今日は、朝から雪が降ったり止んだりの寒い一日となった。
積もるほどの激しい降り方ではないが、北西の風が強くて体感的には氷点下の寒さだ。
薪割を始めたが、凍える寒さに音を上げて、体が温まる前に止めてしまった。
年賀状の受付も始まり、ブロガーの年賀状を書き終えたなどの記事に背中を押され、天気も荒れ模様なので年賀状の準備をはじめた。
喪中欠礼はがきのチェックをしたが、一頃に比べると数は減ったが、今年も9枚いただいた。
全員が90歳を越す高齢のご両親で、中には100歳を越す人も居られ、同年輩や年下の人がいなかったのは救いだった。
「喪中欠礼を貰いながら年賀状を出すのは失礼である」が常識だが、最近は新年の挨拶はしないが、貰うのは構わないという解釈もあるようだ。
相手の状況や付き合いの濃淡によって、出す出さないを決めているが、昔からの慣わしを自分流で解釈していいのかは迷うところだ。
恩師や先輩からも、「今後は年賀状は出しませんのでご放念ください。」というメッセージをいただくことも増えてきた。
世話になった方に、年に一度ぐらいは近況を知らせたり、ご機嫌伺いをしようと、年賀状を出し続けている。
義理堅い人から手書きの丁寧な返事をいただいたりすると、かえって煩わしい思いをさせたのではないかと心配したりする。
この種のことは、昔からの慣わしや常識に沿うより、自分のルールで対処した方が良いと思っているが、相手の立場も考えてしまう。
今年は大災害が多発し、いまだに悲しみに明け暮れ、今後の見通しも立たないまま新年を迎える人たちが大勢いる。
「おめでとう」を控えて、いつものように喪中の人にも、山里の近況を伝える賀状を刷り上げた。