金色銀色茜色

生煮えの文章でゴメンナサイ。

(注)文字サイズ変更が左下にあります。

なりすまし。(34)

2015-12-30 20:56:40 | Weblog
 俺と女の視線が絡み合った。
俺は驚きと戸惑いを覚えた。
夢に見たお嬢様、その人であった。
溺れた筈ではなかったのか。
 当の女は訝しげな目色。
俺を見たが、見覚えがないとばかりに、視線を磯野に転じた。
双眼を細めて磯野を睨む。
威嚇するも、直ぐに興味を失う。
そっぽを向いて盃を口に運ぶ。
 後ろから磯野が説明した。
「お主の夢では、二人して橋から身を投げた、で終わっているが、
実際はそうではない。続きがある。
お嬢様を助けるべく、家臣二人も後を追って飛び込んだ。
そして、お主を引き剥がし、お嬢様だけを助けて川から引き上げた。
そういう事だ」
 俺は見捨てられた。
それはそうだろう。
溺れた一人を助けるには、二人では足りないくらいだ。
それが溺れていたのが二人ともなると、優先順位からしてお嬢様は当然の選択。
俺を見捨てても非難する者はいない。
 俺は磯野を振り返った。
「お嬢様は俺を覚えていないようですが、・・・。
もしかして、お嬢様も」
「そうではない。
変なのだ。
溺れて瀕死であったのが、一夜明けたら別人と言ってもいいくらいに、変わられた。
ほとんど喋られぬ。
かわりに怒りっぽくなられ、手足が出るようになった。
何が気に食わないのか、殴る蹴る、時には投げ飛ばされることもあって、
幾人かが怪我を負わされた。
それで酒を与えて、酔わせるようにしている。
・・・。
そんな困っている時に、溺れていたところを助けられた者の噂を聞いた。
お主以外には考えられなかった。
調べさせると、やはり、お主であった。
それで藁にも縋る思いで、お主を招いた。
お主の顔を見て、お嬢様が元に戻るかも知れぬと考えたのだ」
「駄目みたいですね」
「そうだな。考えが甘かった。どうしたものか」磯野が天を仰いだ。
「酒を与えるだけでは病がますます悪くなると思います。
酒を取り上げて別の手立てを考えてみませんか」
 と、盃が飛んで来た。
俺の肩に当たった。
お嬢様だ。
何やら怒っていた。
「酒を取り上げる」という発言が聞こえ、心証を害した様子のかも知れない。
立ち上がって、こちらに歩み寄って来た。
酔いが回ったかのような、ふらつく足取り。
ところが意外な動き。
俺の油断を見澄まし、スッと間合いを詰めて来た。
そして蹴り一閃。
鮮やかに俺の両足を払った。
俺は受け身一つ取れず、赤子のように転がされた。
慌てて立ち上がろうとするところを、お嬢様が容赦なく襲って来た。
片足を高々と上げ、踵で俺の顔面を踏み潰そうとした。 
俺は反射的に防御した。
仰向けのまま両腕を上げ、十字に交差させて踏みつぶしに来る踵を受けた。
ガシッ。女子にしては強烈な圧。
腕がへし折られるかと思った。
 俺は下から、お嬢様を見上げた。
眩しい白い下腿。
お嬢様は裾の乱れより、俺を踏み潰すことを優先していた。
ぐいぐいと圧してきた。
その乱れた裾から大腿が露わになった。
足の付け根、股間がしっかり見えた。
・・・。
俺は我が目を疑った。
思考能力を失い、頭が真っ白になった。
両腕から力が抜けた。
 大きな声が発せられた。
「方々、お出合いなされ」磯野の叫び。
 一斉にガタガタ、ビシャピシャ。あちこちの部屋の障子、襖が次々に開けられる音。
どうやらこの事あるを予想し、待機していたらしい。
ドタドタと大勢の駆ける足音。
この部屋に駆け込んで来たのは士分だけではなかった。
女中達もいた。
お嬢様を遠巻きに包囲した。
 お嬢様の切り替えは早かった。
俺から離れると後退して間合いを取った。
自分を取り押さえようとする者達を見回した。
妖気を漂わせる目色。
双眼を細めて冷笑を浮かべた。




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なりすまし。(33)

2015-12-26 19:40:20 | Weblog
 襲って来た武家娘は俺を憎々しげに睨み付けながら、
巧みに左右の手を回転させた。
そうまでして憎まれる理由を俺は思い付かない。
でも往復ビンタを喰らっているのも事実。
すでに十発を越えている筈だ。
左右の頬が痛い。
鼻も痛い。
それでも俺は避けない、逃げない。
ただ突っ立っているだけ。
何とはなしに、「ビンタを喰らって当然」と感じていた。
 上唇に温いモノを感じた。
口内で微かに鉄分の味。
ビンタを喰らいながら、慌てて拭い取って見た。
血、鼻血ではないか。
 俺の様子に武家娘も気付いたらしい。
手の動きが緩む。
そこに玄関から飛び出して来た女中達が殺到した。
口々に叫びながら羽交い締めした。
何人かの武士達も騒ぎを聞き付けたのだろう。
彼等も武家娘に駆け寄った。
みんなして武家娘を強引に抱え上げ、玄関に引き返して行く。
武家娘が俺を睨み付けて声を張り上げるが、みんなの宥める声に掻き消された。
その去り際、武士の一人が俺に向けて足下に唾を飛ばした。
 俺は懐より手拭いを取り出して鼻血を拭った。
視界の片隅で磯野が苦笑いしているのを捉えた。
「どうして俺を助けなかったのですか」
「女子にああまでして殴られるなんて、なんて果報者なんだ。
羨ましい。
私が代わって往復ビンタを喰らいたかった」恍けた物言い。
「それじゃ、次は代わりましょう。
ところで、あの娘は誰ですか」
 磯野が悲しげに俺を見返した。
「お主の言うお嬢様の妹様だ。名はお小夜様」
「本来の私であれば、当然、知っている分けですね」
「そうだ。お小夜様とも仲が良かったからな。
お小夜様が怒るのは当然だ。
お主はそれだけの事をした。
期待を裏切った。
・・・。
次も殴られるのであれば、今のように突っ立っているだけでいい」
「それはお断りします」
 俺を玄関に案内しながら磯野が漏らした。
「おそらく誰かが、お小夜様の耳に入れた」と溜め息をつき、
「私が、お主を呼びに行った留守を狙って、この寮に入り込んだのだろう。
・・・。
お主を大川小一郎として、この寮に呼んだのは、お小夜様は勿論、
家中の煩い方々に口出しをさせない為だ。
小川小一郎で誤魔化せると思っていたが、こうも簡単に露見するとはな。
それにしても誰が告げ口したものか」頭を捻った。
 玄関に入ると一人の武士が控えていた。
昨日、使いで現れた三村昌謙だ。
磯野に低頭して、「目覚められています」と言う。
 誰が目覚められたのか。
俺に説明はない。
 磯野は頷きながら、ふと思い立ったように三村をまじまじと見詰めた。
そして眉を顰め荒々しい言葉を吐いた。
「お前であったか、獅子身中の虫は」
 三村の肩がピクリとした。
それでも表情は崩さない。
「何でしょう」
「白々しい。
お小夜様を巻き込むな。騒ぎが大きくなる」
 三村は姿勢を正した。
昨日は弱々しい感じであったが、今日は一変、ふてぶてしい。
「何の事か、さっぱり分かりません」これが彼の本性なのかも知れない。
 磯野は大人の対応。
「お主は家中に敵を作りすぎる。
私まで敵に回して一体どうするつもりだ」言い捨て、俺を奥に案内した。
 三村は片膝を浮かしたものの、結局は付いて来ない。
 磯野が俺に小声で言う。
「済まんな、見苦しい所を見せてしまった」
 奥へ向かう廊下は無人であった。
通り過ぎた各部屋に人の気配はあるものの、誰一人として出て来ない。
「無用の者は部屋に引っ込んでおれ」とでも指示が出ているのだろう。
 商人の寮にしては部屋数が多い。
曲がる廊下も多い。
意図をもった造作なのか、それとも単に増設の繰り返しなのか、
その辺りが全く分からない。
 磯野が一番奥まった部屋に案内し、障子を開けた。
中から酒と化粧の入り混じった異様な空気が廊下に流れ出た。
ところが部屋には酒だけでなく、化粧道具はおろか、人影一つない。
よく見ると、次の間の襖があり、閉じられていた。
どうやら、襖の向こうに原因があるらしい。
 磯野が言う。
「私は苦手なのだ。お主が先に入ってくれ」
 俺は疑いの眼差しで彼を見遣った。
罠があるのか、
彼の眼差しに濁りはなかった。
あれだけの剣の使い手なのに、何が苦手だというのか。
 しようがなく俺は部屋に足を踏み入れ、襖の方へ向かった。
襖に手をかけた。
向こうに人の気配がした。
ザワリと畳を擦るような物音。
殺気は感じ取れない。
 俺は一気に襖を開けた。
途端に酒の臭いと化粧の匂いが入り混じった強烈な空気が俺に押し寄せた。
さっきの比ではない。
思わず俺は噎せた。
鼻と口を押さえて後退りした。
それでも目だけは、しっかりと仕事をし、室内を観察していた。
 布団が敷かれ、あちこちに徳利と丼、紅や白粉を入れた小皿に転がっていた。
香までも焚かれて室内は異様な臭いで、しっちゃかめっちゃか。
片隅に艶やかな着物姿の女がいた。
盃を口に運んだ姿勢のまま、こちらを振り返った。




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なりすまし。(32)

2015-12-23 21:53:57 | Weblog
 玄関の方へ遠ざかる三村昌謙の足音を聞きながら、俺は直次郎に尋ねた。
「どうして、わざと怒ったのですか」
「腑に落ちぬ事ばかりで苛ついて、彼奴に八つ当たりしてしまった」頭を搔いた。
「名前の事ですか」
「それもあるが、先方の遣り方そのものが不自然すぎる。
お嬢様と千住大橋から身投げした夢の話し、私は半信半疑でいたが、
磯野や小野寺の様子からすると、どうやら事実らしい。
主のお嬢様と道ならぬ恋に落ちた末、千住大橋から身を投げた事になる。
となれば生き残った小一郎さんを強引に連れ去るか、切腹を迫るのが武士の習い。
実際はそうなっていない。
それが腑に落ちない」
 確かに。
磯野と小野寺の二人の来訪は目的が今一つ、はっきりせぬが、
千住大橋から身投げした夢の話しには興味を示した。
そして俺がお嬢様の名前を覚えていない事に憤慨した。
あの生々しい反応こそが、事実の反映なのだろう。
 記憶を無くしても尚、身投げの一件のみを夢で見るとは、
俺は自分の頭の中身が理解出来ない。
夢は何かの暗示なのか。
何かをさせたいのか。
もしかして、俺に何かを訴えているのか。
 疑問を抱えたまま翌日になった。
俺は朝から直次郎に難題を突き付けられた。
「今日は自分で刀を振ってみよう。
太刀筋を理解したかどうかは、自分で振ってみれば分かる。
それに自分で振ることによって、新たに得ることもある」と説明され、
俺は刀を手渡された。
 ずっしり感。
商売柄、竹刀を振った事はあるが、真剣は初めて。
刃紋が俺を惹き付けた。
刀工は分からぬが、美しい。
「刀に見惚れても上達はしない。さあ、振ってみようか」直次郎から檄が飛んだ。
 迎えが来た時には俺は疲労困憊していた。
両手両足がパンパンであった。
「私に出来るのは、ここまでだ」直次郎が残念そうに言う。
 俺は直次郎に感謝した。
徳兵衛や使用人達にも感謝した。
そして、「助けていただいた命、無駄には捨てません」と約束した。
 迎えに来たのは磯野であった。
「参りますかな」と暢気な口調で言う。
 寮から離れると磯野が俺に問う。
「家名を知りたいですか」
「今さら。行けば分かるのでしょう」
「はっはっは、確かに」どういう分けか、前回よりも口が軽い。
 船着き場には屋根船が待っていた。
船頭が俺達に気付くと、さっと腰を上げた。
他に人影はない。
 二人が乗り込むと船頭は手早く舫いを解き、艪を漕ぎ始めた。
思ったよりも船足が速い。
すすっと向こう岸へ向かう、
そして中ほどで、へさきを斜め上流へ向けた。
 俺は磯野に尋ねた。
「浅草の上流に武家屋敷が有りましたか」
「そんなに多くはないが、少しはある。
我らが向かうのは屋敷ではない。
商家から借りている寮だ。
色々とあって、寮を借りてる」
 浅草今戸を過ぎた辺りの船着き場。
そこで船を下りて街中に入った。
街中と言っても、寺院の数の方が多い。
寺院と寺院の間に民家、長屋が軒を並べ、庶民が生活していた。
 磯野が案内したのは、その街の外れ。
寮は田圃に囲まれていた。
寮にしては赴きのある門構えであった。
とても一介の商人の持ち物とは思えない。
曰くありげ。
 門は閉められていた。
門番もいない。
磯野に続いて門の脇の通用口を潜った。
玄関へと向かう。
 と、玄関から一人が飛び出して来た。
血相を変えた表情の武家娘。
一直線に、こちらに駆けて来た。
磯野が足を止めて、両手を広げた。
阻止しようというのか。
俺は邪魔にならぬように足を止めた。
 玄関から、
「お待ちなさい」「お止めなさい」
口々に喚きながら女中らしき者達が飛び出して来た。
 娘は素早かった。
身を屈めて磯野の両手を潜り抜け、俺の真正面に来た。
険しい表情をしていた。
俺はどうすべきなのか、分からない。
戸惑っていると、予想だにせぬ事が起こった。
娘が勢いのまま、俺に体当たりを喰らわせたのだ。
蹌踉めく俺。
娘は容赦なかった。
俺の頬に平手打ち。
続けて二発、三発。
四発目が鼻に入った。




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なりすまし。(31)

2015-12-20 07:39:18 | Weblog
 直次郎が快諾した。
「逃げるためか、面白い。
さっそくだ、今から始めようか」
 庭先に下りて腰の刀を抜いた。
相手を想定して頭上に高々と構え、一気に振り下ろした。
いわゆる、真っ向唐竹割。
それを何度か繰り返した。
最初はゆっくりだったものが、次第に早まる。
動きに呼吸も合わせて行く。
 徳兵衛が俺に言う。
「直さんの腕前は、そいつぁ、てぇしたもんなんだ。
道場では免許を得てなさる。
喧嘩も滅法つええよ。
あれは去年のことなんだが、三人の浪人を、たちどころにして峰打ちで倒しなすった。
その早業には驚かされたね」
 俺はその言葉に押されるように庭先に下りた。
 直次郎は慣らしに満足したようで、手を止め、俺に相対した。
刀を中段に構え直した。
「太刀筋と言っても、多くはない。
真上から振り下ろす。
袈裟に斬る。
横に薙ぐ。
下から袈裟に斬り上げる。
突き。
手を持ち替えて逆に斬る。
そんなところだろう。
難しいのは、それの組み合わせだな。
でも、まあ、慣れれば何とかなるだろう。
・・・。
手始めに唐竹割りを進上しよう」
 言うが早いか、軽く持ち上げて、気合い一発、頭上から刀を振り下ろした。
目にも留まらぬ早業。
刃風が鼻先を掠めた。
振り下ろされた後で俺は、不覚にも足下が蹌踉めいた。
真剣の迫力に冷や汗をかいた。
 直次郎は残心で中段に構え、俺を見据えていた。
無表情。
「もう一度」
 三日後、寮に来客があった。
若い武士で、「磯野の使いで参りました。大川小一郎様にお会いしたい」と言う。
 その時、俺は庭先で直次郎に絞られていた。
刃先を躱すだけなのだが、これが命懸け。
直次郎が一切の手加減をしないのだ。
「ただ躱すだけでは遊びだ。
いつでも相手の懐に飛び込む心積もりで。
隙あらば、この腰の脇差を抜いて突くぞ、と。
その意気込みが伝われば、相手も侮れなくなる。次の踏み込みを躊躇う」
 そこに徳兵衛が現れた。
若い武士の来訪が伝えられた。
おかしいことに大川小一郎と名指し。
本名の不破信孝ではなくて大川小一郎とは合点が行かない。
何らかの意味を込めているのか。
俺だけでなく、直次郎も首を捻った。
徳兵衛も、「取り敢えず客間に通して置いた」と首を捻った。
三人で客間で客と相対することにした。
 その若い武士はノンビリした表情でお茶を飲んでいた。
俺達三人が入っても、お茶を手放さない。
「美味しいお茶ですね。
私ごときには勿体ない」数寄者のような手付きで茶碗を撫で回し、
「この茶碗の手触りも良い」と褒めた。
 徳兵衛の表情が変わった。
茶碗と急須を見て、愕然とした。
どうやら女中の誰かが、来客が若い好ましい武士と見て取り、
賓客用の物を出したらしい。
よくよく見たら、お茶菓子も添えてあった。
今にも、こめかみの血管が切れそう。
 徳兵衛が沸点に達する前に俺は口を開いた。
勿論、相手は若い武士。
「私が大川小一郎です。
磯野殿のお使いで参られた、とか。
その御用の赴きは」
 若い武士は軽く会釈し、
「それがしは三村昌謙と申します。
今後ともお見知りおきを。
それでは磯野の言葉を伝えます。
・・・。
当家にお招きする用意が整いましたので、
明日の昼前に迎えの船を廻すように手配した。
それにて参られますように。
・・・。
宜しいですか」丁寧な物言い。
 直次郎が割り込んだ。
「お断りしたら」
「お断り、・・・何故です」目が泳いだ。
「その当家の名前を聞かされていない。
名前の分からぬ屋敷に友を行かせる分けがないだろう。
顔を洗って出直してこい」一喝した。
 普段は温厚そのもの直次郎。
それが屈強そうな見掛け丸出しで怒ったものだから迫力がある。
泥鰌髭をも逆立て、食い付かんばかりに相手を睨み付けた。
 驚いた三村が手元の茶碗を取り落とした。
彼は、「しまった」ばかりに顔を顰め、慌てた手付きで粗相を詫びて茶碗を拾い上げ、
懐から手拭いを取り出して濡れた畳を拭き始めた。
 徳兵衛も懐から手拭いを取り出し、三村を手伝った。
飲み残したお茶が零れた程度なので、拭き取るのに手間はかからない。
一通りの始末を付けたところで、徳兵衛が三村の手拭いを取り上げた。
「絞ってきます」
「済まぬ」小さな声。
 直次郎は徳兵衛が立ち去るのを見送りながら再度、三村に尋ねた。
「お家の名を出すな、と指示されているのか」
「そういう分けでは」
「だったら申せ」
 三村は目を逸らし、顔を伏せた。
「指示無き事は申せません」
 俺は直次郎を振り向いた。
意外にも彼は余裕の表情で俺を見返し、片頬を緩めた。
呆れた。
どういう考えか知らぬが、彼はわざと怒って見せたのだ。
 俺は三村が気の毒になった。
「分かりました。
明日のお迎えを待っています」
 途端に三村が顔を上げた。
「有り難う御座います」言うや、会釈もそこそこに、
直次郎とは顔も合わぬようにして立ち上がった。
礼儀としては手拭いを絞りに行った徳兵衛の戻りを待つものだが、
余裕がないようで、逃げるように、さっさと部屋から出て行った。




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なりすまし。(30)

2015-12-16 19:47:26 | Weblog
 俺は直次郎の言葉に迷った。
出来ればそうしたい。
とっとと逃げ出したい。
「俺が逃げれば、みなさんに迷惑がかかります」
 直次郎が泥鰌髭に片手を伸ばした。
指先で弄ぶ。
「迷惑なんてことはない。
私達は小一郎さんを捕らえている分けじゃない。
溺れていたから助けた。
元気になったから勝手に出て行った。
それで良いんじゃないかな」気楽な口調で言う。
 女中の三人がドカドカと走って現れた。
俺と直次郎を取り囲み、口々に言う。
 狸顔の、かよ。
「詳しい事は分からねぇ。
けどねぇ、逃げな。
命あっての物種だよ」
 子持ちの、きよ。
「そうだよ。
あのお武家さんには敵やしねぇ。
あの人は滅法つえぇ。
とっとと逃げることだねぇ」
 一番若い、ふゆ。
「よかったら、うちの長屋にでも隠れる。
ボロ長屋けど、住んでる人だけは多いから、隠れるには都合がいいよ」
 事情も分からないで、俺の身の上を心配してくれた。
「気持ちは有り難い。
しかしだ、匿ってくれそうな友の名も、親族の名も思い出せない。
だからどこにも逃げられない」そう言うと、三人は押し黙った。
 見送りから徳兵衛が戻って来た。
下男の伊平も顔を出した。
「辺りを、それとなく見回したが、見張りは置いていない。
逃げるなら今のうちだよ」徳兵衛も逃げろと言う。
 普段は口の重い伊平までが心配してくれた。
「上総に逃げて、下総、常陸の何れに向かって追っ手の目を眩やしたらどうでぇ」
 俺は夢に見るお嬢様が気になっていた。
生きているのか。
いや、たぶん、生きていないだろう。
俺は溺れたものの、流れ着いて九死に一生を得た。
助かったのは奇跡に近い。
その奇跡が都合良く、二人同時に起きる分けがない。
お嬢様の遺体は見つかったのか。
見つかったとしたら、実家に運ばれたのか。
運ばれたのであれば、許されるのであればだが、線香の一本も上げたい。
俺は本人に成り代わって線香を上げる義理があると思った。
 不意に昔の事を思い出した。
高校時代に友人達と無駄話に興じていた時の、話題の一つだ。
いわゆる、「究極の選択」というモノだ。
「決断出来ず、迷いに迷った時、お前ならどうする」友人が話題を振った。
色んな答えが出た。
俺はその中の一つに心惹かれた。
「まず選択肢を二つに絞る。
例えば近道なのか、遠回りなのか。
あるいは軽いのか、重いのか、という風に。
普通は近道、軽いを選ぶだろうね。
誰しも面倒は嫌いだからね。
だけど俺は遠回り、重いを選ぶ。
臍曲がりだから常識的な選択はしない。
遠回りの方へ、重い方へと歩き、別の風景を見る
たぶんだが、そちらだと、敵も競争相手も少ないだろうね。違うかな」
 俺は、みんなを心配させたくないので口にはしないが、
相手に身を委ねる事を選択した。
ここで逃げれば何の解決にもならない。
無謀かも知らないが相手の懐に入り、解決の糸口を探る。
もしかして何か得られるかも知れない。
何も得られなかったら、それはその時に考えればいい。
むざむざ殺されるつもりはない。
危ないと感じたら逃げる。
とにかく逃げる。
どこに逃げれは良いのか分からないが、それでも、とにかく逃げる。
俺は武士ではないから、逃げることに躊躇いはない。
武士の矜持なんてモノは、そもそも持ち合わせていない。
 俺は直次郎を振り向いた。
「お願いがあるのですが」
「何かな」
「太刀筋を見極めたいのです。
真剣での演武をお願い出来ませんか」
 直次郎が訝しげな顔をした。
「あの磯野に勝とうというのか。
それは幾ら何でも無理だろう」
「いいえ違います。
今からでは付け焼き刃です。
勝つ為ではなく、万一の際に逃げられるように、太刀筋に見極めたいのです。
太刀筋を見極め、逃げに徹すれば逃げ切れると思うのです」




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なりすまし。(29)

2015-12-13 07:30:09 | Weblog
 磯野が視線で俺を牽制した。
「右にも左にも、後方にも逃さぬ」と言わんばかり。
俺をその場に釘付けにした。
まるで蛙と蛇。
蛇がジリジリと間合いを詰めて来た。
間境の手前で木刀の切っ先が軽く上に持ち上げられた。
蛇が鎌首を擡げたかのように見えた。
次の瞬間、それが俺を襲う。
スルスルと伸びて来た。
面。
 俺は受けるので精一杯。
相手の木刀が撓る鞭のように見えた。
無駄の無い動きで俺の胴が、小手が、立て続けに狙われた。
 俺も職業上、多少は剣道も嗜んだ。
なのに何一つ返せない。
後手、後手に回ざるを得なかった。
付け入る隙がない。
 幾度か木刀が絡み合い、当たって乾いた音を立てた末、ついに鍔迫り合い。
磯野が俺を睨み付けた。
血に飢えた獣のような獰猛な眼力。
それを間近にして、恐怖を覚えた。
剛力で押されるも、それでも必死で抵抗した。
ここで譲る分けには行かない。
 誤算であった。
それも完全な誤算であった。
人殺しの経験値は俺が上。
相手は太平の世が長く続いて人斬りの経験値が無いか、低い武士と侮っていた。
対峙してみて分かった。
経験値ではなかった。
相手から武人の気概が漂って来るのだ。
弛まぬ鍛錬を積んだ成果だろう。
敵を斬るだけでなく、自身の斬り死にさえも覚悟しているに違いない。
躊躇いがない。
グイグイと俺を押してきた。
比べて俺は敵と、こうして間近に対峙した事がない。
感情と感情を直接ぶつけたことがない。
遠くから狙撃するか、不意を突いて射殺するか、安易に任務をこなしていた。
前に乗っ取った雨宮にしても同じ。
彼は擦れ違い様の刺殺を得意とし、鍔迫り合いなんぞとは縁がなかった。
 不意に足が払われた。
予想もしていなかった。
背中からドッと落ちて行く。
空が青いのも一瞬、背中に痛みが走った。
幸い木刀までは手放していない。
慌てて起き上がって磯野を探した。
 いた。
余裕を見せ付けるかのように、彼は間合いを置いて俺を待っていた。
俺が構え直した瞬間、彼が甲高い気合い一発。
再び跳んで来た。
飛鳥の早業で間境を軽々と越えた。
木刀が真っ直ぐに伸びて来た。
俺の喉元を突いて来た。
身動き一つ出来なかった。
終わったと覚悟した。
 風を感じた。
首の右をスレスレに触れたか、触れないか、木刀が過ぎて行く。
手加減された。
右肩に激しい衝撃。
勢いのまま相手の左肩が俺に当たった。
身体が宙に浮いた。
木刀が舞った。
今度は真っ暗、背中から落ちて行く。
 気付いたら俺は座敷に寝かされていた。
天井が見えて、それと気付いた。
起き上がろうとすると、誰かに制された。
「無理するな」直次郎が傍にいた。
徳兵衛や磯野、小野寺もいた。
俺は溜め息をついた。
「手も足も出ませんでした」
 小野寺が、
「それはそうだ。
この磯野はお主の兄弟子で、手の内は知り尽くしている。
そもそも、最初から勝てないんだ」結果は当然の口調。
 俺は磯野に尋ねた。
「私はこんなモノだったのですか」
 磯野は複雑そうな表情。
「もっと上手かった。
以前のお主は私から三本の内の一本は取っていた。
今日はその欠片もなかった。
おそらく記憶と一緒に、長年掛けて体得したモノまで忘れてしまったのかも知れん。
・・・。
私達の役目は終わった。
屋敷に戻ってお主の状態を上に伝える。
その間、・・・ゆっくり休んで、・・・処分が出るのを待て」最後は歯切れが悪い。
 小野寺が、長居は無用とばかりに立ち上がった。
それに磯野が続いた。
直次郎と徳兵衛に丁寧に礼を述べて辞去した。
 見送りは徳兵衛に任せて直次郎が俺の傍に残った。
「小一郎さん、それとも不破信孝さんかな。」
「小一郎の方が耳障りが良いようです」
 直次郎がニコリとした。
「それでは小一郎さん、処分が決まる前に逃げる事を勧める。どうかな」




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なりすまし。(28)

2015-12-09 21:39:11 | Weblog
 お嬢様の名前は、と問われて答えられる分けが。
即答できぬ俺に左の武士が苛立ちを露わにした。
畳をバーンと叩いて、
「共に身を投げたというに、自分の事は忘れても構わんが、
お嬢様の名前を忘れるとは、許せん」最後に、「馬鹿者」と怒鳴った。
 右の武士が苦笑して立ち上がった。
無表情で俺を見た。
「どこまで忘れているのか、一つ試してみたい。剣術でな。
ワシはお主と同じ流派。師匠が同じなのだ。
荒事にはせぬ約束だから木刀でどうだろう」言葉とは裏腹、目色は穏やか。
 意外だった。
左の武士に比べて物静かな印象だったのが、この突拍子もない提案。
理解できないが、武士らしいと感心した。
武士は本来そういうモノなのかも知れない。
頭で考えるより先に刀を振り回す。
そして終わった後から理屈をつける。
 徳兵衛と直次郎が俺を心配した。
「受けることはねぇよ、小一郎さん」
「私もそう思う」
 二人の心配は分かるが、二人の言葉を額面通り受け取るのも、どうかと思った。
火事と喧嘩は江戸の華。
喧嘩を買うことが粋なのだ。
無様に逃げると野暮呼ばわりされた。
俺は仮にも武士。
ここで引き下がっては武士の沽券にも関わる。
記憶喪失や体調を言い訳にしてはならない。
挑まれれば受けるのが武士の務め。
それに彼の言葉を信じれば同門だという。
だとすれば、記憶を喪失していても、体得したモノまでは忘れていないはず。
木刀を構えれば自然に身体が反応するはず。
「はず」だけを頼りに立ち上がった。
俺は相手に視線を向けた。
「受けます。それで木刀は」
 安心もしていた。
太平の世が長く続き、ほとんどの武士は斬り合いの経験がない。
真剣を振り回した事があっても、それはただの鍛錬。
多くは人を斬る事もなく人生を終えていた。
比べて俺は少なくとも両手で余る人間を殺した。
恨み辛みではなく職務としてで、失敗した事がない。
残念なのは何れもが銃撃によるもの。
斬撃はないが、それでも人殺しの経験は俺の方が上。
負ける分けがない。
 相手は俺から視線を外し、直次郎を振り向いた。
「そういうことで申し訳ないが木刀をお借りしたい」
 言葉は丁寧だが、木刀を二振り持っていて当然と言わんばかり。
 こうなると誰も止められない。
俺は進んで庭先に下りた。
素足で足下を確かめた。
雑草が良い具合に茂っているだけで、小石もなければ、木の枝も落ちていない。
足場よし。
 相手も追って来て、俺の隣に肩を並べた。
「私は磯野宗典という。
お主には何の恨みもないが、こういう仕儀と相成った。
主持ちでは断れないからな、悪く思わんでくれ」
 座敷に残った同僚を指し示して、
「あれは小野寺謙秀という。
口が悪いだけで悪意はない。許してやってくれ」庇った。
 直次郎が二振りの木刀を持って来た。
「慣れぬ者でも振り回せるように軽い物を買い揃えて置いた」
 おそらく自身の鍛錬ではなく、夜盗に備えて、
徳兵衛と下男の為に用意して置いた物なのだろう。
それを俺と磯野に手渡した。
 確かに言葉通りに軽い。
それを俺は一振り、二振りし、最後に大きく振り回した。
実に扱い易い、が、軽すぎた。
下手すると勝負途中で折れるかも知れない。
 磯野も俺と同じ様に振ってみて具合を確かめた。
大人の余裕なのか、不満顔をするも口にはしない。
 直次郎が二人の間に割って入った。
「私が立会人を務めます」
 その言葉を合図に俺と磯野は左右に分かれた。
十分な間合いを取った。
それを詰めるには一足では足りない。
少なくとも三足。
 廊下に徳兵衛と小野寺が現れた。
互いを無視し、距離を置いて腰を下ろした。
 下男や女中達も姿をあった。
庭の片隅に、ひと固まりになり、固唾を呑んで見守っていた。
 俺は正眼に構えた。
ジッと相手の出方を待つ。
 磯野も同じ様に正眼に構えた。
鋭い眼光。
木刀の先端をフラフラと揺らし、静止させた瞬間、躊躇いなく跳んで来た。
間合いを一挙に縮めた。
面。
 俺は辛うじて右に躱した。
真正直に受ければ、木刀がへし折られ、額を直撃したに違いない。
 磯野は構え直すと不敵な眼差し。
ジリジリと距離を詰めて来た。




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なりすまし。(27)

2015-12-06 07:38:09 | Weblog
 この寮は豊前屋の持ち物である。
豊前屋は神田の質屋だ。
質屋と言っても小さくはない。
日本橋、上野にも支店を構え、質草で利鞘を稼ぎ、
貯まった小金を商家、武家等に貸し付けて財を成していた。
豪商には数えられていないが、近い存在である事は間違いない。
 当主は代々、豊前屋太郎左右衛門の名跡を襲名した。
当代は五代目。
その五代目が何の前触れもなく、川船を用いて寮を訪れた。
いつもなら当主のみが使用する奥座敷に真っ先に入るのだが、
寮の差配をしている徳兵衛の挨拶も、「忙しいから手短に」と省略させ、
自ら大広間に足を向けた。
 俺と直次郎が大広間に呼ばれた。
座敷に入ると徳兵衛と同じ廊下側に腰を下ろした。
反対側には御店者二人、顔を強張らせた武士二人が座っていた。
主の太郎左右衛門は当然、上座。
五人の視線が一斉に俺に注がれた。
値踏みしているが分かった。
 直次郎は主とは懇意であるようで親しく挨拶したが、俺にとっては未知の人。
自分でも呆れる程の堅苦しい挨拶をした。
「この度は寮の方々に助けて頂いたのみか、丁重な持て成しを受けております。
まことに有り難う御座います」
 言上として正しいかどうかは知らないが、上座の主がニコリとした。
商人というより、額が広くて学者然としていた。
 太郎左右衛門が表情を和らげた。
「徳兵衛から詳細に聞いております。
お元気そうで、なにより。
仮の名は大川小一郎さんでしたね」丁寧な物言い。
「はい、みなさんに付けて頂きました」俺も丁寧な語感を意識した。
「気に入りましたか」
「はい」
「それは良かった。
ところで肝心の記憶は」
「いまだ何も思い出せません」
「そうですか、残念ですね。
・・・。
貴男には何の含む所も有りませんが、こういう商売をしていると色々、
好きでは有りませんが、しがらみが生じます。
金子で解決できれば簡単なんですが、中には断れない事も」言葉を切り、
片手を上げて、武士二人の方を指し示した。
「この方々が是非とも貴男にお会いしたいというので、ご案内しました」
 武士二人が軽く頭を下げて、誰にともなく無言の挨拶をした。
そして厳しい視線を俺に向けて来た。
 太郎左右衛門が、
「前もって、荒事にはしない約束を取り付けています。
家名は出せませんが、確かなお歴々です。
安心して話しだけでも聞いて下さい」と俺に言い、
視線を直次郎に転じ、「立ち会いを願います」と、
そして、「私は商売がありますから」と言って立ち上がった。
見送ろうとする徳兵衛を、「無用です。貴男も立ち会いなさい」と断った。
 俺が思わず、その後ろ姿に、「感謝します」口走ると、
太郎左右衛門は振り向いてニコリと頷き、御店者二人を従えて、足早に立ち去った。
 座敷には俺と直次郎、徳兵衛、武士二人が残された。
誰も口火を切らない。
もるで睨み合い。
俺を見る左の武士の視線に殺気が籠もってきた。
間が持たない。
 徳兵衛が膝を崩した。
「猫の喧嘩じゃあるまいし、睨み合っても、しょうがねぇ。
ご用件を窺いやしょう」主がいないと、いつもの口調に戻った。
 左の武士が徳兵衛を無視し、俺に言う。
「のぶたか」怒鳴りつけんばかり。
 のぶたか、・・・野豚か、それは無いだろう。
思わず聞き返した。
すると相手は激した。
「忘れた振りをするのか卑怯者。
町人共は騙せても俺は騙せんぞ、のぶたか」
 直次郎が間に入った。
「のぶたか、というのが本当の名前なのですか」穏やかに問う。
 代わって右の武士が正しい文字で教えてくれた。
不破信孝。
俺は全く覚えがない。
琴線にも触れない。
 徳兵衛が言う。
「小一郎さんは、なにもかも大川の水に流しちまった。
自分の名前に親御さんの名前、それにお家の名。
嘘偽りはねぇよ」
 直次郎が問う。
「どちらの御家中ですか」
「答えられる分けがなかろう」左の武士が吐き捨てた。
 右の武士が言う。
「信孝、ワシをも忘れたか」顔を突き出した。
 見覚えがない。
これまた琴線にも触れなかった。
 左の武士が片膝を浮かした。
「力尽くで連れ帰ろう」本気度が伝わって来た。
 応じて直次郎と徳兵衛二人が片膝を浮かした。
立ち向かうつもりらしい。
俺には他人事のようにしか捉えられなかった。 
 そんな俺を見て、右の武士が哀れむ。
「不甲斐ない。実に不甲斐ない。
お二人がお主を守ろうとされるのに、肝心のお主は身動き一つしない」
 左の武士も理解したのか、座り直した。
俺をジッと見据えた。
「以前のお前は小僧のくせして肝だけは太かった。
なんだ、この、ていたらくは」蔑む眼差し。
 右の武士が、「気概まで無くしたのか」無念そうに呟き、同僚と顔を見合わせた。
 俺は気に掛かっていた事を口にした。
夢に見る千住大橋の一件だ。
お嬢様と川に身を投じる夢。
「実は、・・・」と全てを語った。
 聞くに連れて二人の顔色が変じて行く。
最後には怒りの表情。
左の武士が再び片膝を浮かすと、それを右の武士が片手で制しながら、
強い眼力で俺に問う。
「お嬢様の名前は」




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なりすまし。(26)

2015-12-02 21:13:58 | Weblog
 船着き場とその周辺には幾人もの太公望が残っていた。
腰を据えて糸を垂らしていた。
一人が無言で立ち上がった。
ゆっくり竿を持ち上げ始めた
糸が釣果を表していた。
姿を現した大きな魚に釣り人の表情が緩む。
ところが詰めが甘かった。
手元に引き寄せようとした途端、外れた。
ボチャッと音を立てて川に落ちた。
その釣り人は、あんぐりと口を開いた。
左右の釣り人から、「逃がした魚はマジ大っきいな」「今の魚、俺が貰い」と。
 俺は視線を巡らして其奴を探した。
背中と横顔しか見えないが、見落とす分けがない。
慎重に探した。
いない。影も形もない。
 直次郎と徳兵衛は俺や釣り人の邪魔にならぬように、少し離れた所に控えていた。
俺は、そちらに向かって首を横に振った。
ところが二人は残念そうに思っていない様子。
 俺が二人の傍に寄ると徳兵衛が口を開いた。
「これで其奴が小一郎さんの顔を確かめに来やがった、と分かった。
たぶん、そうなんだろう」
 俺が、「たぶんですか」と言うと、
徳兵衛が平然と、
「俺達は町方の同心とは違うんだっからよ、それだけで充分だろっ」言ってのけた。
 俺は今一つ、納得できなかった。
果たして、そうなのだろうか。
一つに絞って良いのだろうか。
思わず、「別の可能性は」言葉にした。
 徳兵衛は直次郎と顔を見合わせた。
 俺は二人を交互に見た。
「寮の新しい侍を確かめに来た、という事は考えられないかな」
「何の為に」直次郎から聞かれた。
「夜盗の下見ということは」
 直次郎は徳兵衛を振り向いた。
「盗みたくなるような物が有りましたかね」
 首を捻る徳兵衛。
「・・・、金目の物はねえ。
店の蔵に入りきらねぇと、こっちに持って来るが、ここんとこの不景気で、それもねえ」
 直次郎は俺を見て、肩を小さく竦めた。
「だそうだ。
景気が良ければ俺の給金も上がるんだけどな」
 それでも俺は納得できなかった。
言葉に出来ないので、心で嘆いた。
「そもそも俺は赤の他人。
なのに何の因果か、記憶を失った男の尻拭いをせねばならぬ立場に置かれるとは」
 真実を訴えれば、ややこしくなるだけ。
時間を費やしても理解して貰えるとは、到底思えない。
まあそれでも、とにかくは、自分が騒ぎの原因になる事だけは勘弁願いたい。
 翌日になると自分が原因であると、はっきり分かった。
隣近所の者が、
「見掛けぬ者に、溺れていた若い侍さんの事を根掘り葉掘り尋ねられた。
形は町人だったけど、あいつは二本差しだね
何の魂胆か知らねえが、注意しなせえ」
と知らせてくれた。
 それも一人や二人ではなかった。
近辺の者のみか、寮に出入りしている棒手売りも尋ねられたという。
 俺は困った。
相手の思惑が分からない。
出方も分からない。
肝心の家中名も分からない。
 直次郎が慰めてくれた。
「なるようにしかならん。
その時の為に力を溜めておけ。
ところで前もって聞いて置くが、剣の腕は」
 はたと困った。
剣の腕ときた。
俺は剣道、柔道の経験はあるが、それは平和な時代に即したもの。
剣道は竹刀を用いるし、柔道は逮捕が前提。
とても真剣の時代で通用するとは思えない。 
得意なのはナイフだが、これとて相手が刀では自信がない。
 俺の顔色を見て、直次郎が正直に溜め息ついた。
「ふっ、駄目か。
それもそうだな。今時、剣は流行らない。
・・・。
万一に備えて、手持ちの金子は懐に仕舞って置けよ。
いつでも、どこからでも心置きなく逃げられるようにな」
「心配かけて申し訳ない」
「ついでに、この剣を貸そうか」腰の大刀の柄に手をかけた。
「走るのに大刀は邪魔です。この脇差しだけで充分」
「逃げるのに決めたか」
「別けも分からないのに戦えません」
 脇差し姿で逃走する自分を思い描いた。
どこに逃げれば良いのかわからないが、とにかく戦わないで済む選択をした。
 逃げられなかった。
相手は真正面から来た。




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