篠沢と森永の会話を無視して田原が『風神の剣』を木箱に仕舞い、
持ち帰るべく小脇に抱えた。
説明せずとも小箱が置かれた理由を知っているらしい。
『風神の剣』といい木箱といい、篠沢の方が後手に回ってしまった。
慌てて田原を止めた。
「まだ返却するとは申していません」
田原は小憎らしいくらいに動じない。
「そうですか。それは、それは」
それでも小脇から離さない。
ここが警察署内である事を忘れているような振る舞いだ。
だからとはいえ、腕尽くで取り戻せば騒ぎになる。
手立てを思いつかないので、森永に助けを求める視線を送った。
森永が呆れ顔で篠沢を見返した。
「無駄な抵抗はせずに引き渡してください」
篠沢は田原と森永を見比べた。
二人はどこから来る自信なのか、幾人もの刑事が居合わせているにも関わらず、
堂々たる態度であった。
要求が拒否されるとは微塵も考えていないのだろう。
いつ入って来たのか徳岡管理官が口を差し挟んだ。
「篠沢警部、宜しいか」
上司の言葉を断れるわけがない。
「どうぞ」
「持ち帰って頂きましょう」
その一言は命令だった。
承伏し難いが、ここで管理官の顔は潰せない。
不満を飲み込んで首肯した。
篠沢は引き渡しの手続きを部下に任せ、加藤と池辺の二人を連れ、
部屋の外に出た。
池辺が言い訳のように口を開いた。
「あの田原という男、剣道界には名前がありません」
「しかし、雰囲気は手練れだ」
「確実に手練れでしょう。
おそらくは古流の剣術ではないでしょうか。
彼等は竹刀を重視していないので、剣道界の表には出て来ません」
「古流、・・・。古流の剣術は竹刀を使わないのか」
「竹刀は稽古で使いますが、竹刀での試合はしないのです」
「しない、洒落か」
池辺が生真面目な顔で応じた。
「いいえ。
防具をつけて竹刀で試合をすると、緊張感がなくなり、悪い癖がつくと言って、
古流では木刀での組太刀を重視しているのです。
だから学生剣道や社会人剣道とは疎遠です」
篠沢は思わず溜息をついた。
「平成の世に、未だ表街道を歩かない者達がいたとは」
加藤が問う。
「その手の道場は多いのか」
「少ないですね。探すとすれば昔の藩の藩庁所在地、
後は江戸、大坂、京都といったところでしょうか」
「ある程度は絞り込みたい」
池辺が一呼吸置いて答えた。
「大分の土地絡みで、元は京都のお公家さんがいましたね」
「そうか、京都か。奈良に並ぶ坊主の産地でもあるしな」
篠沢は首を傾げた。
「そう言えば、お公家さんの子孫は何の役割なんだ。
土地を所有しているだけで、何にも関わっていないと言っているが、
それを単純に信じて良いのか」
「電話で済ませないで、実際に会う必要がありますね。
それに、警察庁に圧力をかけた人間が誰かを知る必要もあるし」
三人で捜査の進め方を話していると、
捜査本部の部屋から田原と森永の二人が出て来た。
田原が小脇に木箱を抱えているところから、引き渡しの手続きを終えたらしい。
二人は篠沢に会釈して、通り過ぎようとした。
それを加藤が呼び止めた。
第一の被害者が殺された日のアリバイを、低姿勢で問う。
田原が戸惑っていると、続けて第二の被害者が殺された日付、
さらには野上家の事件の日付。
立て続けに都合三日のアリバイを問う。
田原の戸惑っている表情は嘘くさい。
「そう聞かれても、・・・困りましたね」
警察にアリバイを聞かれた普通の人間は、必死でアリバイを主張するか、
顔を強張らせて怒るか、あるいは逃げ出すか、大抵は分かり易い反応をした。
ところが田原は違った。
困ったポーズを取るだけで、ソワソワともしない。
まるで加藤の質問を楽しんでいるかのよう。
傍の森永が田原を庇うように前に出た。
「どうやら事件当日のアリバイですね。
証明は警察の仕事でしょう。
当日事件現場に田原が居たと証明しなさい。話しはそれからです」
加藤は相手が弁護士でも、めげない。
「我々の手間を省いてください。
アリバイを我々が確認すれば、それで一件終了です」
「いいでしょう」と田原が森永の肩をポンポン叩いて、交替した。
「私は半年前に森永さんから、住職内定の連絡をいただきました。
それからは京都郊外の一軒家を借りて、そこを基地に峰入りです。
峰入り、分かりますか。
山伏のように山々の峰を踏破する回峰修行です。
短くて一週間、長くて二週間、郊外の山々を山伏のように巡るのです。
疲れては下山し、回復すれば峰入りの繰り返し。
それを先週まで続けていました。
ですから、自慢じゃないけどアリバイを証明してくれる人間は一人もいません」
平然としている田原。
警察に疑われる事を恐れていないようだ。
「仕様がない、そこを手配したのは私なので、住所をメモしましょう」と森永。
内ポケットから手帳を取りだしながら続けた。
「隣近所とは離れているので、誰も何の証明も出てこないと思いますよ」
★
朝、目覚めると招かざる客が居ました。
蜘蛛です。
部屋の片隅で網を張っているのです。
おそらく昨日の風雨を避けるため、部屋に入ってきたのでしょう。
でも、この部屋に網を張っても、獲物なんて居ません。
このままでは飢え死には必至。
さて、どうしますかね。
★
ランキングです。
クリックするだけ。
(クリック詐欺ではありません。ランキング先に飛ぶだけです)
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『風神の剣』といい木箱といい、篠沢の方が後手に回ってしまった。
慌てて田原を止めた。
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田原は小憎らしいくらいに動じない。
「そうですか。それは、それは」
それでも小脇から離さない。
ここが警察署内である事を忘れているような振る舞いだ。
だからとはいえ、腕尽くで取り戻せば騒ぎになる。
手立てを思いつかないので、森永に助けを求める視線を送った。
森永が呆れ顔で篠沢を見返した。
「無駄な抵抗はせずに引き渡してください」
篠沢は田原と森永を見比べた。
二人はどこから来る自信なのか、幾人もの刑事が居合わせているにも関わらず、
堂々たる態度であった。
要求が拒否されるとは微塵も考えていないのだろう。
いつ入って来たのか徳岡管理官が口を差し挟んだ。
「篠沢警部、宜しいか」
上司の言葉を断れるわけがない。
「どうぞ」
「持ち帰って頂きましょう」
その一言は命令だった。
承伏し難いが、ここで管理官の顔は潰せない。
不満を飲み込んで首肯した。
篠沢は引き渡しの手続きを部下に任せ、加藤と池辺の二人を連れ、
部屋の外に出た。
池辺が言い訳のように口を開いた。
「あの田原という男、剣道界には名前がありません」
「しかし、雰囲気は手練れだ」
「確実に手練れでしょう。
おそらくは古流の剣術ではないでしょうか。
彼等は竹刀を重視していないので、剣道界の表には出て来ません」
「古流、・・・。古流の剣術は竹刀を使わないのか」
「竹刀は稽古で使いますが、竹刀での試合はしないのです」
「しない、洒落か」
池辺が生真面目な顔で応じた。
「いいえ。
防具をつけて竹刀で試合をすると、緊張感がなくなり、悪い癖がつくと言って、
古流では木刀での組太刀を重視しているのです。
だから学生剣道や社会人剣道とは疎遠です」
篠沢は思わず溜息をついた。
「平成の世に、未だ表街道を歩かない者達がいたとは」
加藤が問う。
「その手の道場は多いのか」
「少ないですね。探すとすれば昔の藩の藩庁所在地、
後は江戸、大坂、京都といったところでしょうか」
「ある程度は絞り込みたい」
池辺が一呼吸置いて答えた。
「大分の土地絡みで、元は京都のお公家さんがいましたね」
「そうか、京都か。奈良に並ぶ坊主の産地でもあるしな」
篠沢は首を傾げた。
「そう言えば、お公家さんの子孫は何の役割なんだ。
土地を所有しているだけで、何にも関わっていないと言っているが、
それを単純に信じて良いのか」
「電話で済ませないで、実際に会う必要がありますね。
それに、警察庁に圧力をかけた人間が誰かを知る必要もあるし」
三人で捜査の進め方を話していると、
捜査本部の部屋から田原と森永の二人が出て来た。
田原が小脇に木箱を抱えているところから、引き渡しの手続きを終えたらしい。
二人は篠沢に会釈して、通り過ぎようとした。
それを加藤が呼び止めた。
第一の被害者が殺された日のアリバイを、低姿勢で問う。
田原が戸惑っていると、続けて第二の被害者が殺された日付、
さらには野上家の事件の日付。
立て続けに都合三日のアリバイを問う。
田原の戸惑っている表情は嘘くさい。
「そう聞かれても、・・・困りましたね」
警察にアリバイを聞かれた普通の人間は、必死でアリバイを主張するか、
顔を強張らせて怒るか、あるいは逃げ出すか、大抵は分かり易い反応をした。
ところが田原は違った。
困ったポーズを取るだけで、ソワソワともしない。
まるで加藤の質問を楽しんでいるかのよう。
傍の森永が田原を庇うように前に出た。
「どうやら事件当日のアリバイですね。
証明は警察の仕事でしょう。
当日事件現場に田原が居たと証明しなさい。話しはそれからです」
加藤は相手が弁護士でも、めげない。
「我々の手間を省いてください。
アリバイを我々が確認すれば、それで一件終了です」
「いいでしょう」と田原が森永の肩をポンポン叩いて、交替した。
「私は半年前に森永さんから、住職内定の連絡をいただきました。
それからは京都郊外の一軒家を借りて、そこを基地に峰入りです。
峰入り、分かりますか。
山伏のように山々の峰を踏破する回峰修行です。
短くて一週間、長くて二週間、郊外の山々を山伏のように巡るのです。
疲れては下山し、回復すれば峰入りの繰り返し。
それを先週まで続けていました。
ですから、自慢じゃないけどアリバイを証明してくれる人間は一人もいません」
平然としている田原。
警察に疑われる事を恐れていないようだ。
「仕様がない、そこを手配したのは私なので、住所をメモしましょう」と森永。
内ポケットから手帳を取りだしながら続けた。
「隣近所とは離れているので、誰も何の証明も出てこないと思いますよ」
★
朝、目覚めると招かざる客が居ました。
蜘蛛です。
部屋の片隅で網を張っているのです。
おそらく昨日の風雨を避けるため、部屋に入ってきたのでしょう。
でも、この部屋に網を張っても、獲物なんて居ません。
このままでは飢え死には必至。
さて、どうしますかね。
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