山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

「葛城古道」北から南へ (その 3)

2014年11月17日 | 街道歩き

 極楽寺へ  


長柄の町並みを通りすぎ、右を眺めると葛城山・金剛山がはっきり見えてくる。よくみると葛城山・金剛山を背にした大空に数台のハンググライダーが舞っているではないか。葛城山の山頂?山腹のどこかにハンググライダーの基地があるようで、そこから大空を飛行し、手前の平地に着地しているようだ。役行者のように大空を舞い、空からヤマトを見下ろしてみたいものです。

次の目的地・極楽寺を目指します。春日神社、高木神社、住吉神社の傍を通り、緩やかな坂道を金剛山の方向に登ってゆく。後ろを振り向くと、巻向山、音羽山、竜門岳などを背にヤマトの地が広がる。右端は高取山だろうか?。古道としては「山の辺の道」に劣るが、展望という点では遮るものが少ない葛城古道のほうがはるかに優ります。周りは柿園だ。まだ小さく青い柿の実だが、ハイカーが簡単にもぎ取れそうな位置にある。渋柿でしょうか?。やがて県道30号線(御所香芝線)に突き当たる。

県道を10分ほど歩くと右手高台に鐘楼が見えてくる。坂道を登ると鐘楼の下を潜り境内に入るようになっている。鐘楼が山門になっているのは珍しく、初めての体験です。浄土宗知恩院派のお寺で,正式には「仏頭山法眼院極楽寺」という。
寺伝によれば,天暦5年(951)興福寺の名僧一和(いちわ)が創建した寺と伝えられている。心静かに修行修学できる地を探していた一和上人は,金剛山の東麓に、毎夜光を放つものを見た。不思議に思った上人がその場所を探し訪ねると,そこから仏頭(弥陀仏の頭)が見つかった。これこそ有縁の地と考へられ 「仏頭山」と呼び見つかった仏頭を本尊として草庵を結び、法眼院と名付けたという(御所市観光協会HPより)。

境内は広くないが綺麗に手入れされ、ベンチやトイレも設けられ一服するのにちょうど良い。高台にあるので見晴らしも良いはずですが、塀でよく見えなかった。探せばどっかあったでしょうネ。

 橋本院から高天原  


極楽寺からもとの県道30号線(御所香芝線)に戻り、南へ少し進むと右へ入る入口がある。「橋本院 →」の標識があるのですぐ判ります。山側へ向い登って行くと、山中に入る手前にイノシシ避けの柵が設けられている。ここからが葛城古道で最大の難所です。見晴らしのきいたのどかな遊歩道は一変し、険しい山道に突入します。杉木立に囲まれた薄暗い山道が階段状に続く。といってもこの山道は20分ほどでしょうか。

山道から平坦な道になると前方が開け,橋本院が見えてきた。庭園風の境内の中に入る。庭園というより、雑然とし何やらいろいろ植えられている農家の裏庭といった感じです。中央に池があるが,これもため池に見えてしまう。「瞑想の庭」と書かれた立て札がある。見て楽しむより,目を閉じ瞑想した方がよさそうな庭園です。時期が悪かったのか目に付く花は見られなかった。
手元のガイド本では,葛城古道のコースはこの橋本院の境内を通り抜けなければならないようになっている。その割には訪れる人も少ないようで,静かな境内です。その分手入れもゆき届いていないように見受けられる。一抹の侘しさを感じる一風変わったお寺さんです。歴史は古く、養老年間(715年~724)に元正天皇の勅により僧行基が開いた「高天寺」(たかまでら)というお寺が、金剛山中腹の高台にある高天原といわれる神話の地に創建された。その後、戦乱で焼き払われ、なんとか一院だけ焼け残る。 こうして残った一院が池の橋の横にあったことから「橋本院」と呼ばれるようになったという。
橋本院の山門を出ると開けた田園が広がる。ここが「高天原」と呼ばれる神話の舞台です。

日本神話では,皇祖神天照大神が治め神々が住む所を「高天原」という。ここから瓊々杵尊(ににぎのみこと)が日向の高千穂の峰に降臨したとされています。
金剛山を昔は「高天山(たかまやま)」と呼んでいた。その中腹の原に神々が集った「高天原」があったということでしょう。
「葛城王朝説」を唱える鳥越憲三氏は
「遠く葛城族が住む背後の山が、ならぶ二上山や葛城山よりも高くそびえているのを見て、その山を高天山(タカマヤマ)と名づけた。そして、その中腹のひろい台地に神々が集い、そこで神遊びが行われると感じたのは、当時の思考ではあたりまえのことであった。そして、その神々のいます広い台地を高天原と呼んだのであった」(「神々と天皇の間」(1970))と書かれている。

「高天原」の所在地については古来より諸説あるようです。wikipediaが取り上げているものだけでも以下のごとく。
・葛城山中腹のこの地 - 奈良県御所市高天
・後ろに高千穂峰がそびえる宮崎県高原町(たかはるちょう)
・宮崎県高千穂町(たかちほ)
・阿蘇・蘇陽 - 熊本県山都町
・蒜山(ひるぜん) - 岡山県真庭市
・生犬穴(おいぬあな) - 群馬県上野村
・常陸国多賀郡(茨城県)-新井白石説
・長崎県壱岐市
・氷ノ山(ひょうのせん)西麓 - 鳥取県八頭郡若桜町舂米(つくよね)
・霊石山・伊勢ヶ平 - 鳥取県八頭郡八頭町
・和歌山県の高野山
・海外だが中国南部説もあるそうです。

橋本院本堂の瓦屋根が見え、「史跡高天原」の石柱の前に広がる景色は、どこの田舎にでも見られる田園風景です。天照大神をはじめ神々が集った地とは想像すらできない。石柱の横には駐車場が設けられ,その奥に綺麗なトイレが見える。ここまで来たら,記念に”神々のふるさと高天原で用をたす”のも悪くない。

天上の国が地上にあるのも不思議な気がするが・・・・。神話とはそういうものでしょう。
ところで「たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら」どれが正解でしょうか?。

 高天彦神社(たかまひこじんじゃ)  


高天原からは平坦な道が続き,やがて集落の中に入っていく。橋本院から10分ほど歩けば高天彦神社です。
葛城王朝を築いた葛城一族の祖神・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀る神社です。「白雲峯」(694m)と呼ばれる背後の美しい円錐形の山をご神体とするため本殿は無い。現在,社務所もなく宮司さんもおられず,高鴨神社のご神職が管理なされているそうです。だから高天彦神社のお守りや御札などは高鴨神社で授かる。

高天彦神社一の鳥居の外側に,鬱蒼と茂った杉の巨木に挟まれた狭い参道が50mほど続く。その参道の入り口近くに「鶯宿梅(おうしゅくばい)」といわれる梅の古木があります。
奈良時代に、高天寺で修行をしていた小僧が若くして亡くなり その師が嘆き悲しんでいると、梅の木に鶯がきてホーホケキョではなく、 「初春のあした毎にはくれども あはでぞかえるもとのすみかに」 と鳴いたという伝説があるそうです。

鶯宿梅からさらに進むと「蜘蛛窟」があるという。それらしき方向に歩くが,いっこうに見つからない。どっかで入り口を見落としたのだろう。諦めて次の目的地・高鴨神社を目指す。後でネットで調べると,葛城古道で最も見つけられないのが高天彦神社の「蜘蛛窟」だという。納得しました。

詳しくはホームページ

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