山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

初瀬街道から長谷寺へ (その 3)

2015年05月24日 | 街道歩き

2014年11月28日(金)、近鉄・桜井駅を出発し、初瀬街道を散策しながら紅葉の長谷寺詣でへの記録です。

 長谷山口坐(はせやまぐちにいます)神社  


参道に入り少し進むと、右手に細い路地があり、奥に朱色の太鼓橋が見える。脇に「延喜式内社 長谷山口座神社」の社標がある。長い石段を登りきると、小さな境内に拝殿と本殿が佇む。
案内板には
「長谷(はせ)山口神社由緒(ゆいしょ)記
当神社は長谷山の鎭(しづめ)の神として太古より大山祗(おおやまつみ)の神を祭神としている。第十一代垂仁天皇の御代倭(やまと)姫の命を御杖として、この地域の「磯城嚴橿の本(しきいつかしのもと)」に約八ヶ年、天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に天手力雄(あまのたぢからを)の神、北の山の中腹に豊(とよ)秋津姫の神をまつる二社を鎭座せられた。」とあります。

 伊勢の辻から化粧坂へ  



長谷参道の名物「くさ餅」の店があります。右に折れる道があり、その角はに「伊勢辻 右 いせみち」と彫られた石の道標(1726年建立)が建っている。ここが「伊勢の辻」と呼ばれ、真っ直ぐ参道を進めば長谷寺へ、右の道に入れば伊賀・伊勢方面への伊勢街道です。

伊勢の辻を右に入り、初瀬川に架かる「伊勢辻橋」を渡ると、道は左右に分岐する。行き先はどちらも伊勢方面で同じだが、右は車も通れる新しい道。左側がかっての伊勢街道です。

左に入っていくと、落ち葉が散乱し、旧街道の雰囲気を漂わす。やがてやや勾配のきつい七曲りの坂道となる。このあたりで伊勢参りの旅人たちが衣装直しや化粧直しをしたことから「化粧坂(けはいさか)」と呼ばれている。長谷寺に参詣した伊勢参りの旅人は、ここを曲がり榛原を経由して伊勢を目指したのです。
15分位で七曲りの坂を登りきると峠に出、視界が開けてくる。ここには峠の茶屋があり、旅人が一服したという。

 紅葉スポット:愛宕神社  



左に折れれば伊勢街道だが、この峠には右への道もある。この道を進めばすぐ紅葉スポット:愛宕神社です。ここも絶好の休息場所で、初瀬川を挟んで長谷寺を真正面から拝することもできる。今も昔も変わらない。

それほど広くない境内の中央に、燈籠と小さな祠が長谷寺本堂と向かい合う形で建っている。かって大きな社が建っていたというが、昭和十七年の火災で焼失し、再建されないままになっているそうです。確か、愛宕神社は火伏せ・防火に霊験のある神さまのはずですが・・・。
ここには建物は無いほうが良い。目立つ社殿がないだけ紅葉がひときわ鮮やかに見える。こんな素晴らしい場所を誰も知らないのでしょうか。私が居た20分ほどの間、誰一人来なかった。紅葉だけなら長谷寺よりはるかに勝ります。

初瀬川のある谷を挟んで長谷寺の全景が一望できます。ここで観音さんに手を合わすだけで十分です。きっと昔の人はそうしたんでしょうネ。
本居宣長の「菅笠日記」(1772年・明和9年)に
「けはひ坂とて さがしき坂をすこしくだる 此坂路より はつせの寺も里も 目のまへにちかく あざあざと見わたされるけしき えもいはず」。彼も化粧坂を登りこの景色を眺めたのでしょうか?

写真を撮ろうと前のめりしたら、急崖を2mほど滑り落ちた。足元ご用心・・・

 法起院(ほっきいん)  


愛宕神社から伊勢の辻にもどり、参拝道を進むと右側に「長谷寺開山徳道上人」と刻まれた石標が建ち、奥へ続く路地が見える。
ここは天平7年(735)の開基された法起院で、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼を始めた徳道上人が晩年隠棲した寺です。そしてここ法起院は西国三十三カ所霊場巡りの番外札所として、霊場巡りを終えた人が最後に参詣する寺院になっている。
境内はそれほど広くはない。開山堂(本堂)には本尊の徳道上人自身の木像が安置され、本堂の左奥に十三重石塔があり、徳道上人の墓所とされている。

 與喜山(よきやま、天神山)へ  


法起院から少し進むと、参道はほぼ直角に左折している。左に折れ、お土産屋の間を100mほどたどると長谷寺はすぐそこ。左折しないで正面を見ると、初瀬川にかかる紅い欄干の「天神橋」、その先に階段が伸び紅い鳥居が見える。この道は與喜山(天神山)中腹の與喜天満神社、素盞雄神社を迂回して長谷寺へたどるコースです。”裏参道”というのでしょうか。表参道に比べ距離は数倍あり、きつい階段や山道がありで体力的にハードです。しかし土産屋の呼び声を聞くより、はるかに見所は多い。裏へ廻ることにします。

橋の上からは、初瀬川越しに長谷寺が一望できる。
鳥居から少し入ると左側に空き地があり、「與喜寺跡」の石柱だけが建っている。ここも廃仏毀釈で消滅したのでしょうか?。今は、椅子が寂しげに置かれ展望所となっています。初瀬の集落が一望でき、「隠口(こもりく)」のイメージがぴったりです。
「隠口の泊瀬」と萬葉集に多くの歌が詠まれている。、「隠口(隠国、こもりく)」とは泊瀬(初瀬)にかかる枕詞で、両側から山が迫ってそれに囲まれたような「山間の隠れた国」という意味だそうです。

 與喜(よき)天満神社  


與喜寺跡からさらに長~い石段の参道が待っている。杉の大木に囲まれ、100段位はあるでしょうか?。この階段の上、與喜山中腹に鎮座するのが菅原道真公を主祭神とし祀る與喜天満神社です。
道真の神霊が現れ「私は右大臣正二位菅原道真だ、私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って神鎮まったという。「良き山」から”與喜(よき)”という名前が付けられたようです。
通史では、出雲(島根県)の野見宿祢は、垂仁天皇により大和へ招来されたという。しかし、初瀬の出雲の地が野見宿祢の出身地だという伝承も残る。だから野見宿祢を先祖とする菅原道真がこの近辺と縁が深いのも頷ける。

 玉鬘庵跡(たまかずらあん)と素盞雄(すさのお)神社  



與喜天満神社境内の脇に「裏参道」と書かれた木札が立てられ、下へ降りる道が見える。この道を降りていけば長谷寺へ行けるので下りて行く。竹薮に囲まれた石段の途中に「源氏物語(玉鬘編)」にでてくるという「玉鬘庵跡」の板札が立っている。板札の矢印の指す方向を探すと、何やら跡らしきものがある。工具箱やらゴミが散乱し、竹林を除いて源氏物語の世界とはほど遠い。「源氏物語」ってノンフィクション?フィクション?。

玉鬘庵跡の立て札から数段下りた所にも「素盞雄神社」の立て札が立つ。右方を見れば、黄色に染まった大樹の下に社殿が見えます。與喜山は天照大神が降臨した山だ、との伝承をもつのでその弟神の素盞雄命の霊を祀ったものと思われる。大銀杏がそびえ、地面一面を黄色に染めあげている。推定樹齢800年、樹高約40m,周囲約7.5m。イチョウの巨樹としては県下最大のもので県指定天然記念物となっている。

初瀬川を挟んで向かいの山が長谷寺で、ここから長谷寺全体を眺望できる

 連歌橋  



與喜山からの出口にも紅い橋が架かっている。「連歌橋」と呼ばれている。
かって長谷寺に集まった僧や貴族たちが與喜天満神社境内の連歌会所・菅明院での連歌会のため、初瀬川に架かるこの橋を渡ったとことから名付けられたそうです。
連歌橋から長谷寺の入口は直ぐ近く。




詳しくはホームページ

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