侍女と女武者が董卓の使いを案内して来た。
その者は部屋に入るなり、両膝をつき、大袈裟に拱手をした。
「お目通り、感謝いたします」と顔を伏せたままの姿勢で言う。
埃に塗れた軍装だが身分は武官と分かった。
それにしても、いやに、か細い体軀ではないか。
「北伐は辛い軍務」とは聞いていた。
それにしても、ここまで痩せるものだろうか。
思わず聞いてしまった。
「身体は大丈夫なの」
その武官の肩が揺れた。
顔を上げていないので表情は見えないが、苦笑いしているような声音。
「この身体は生まれつきです」
「顔を上げなさい」
ゆっくり現れた顔。
額が広く、両目が大きい。
目が大きいからではないが、目端が利くような顔をしていた。
「名は」
「李儒と申します」
「国軍の者なの、それとも将軍の家臣なの」
「元は朝廷に文官として端の方にて仕えていましたが、色々ありまして、
今は、将軍に乞われて家臣となりました」
珍しい。
朝廷の端の方にいても文官であるのなら、それなりの官位にあったはず。
切っ掛けさえ掴めば昇進も望める。
なのに、それを捨てて将軍の家臣に降るとは。
朝廷での出世より、董卓に望みを託したのであろうか。
太后としては大いに気にかかった。
「董卓にどうやって口説かれたのしら」
李儒は直ぐには答えない。
少し間を置いて、おもむろに口を開いた。
「北の方は広々としていて気持ちが良い。
有るのは三つの色のみ。
足下は草色。見上げれば青色。
真冬ともなれば一面が雪化粧。
そこで暮らすのは獣のような野蛮な連中ばかり。
狼がいて、匈奴がいる。
強い者のみが生き残れる単純な世界だ。
見てみようとは思わないか」
おそらく李儒は話を端折っているのだろう。
場所柄を考え、言葉を選んだに違いない。
董卓の事だから朝廷の有り様の批判もあっただろう。
特に宦官の存在には辛辣で、追放を主張している一人。
李儒に、「文官は宦官がいる限り出世は望めない」と吹き込んだに違いない。
そうまでして手元に置きたいからには、李儒に才気を見たのだろう。
どんな才気かは知らないが、董卓は無駄飯を喰わせるほど優しくはない。
董太后は李儒を値踏みしながら話しを本筋に戻した。
「分かりました。それで使者のおもむきは」
「洛陽の地震が起きたと分かり、将軍は太后様や皇帝陛下の身を案じておられます」
「心配させたわね。
わらわは元気よ。
帝も症状は変わらないけど、無傷。
でも、ここに来るまでに見たでしょう。
王宮も町中も酷い有様。手の付けようがないわ」
「はい、見ました。実に酷い有様です」
「それで将軍は」
「こちらに急ぎ戻られております。
五日もあれば全軍、帰還出来ます」
「全軍・・・」と太后は漏らし、
「今、手元の兵力は如何ほどか」と真剣に問う。
「貴族、豪族の部隊は、それぞれの領地に戻しましたので、手元には国軍のみです。
兵力は四千。
元は五千でしたが、匈奴との戦いで四千に減らしました」
太后は思案し、申し渡した。
「悪いけど急ぎ将軍の元に戻り、洛陽への入城は行わず、
洛陽の北に布陣するように伝えてちょうだい。
匈奴が何時ものように南下を開始したのよ。
すでに今年の北伐の軍も出撃させたけど、なんだか心許なくてね。
将軍が北に布陣してくれるのなら一安心だわ」
匈奴といっても一つではない。
かつては一つの大勢力であったが、いまは南北に分かれていた。
南匈奴は多数派で後漢とは比較的友好な関係を取るようになった。
もう一つの少数派、北匈奴は後漢とは敵対関係を維持したまま、
南匈奴とも血で血を洗う骨肉の争いを繰り広げていた。
問題は匈奴が南北に分かれたことにより、戦力が減じた事にある。
そこを突くように新たな騎馬民族が台頭し始めた。
代表格は鮮卑であり、烏桓であった。
新たな騎馬民族ではあるが、
匈奴が一大勢力になる前に北方を支配していた東胡なる騎馬民族の残党でもある。
とにかく北方の遊牧民は多種多様で力による離合集散を繰り返していた。
為に、中華の人々には匈奴 も鮮卑も烏桓も区別が付けにくく、
南下して来る騎馬民族は全て、「匈奴」と一括りにして呼んでいた。
李儒が目を輝かせた。
「了解しました。戻って伝えます。
それからもう一つ。
申し遅れましたが、太后様は華佗をご存じですか」
巷では医術、薬師として知られていた。
「放浪癖があり、所在不明の日が多い」としても知られていた。
放浪癖といっても事実ではない。
薬草に興味があり、暇があると常に山中を探し歩き、帰らぬ日々が続くのだ。
「聞いた事がないわ」
「市井の医家では最高の腕だそうです」
董太后は興味を覚えた。
「宮廷の薬師達よりも優秀なのかしら」
「おそらく。
悪い噂は聞いた事がありません。
市井で数多くの病人を診ているので、経験も豊富です」
宮廷で患者が出ると、朝廷勤めの薬師が治療を行う。
薬師は薬草だけでなく医術の心得もあり、腕は確かだった。
その薬師だけで事足りることが多く、医家が朝廷に割り込む隙は一分もなかった。
「その華佗がどうしたの」
「将軍の伝手で華佗が軍に帯同し、都に向かっています。
朝廷の薬師が手に負えない病人を華佗に診せたらどうでしょうか」
小憎らしい。
覚醒せぬ帝を看病しているのは方術師を兼ねる薬師達だが、
一向に快方に向かっていない。
言外にそこを突いて来た。
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その者は部屋に入るなり、両膝をつき、大袈裟に拱手をした。
「お目通り、感謝いたします」と顔を伏せたままの姿勢で言う。
埃に塗れた軍装だが身分は武官と分かった。
それにしても、いやに、か細い体軀ではないか。
「北伐は辛い軍務」とは聞いていた。
それにしても、ここまで痩せるものだろうか。
思わず聞いてしまった。
「身体は大丈夫なの」
その武官の肩が揺れた。
顔を上げていないので表情は見えないが、苦笑いしているような声音。
「この身体は生まれつきです」
「顔を上げなさい」
ゆっくり現れた顔。
額が広く、両目が大きい。
目が大きいからではないが、目端が利くような顔をしていた。
「名は」
「李儒と申します」
「国軍の者なの、それとも将軍の家臣なの」
「元は朝廷に文官として端の方にて仕えていましたが、色々ありまして、
今は、将軍に乞われて家臣となりました」
珍しい。
朝廷の端の方にいても文官であるのなら、それなりの官位にあったはず。
切っ掛けさえ掴めば昇進も望める。
なのに、それを捨てて将軍の家臣に降るとは。
朝廷での出世より、董卓に望みを託したのであろうか。
太后としては大いに気にかかった。
「董卓にどうやって口説かれたのしら」
李儒は直ぐには答えない。
少し間を置いて、おもむろに口を開いた。
「北の方は広々としていて気持ちが良い。
有るのは三つの色のみ。
足下は草色。見上げれば青色。
真冬ともなれば一面が雪化粧。
そこで暮らすのは獣のような野蛮な連中ばかり。
狼がいて、匈奴がいる。
強い者のみが生き残れる単純な世界だ。
見てみようとは思わないか」
おそらく李儒は話を端折っているのだろう。
場所柄を考え、言葉を選んだに違いない。
董卓の事だから朝廷の有り様の批判もあっただろう。
特に宦官の存在には辛辣で、追放を主張している一人。
李儒に、「文官は宦官がいる限り出世は望めない」と吹き込んだに違いない。
そうまでして手元に置きたいからには、李儒に才気を見たのだろう。
どんな才気かは知らないが、董卓は無駄飯を喰わせるほど優しくはない。
董太后は李儒を値踏みしながら話しを本筋に戻した。
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「心配させたわね。
わらわは元気よ。
帝も症状は変わらないけど、無傷。
でも、ここに来るまでに見たでしょう。
王宮も町中も酷い有様。手の付けようがないわ」
「はい、見ました。実に酷い有様です」
「それで将軍は」
「こちらに急ぎ戻られております。
五日もあれば全軍、帰還出来ます」
「全軍・・・」と太后は漏らし、
「今、手元の兵力は如何ほどか」と真剣に問う。
「貴族、豪族の部隊は、それぞれの領地に戻しましたので、手元には国軍のみです。
兵力は四千。
元は五千でしたが、匈奴との戦いで四千に減らしました」
太后は思案し、申し渡した。
「悪いけど急ぎ将軍の元に戻り、洛陽への入城は行わず、
洛陽の北に布陣するように伝えてちょうだい。
匈奴が何時ものように南下を開始したのよ。
すでに今年の北伐の軍も出撃させたけど、なんだか心許なくてね。
将軍が北に布陣してくれるのなら一安心だわ」
匈奴といっても一つではない。
かつては一つの大勢力であったが、いまは南北に分かれていた。
南匈奴は多数派で後漢とは比較的友好な関係を取るようになった。
もう一つの少数派、北匈奴は後漢とは敵対関係を維持したまま、
南匈奴とも血で血を洗う骨肉の争いを繰り広げていた。
問題は匈奴が南北に分かれたことにより、戦力が減じた事にある。
そこを突くように新たな騎馬民族が台頭し始めた。
代表格は鮮卑であり、烏桓であった。
新たな騎馬民族ではあるが、
匈奴が一大勢力になる前に北方を支配していた東胡なる騎馬民族の残党でもある。
とにかく北方の遊牧民は多種多様で力による離合集散を繰り返していた。
為に、中華の人々には匈奴 も鮮卑も烏桓も区別が付けにくく、
南下して来る騎馬民族は全て、「匈奴」と一括りにして呼んでいた。
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薬草に興味があり、暇があると常に山中を探し歩き、帰らぬ日々が続くのだ。
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董太后は興味を覚えた。
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宮廷で患者が出ると、朝廷勤めの薬師が治療を行う。
薬師は薬草だけでなく医術の心得もあり、腕は確かだった。
その薬師だけで事足りることが多く、医家が朝廷に割り込む隙は一分もなかった。
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朝廷の薬師が手に負えない病人を華佗に診せたらどうでしょうか」
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