだから、凄い。

歌舞伎界というぬるま湯が淀んだような思考停止社会の住人たちは、大抵が昔ながらの定型を守るばかりで個人の意志をパフォーマンスに表すことが滅多にないが、この役者は別だった。定型を破ることに、きわめて意欲的だった。

歌舞伎以外の演劇界から演出家や俳優を引き込んだり、コクーン歌舞伎や平成中村座を始めたり、といった実験的活動もその一つだが、歌舞伎の上演スタイル自体に彼ならではの独自性があった。

言い忘れたが、この『法界坊』は2007年ニューヨーク公演の録画である。なので、セリフの一部を英語に変えたり、黒人俳優に雷神を演じたさせたりしている。04年のNY公演でも、目明かしの代わりにニューヨーク市警の警官とパトカーを登場させていた。

そういう一見イージーな思いつきが、しかし勘三郎の舞台では安っぽく浮いて見えない。それは、彼が伝統の基本をしっかり押さえていたからだろう。土台が堅固だから、その上の飾りを少々いじっても大きくぐらついたりしない。

見得や殺陣は、大抵の歌舞伎役者が型に則るだけでお茶を濁すが、勘三郎は体力の消耗を怖れず、体操選手も顔負けの激しい身体表現をした。前述墓穴掘りのシーンの所作など、無駄なく洗練されたステップがバレエを思わせるほどだ。みっちり舞踊の基礎を身につけていることが、そこから容易に想像できた。歌舞伎は本質的に舞踊劇なのだ。

法界坊は父親の先代勘三郎の当たり役だったそうで、激しい動きもバレエのような所作も先代が創始したらしい。しかし、軽快なドラマの展開と生き生きとした人物造型に漂う今日的なセンスは、間違いなく18代目独自のものだった。

陳腐な言い方だが、歌舞伎界は、日本の演劇界は巨大な人材を失ったものだと改めて思う。その証拠に、別の役者による『仮名手本忠臣蔵』の一部を同日夜に放送していたが、こっちは伝統一点張りで創造性に欠け、15分も観れば眠気を催すような代物だった。
コメント
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