2.5年前、婆が倒れた時も動転したが、今回は想定外だった腸の病気を知って前回以上に動顛!眠れぬ日が続いた・・・
主治医の先生から手術日を告げられ、その内容と後々考えられる後遺症を知らされた時は藁をも掴む思いで更なる策を欲していた!!!
金曜日の晩は終ぞ一睡も出来ず朝方を迎えた!!!
婆が此の儘この世から居なくなるのでは?と考えたら気が動転、眠気がすっ飛んでしまい長い長い夜となった!!!
土曜、日曜と病院は休みで月曜日には正午から運命の手術が待っている・・・
東京から娘も心配して来てくれた。
素人には先生の説明がまだ本当に理解出来ず親子3人であれこれと心配事を引っ張り出す。
弟にも連絡・・・解説を加えて貰う・・・
実会話が出来る間柄、質問攻めでこれで幾らか判ったような気になりつつ・・・
医者である弟の説明だと命に関る大病で半端じゃァ~ないらしい!!! オマケニ2.5年前の脳からのシャットが、更に、輪を掛け足を引っ張る!!!
このシャットに腹部手術の際腹部からの黴菌が入るような事になると脳膜炎を起こし其処には死が待っている!!!
2重3重の隘路が待ち構えているのだ・・・
日曜日の湘南戦は応援に行くもハピーにはなれず、敗戦で輪を掛けて落ち込んで帰って来た!!!
病院に頂いたEPSON旗を持って行き、婆の枕元に置いて遣った。。。。
婆は至って元気でショボ暮れている爺を慰めてくれる余裕があった・・・
昨日は重たい雰囲気で朝を迎え、10時半病院に向かう。
病院の売店で指示された買い物をし看護婦さんに渡す…
11時頃になると慌ただしくなる!!!
そして我々3人は別広間で待つように言われる・・・もうこの時から地獄時間が始まって居た・・・
そして12時15分、婆はベットに伏せたまま手術室に向かう・・・ バぁーちゃん頑張ってね!!!と・・・手を振って出て行った。。。
それから待つこと約6時間!!!
最初は娘・息子と歓談していたが種切れに・・・ そして本を読み出すが頭に等入る訳もない!!!
この6時間は長く長く感じた!
Pensanが乳癌手術をした時も長かったが、今回も地獄の時間帯だった!!!
そして、6時半近くになり呼び出しがある・・・
先生からの手術の結果知らせだった。
摘出した腸の一部を前にして手短に解説を加えて下さった。
CTで先生が不安視していた現物が目の前に置かれその全容が判ったような気がした・・・どうしてこんなモノが増殖して行ったんだろう?
分厚い肉質が腸閉塞を起こさせて居たのだった。 ソシテ、その一部に穴が開き膀胱へと汚物が流れ出していた・・・・・・
先生の推察通りの病状だった!!!
非常に嬉しかったのは、腸の摘出部前後が安定した組織だったので人工肛門という手段を止め、腸の接合をして下さった!!!!!
これは法外の朗報で後々の看護等に非常に優位な術だった。
3人で手術大成功だ!!!と・・・ 不運の中にも幸運があるのだ!!!とつくづく思った!
後は腸が上手く繋がる事を祈る!!!のみ・・・
外科執刀先生、麻酔先生、そして、脳外科先生に何回も何回も頭を下げ手術大成功のお礼を申し上げた。
家の帰ったのは8時過ぎだっただろうか・・・
3人でホッと胸を撫で下ろし、喉にご飯が通らなかった前日とは違う安堵感を抱きながら軽く乾杯、そしてお寿司を頂いた。。。
遅くなったが、色々と御厄介になった先生方や弟に結果報告をし、お礼も申し上げた・・・
今日は10時過ぎ娘と出向くとか細いが眠りから覚めた婆の姿を見て涙が頬を伝わった!!!
この婆さん、何回も何回も良く頑張って来て、強い人だと思った。
娘が買って来た府中の大国玉神社のお守りもちゃんと覚えていて、又、孫娘の名も言え、記憶も飛んでいない事が判り目頭が更に熱くなった!!!
最近、弱き御仁が頑張っている姿に出合うと涙脆くなり目頭が自然と熱くなってしまう!!! 歳だろうか?
先生や看護師さんとも会う事が出来又、術後の状態をお聞きしホッとした1日となった。。。 1週間もすると食事が採れるようになるという・・・
病院の先生方や看護師さん達にはタダタダ感謝あるのみ!!!
プロ先生方の知識や術にはタダタダ頭が下がって!!!!!!
何時かの日、元気な婆が帰って来るのでは? と・・・・・
今日はそういう日を送った・・・・・・・・