山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

「葛城古道」北から南へ (その 4)

2014年11月21日 | 街道歩き

 葛城の道・歴史文化館へ  




14:40分、蜘蛛塚を探して林の中に入っていくが見つけられない。諦め、次の高鴨神社へ向かう。下りの坂道となり階段が続く。これは高天彦神社への参拝道だったのでしょうか。20分ほど下れば出口が見えてきました。

高天原のある高台から降りてきました。それでもヤマトの地が美しく見下ろせる。車道に出て、高鴨神社のある森を目指します。

高鴨神社のすぐ手前に「葛城の道・歴史文化館」があります。好天の日曜日なのに、私以外誰も見かけない。開店休日?の様です。
施設の半分は食堂,休憩室で、奥に葛城の道を紹介する展示室がある。床一面に空中写真が敷き詰めてあり、これが唯一の見ものか。財団法人日本宝くじ協会の助成により、財団法人日本ナショナルトラストが建設したヘリテイジセンターとか。もちろんトイレもあり。

入館無料 /開館時間 午前9時から午後4時 /閉館日 毎週月・金曜日/電話 0745-66-1159

 高鴨神社(たかがもじんじゃ)  


歴史文化館の脇に立つ一の鳥居(朱塗)を入ると、厳粛な参道です。右に社務所、左に池を見て進むと二の鳥居です。鳥居をくぐり石段を登ると、境内正面に拝殿(三間社入母屋造瓦葺)、その背後の石垣の上、透塀にに囲まれた神域内に本殿が、それぞれ南面して鎮座する。本殿(国の重要文化財に指定)は三間社流造り・檜皮葺(ひわだぶき)。室町時代の天文12年(1543年)の再建という。主祭神として味耜高彦根神(阿治須岐詫彦根神,あじすきたかひこねのかみ)が祀られている。大己貴命(大国主命)の子で迦毛大御神とも称される。
高鴨神社の由緒について公式HPには
「この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社の一つであります。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社であります。このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります」とある。
参道の左手は氷室池。鯉ならぬ「鴨」が泳いでいるというが見つけられなかった。池上に張り出した舞台が設えられている。観月演奏会,雅楽奉納,コンサートなどが行われているようです。
参道を挟んだ反対側には社務所があり、その横に空鉢の並んだひな壇がある。ここに4月中旬頃~5月上旬頃,咲き誇った日本サクラ草が並べられ公開される。
由緒ある古社だが,それ以上にここが有名なのは日本桜草の名所であること。ここの宮司さんは全国屈指の日本さくら草の栽培者で,明治末期より父子三代に亘って蒐集栽培されてきたそうです。現存している桜草の品種のほとんど、約500種類をここで保存、育成されている。

 風の森峠と志那都彦神社(しなつひこ)  


高鴨神社から終着地・風の森峠を目指す。ゆるやかな下り坂を進むと,周辺はのどかな広々とした田園地帯。田の一角に標識「風の森 志那都彦神社」が建てられている。背後の葛城山・金剛山の吹き降ろし風から田を守っているように見受けられる。


小さな森と集落の中へ入っていくが,標識も無くどっちへ行ったらいいのか途方にくれる。あっちへ行ったり引き返したり,尋ねようにも人影が見えない。ようやく,庭先で農作業されている農婦の方に出会い,風の森バス停を教えてもらった。バス停の近くにあるという「風の森神社」を探しながら歩いたが,いつにまにか風の森バス停に出てしまった。また引き返し,さっきの農婦の方に尋ねると,すぐ近くだった。

この神社を自分だけで探し当てるのは大変だと思う。風の森バス停から風の森神社までの道順です。
バス停から西側に入っていく緩やかな坂道を200mばかり進む。民家が現れた辺りに最初の右に入る道がある。そこを入ると50m位で右手にお寺の石垣が見え,その真ん中あたりに小さな階段がある。階段を登ると正面にみすぼらしいお寺がある。お寺の左を見れば・・・ここまで来ればもう迷うこともない。

薄暗い雑木林の奥に,小さな祠が薄気味悪い雰囲気を漂わせ鎮座しておられる。「風の森」という銘柄の清酒が御供えされている。風の森神社といっているが,正式には「志那都彦神社(しなつひこ)」という。古事記・日本書紀の中で風の神として記されている「志那都比古神(しなつひこのかみ)」が祀られている。
「風の森峠」とはこの周辺をさすのだろうか。地図を見れば,この地は南から大和盆地への入り口に当たる。ヤマトへ進入する南風を防いでくれる神様ということでしょう。

境内看板には、
「本社は、御所市大字鴨神、旧高野街道・風の森峠の頂上に位置しています。御祭神は、志那都比古神をおまつりしています。志那都比古神は、風の神であり、古事記、日本書紀には、風の神に因んだ事柄が記載されています。又、葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地ともいわれており、風の神は、五穀のみのりを、風水害から護る農業神としてまつられています。日本では、古くから、風の神に対する信仰があり、毎年旧六月には、各地で薙鎌を立てて、豊作を祈る風祭が行われています。」とあります。

御所市から五条市へ通じる国道24号線がはしっている。かっては京、大和方面から高野山へ向かう参詣道「高野街道」で,さらに紀伊地方とを結ぶ道でもあった。峠の近くに風の森バス停があり,葛城古道の終点,もしくは出発点ともなっている。

志那都彦神社を出てバス停へ。まだ四時なので船宿寺まで足を伸ばそうかと思いガイド本を開いているとブレーキ音がした。1時間に1本しかやって来ない定期バスがドンピシャのタイミングで止まってくれたのです。もう乗るしかありません。近鉄・御所駅へ。

       ~「葛城古道」北から南へ ~(完)

詳しくはホームページ

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