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金色銀色茜色

生煮えの文章でゴメンナサイ。

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白銀の翼(劉家の人々)247

2013-06-30 08:41:15 | Weblog
 関羽は桂英に返す言葉がなかった。
乗り出していた身を退き、卓上で両の掌を重ねた。
 見かねた醇包が助け船を出した。
「関羽殿が簒奪するものとは誰も思っていないよ。
若い武官、文官が義をもって行動することは誰もが知っている。
若い時の流行病のようなものだ。
みんなが危惧するのは、力を持つ貴族、外戚、帝の近親者達だ。
奴等は表に出ないで、義憤に駆られた若い者達を操ろうとする。
実に怪しからん奴等だ」
 関羽が頷いた。
「薄々とは聞いていました。
力ある者達に利用されるな、と。
でも、他に手が思い浮かばないのです。
それで聞こえぬ振りをしていました。
・・・。
どうしたら王朝を正せると思いますか」
 桂英が言う。
「争いたい者は争わせて置くの。
滅びるまで争うと良いわ。
巻き込まれるだけ損よ」
「だから無位無冠でいるのですか」
「そうよ。
無位無冠だから、血を流すまでの義理はない。
そうでしょう。
とことん争わせる。
いずれ疲れるか、飽きるまで。
それを待つだけのこと。
難しくないでしょう」
 関羽が目をパチクリ。
「赤劉家は後漢に忠誠を尽くす家柄だと聞いていました」
 桂英が表情を緩めた。
「内緒だけど、正直言うと、それは表向きの話しよ。
劉家の血筋は世の中に一杯あるわ。
犬の糞か、劉家の血筋かってね。
言いたいことは分かるでしょう」
「王朝を継ぐ者は劉家の血筋なら誰でも構わない、という事ですか」
「私は言ってないわ。
分かるわね、関羽殿、貴男が言ったのよ。
・・・。
これも内輪の話だけど、強い者が後漢を継げば良いと思う。
それに我が家は関係したくないわ」
 関羽が溜め息をついた。
「洛陽で聞いていた噂とはまったく違いますね」
「がっかりした」
「いいえ、一族を導くには並々ならぬ覚悟が必要なのだな、と感心しているのです。
これで無位無冠の意味が理解出来ました」
 関羽は心底からそう思っているようだ。
 桂英の表情は変わらない。
「我が家は後漢建国に力を貸しただけで、この領邑はその時の報奨。
それからは自力で何とかしてるわ。
慶事、季節の折々に帝に進物を贈っているけど、それだけの事よ」
「たしかに」
 桂英が関羽に鋭い視線をくれた。
「それで関羽殿はどうするの。
洛陽に戻るの。
洛陽に戻って復職したいのなら、我が家が力を貸すわ。
三公、九卿、将軍、州牧は無理だけど、司隷校尉の配下なら楽勝よ。
それくらいの力ならあるから遠慮はしないでね」
 関羽が立ち上がり拱手をした。
「有り難う御座います。
その折りにはお願いします。
ただ、このまま、真っ直ぐに洛陽に戻るのも気が引けます」
「分かるわ。
それなら北に向かいなさい。
民の困窮振りや太平道の様子を調べて、それを手土産に洛陽に戻りなさい」
 関羽は大いに頷いた。
「たしかに言われる通りです」
「ただし、陰謀には巻き込まれぬように注意するんだぞ」と醇包。
「そうよね」と桂英が、
「宦官を滅ぼすには大軍が必要だわ。
大軍の圧力で帝の介入を阻止し、あっという間に宦官を一人残らず撫で斬りにする。
でも大軍を催すにはそれなりの理由がいる。
大騒乱が必要よね。
私なら太平道を誘導するわ。
ついでに反乱、一揆も。
それらを鎮圧する為の大軍を洛陽に集めて、最初に宦官全員を血祭りに上げる。
それから大騒乱の鎮圧に向かう」と続けた。
「それは・・・。
党人派の誰かが太平道を利用するということですか」
「当然でしょう。
誰もが、我が世の春を謳歌している宦官を恨みに思っているわ。
幸いにというか、巷には不平不満が溢れている。
ちょっと頭が切れる者なら、それを利用するわね。
難なく大軍を集められるのだから」
 関羽が疑問を口にした。
「大軍を率いるとなれば何進様だと思うのですが、あの方に陰謀は無理でしょう」
 何進は、その異母妹、何氏が帝の皇后に立てられたことにより、
外戚筆頭の席についた人物であった。
元々が庶民の出なので文武には疎く、
本人もそれを自覚して政治に口出すことは極力控えていた。
「噂では遠慮深い方のようね。
たとえ本人がそうでも、時勢が許さない。
利用しようとする者達が周りに集まる筈よ」
「そこまで言われると、そうなる気がしてきました。
占星術で占ったのですか」
 桂英が笑顔になった。
「占わなくとも、これくらいは読めるわよ。
時勢に詳しくなりたければ、諸国を回る商人を友人にすることね。
彼等は商売の為なら虎穴にさえ入るから兵よりも頼りになるわよ」
 黙って聞いていたマリリンにヒイラギが囁いた。
「関羽がいるうちに奴と義兄弟の契りを結べ。
奴はお前を気に入ってるから断らない筈だ」
 無理よ。
関羽殿は北に向かうように定められているの。
『桃園の誓い』にね。
「劉備と張飛か。気にせずに横取りすればいいだろう」
 義兄弟になって私はどうするの。
三国志の時代を生きて行くの。
この時代でずっと暮らすの。
忘れたの。私はただの通りがかりよ。
何時かは分からないけど、元の時代に戻るのよ。




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白銀の翼(劉家の人々)246

2013-06-27 21:30:53 | Weblog
 関羽が、みんなを見回し、大きな溜め息をついた。
「気付かれていたとは思いもしませんでした」
「貴男は分かり易いから」と桂英。
 隣の醇包も頷いた。
「関羽殿は気持ちが顔に出るからな。まだまだ修行が足りん」
「分かりました。
聞いていただきます」と関羽、
「私はこの領邑が好きです。
平和で活気があります。
血を流す争いがなく、盗賊もいません。
なによりも貧民がいません。
それが苦しいのです」と続けた。
「良い領邑だから苦しいの」
「はい。
・・・。
私は洛陽で司隷校尉の配下として働いていましたが、政争に嫌気がさして辞めました。
まるで逃げるようにして辞めました。
でも洛陽には仲間達が、同僚達が残っています。
彼等は今も、政争に巻き込まれても、職務を忠実にこなそうとしてる筈です。
それで時々、私一人がここで楽しく過ごしていいのかと考えるのです。
このところ後ろめたい気分なんです」
 洛陽の朝廷では宦官、貴族、豪族、外戚等が入り乱れて政争を繰り広げていた。
勢力は大雑把に二つに分けられた。
宦官と党人派。
宦官と対立する人々は党人派とも、清流派とも呼ばれていたが、
彼等もけっして一枚岩ではなかった。
身分や利害関係で衝突し、団結力に欠けるところがあった。
為に宦官に、三度に渡る粛正を受けて殆ど壊滅状態。
今のところ宦官勢力が優勢だが、それとて何時まで続くかは誰にも分からない。
なにしろ帝の匙加減一つなのだ。
 目に見える乱れは末端の地方から始まった。
豪族や官吏が中央の目が届かぬのをいいことに、
私利私欲から勝手に税の種類を増やし、搾取に励んだ。
それが結果として一揆を誘発。
官吏の側は慌てて一揆を鎮圧するのだが、民の怒りまでは抑えられない。
やがて乱に拡大、それをも鎮圧されると、民の側は盗賊と化して神出鬼没。
役所や貯蔵庫を襲撃し、官吏側をより一層の混乱におとしいれた。
 また、食えなくなった多くの者は家族を連れて郷土を離れた。
ことに北方での逃散は著しい事態となった。
あちこちの村が、郷が空洞化したのだ。
 醇包が意地悪く言う。
「宦官を何人か斬り捨てれば、気が晴れるかな」
 関羽は躊躇いながら。
「・・・少しは」
「宦官を除けば洛陽の政治が良くなると思うか」
「良くなります。奴等は帝の権威を勝手に利用してるだけです」
 醇包が身を乗り出した。
「宦官側が勝手に利用していると本気で思っているのか」
 関羽も身を乗り出した。
「思います。名君の誉れ高い今の帝を欺しているのです。
残念な事に、それを伝える者が帝の傍近くには誰一人いないのでしょう」
 桂英が問う。
「前漢が滅びた理由を知っていますか」
「あっ、・・・。
王莽ですね」
「そうよ、悪名高き王莽」
 劉家の外戚で、前漢最後の帝から帝位を禅譲されたとして、
国家を簒奪した人物であった。
 黙っている関羽を桂英が諭す。
「それがあるから帝は宦官を重用するの。
彼等は子を成せないから簒奪なんてのは考えないわ。
それに彼等は朝廷の権威の中でしか生きて行けない。分かるでしょう。
比べて党人派は、いつ国家を簒奪するかも知れない。
血縁は多いし、領邑も、武力もあり、必要なものは全部持ってるわ。
持ってないのは帝位だけ。
帝にとって宦官は小さな悪。
党人派は大きな悪なのよ」




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白銀の翼(劉家の人々)245

2013-06-23 08:49:28 | Weblog
 いつも賑やかな舘の朝食の席に関羽の姿がなかった。
ぺちゃくちゃ喋る分けではないが、黙っていても存在感があるので、姿がないと寂しい。
朝食前の大好きな棍の稽古にも姿を見せなかった。
昨日浴びるほど飲んだせいで二日酔いが酷く、起き上がれないのだろう。
普通の者なら二、三日は起き上がれない量を飲んだ筈だ。
 当然ながら食卓の話題は昨日の関羽の喧嘩であった。
居酒屋での経緯は知らないが、
店の外に出てからの一部始終はマリリンが見ていたので、細部に渡って語る事になった。
ので、多少の脚色をして話した。
当事者二人が酔い潰れたので、その程度は構わないだろう。
 田舎の領邑なので、みんな話題に飢えていた。
そこに、狩りに続いてのこの喧嘩。
みんなが関羽の名を口にすることになるだろう。
呑兵衛として。
「見たかったなあ」と姫達が悔しがれば、
「後始末が大変だったのよ」と領主の桂英、
「ワシは関羽殿に代わって飲みたかった」と醇包。
 そこにドタバタと荒い足音。
血相を変えた関羽。
「申し訳ありませんでした」と飛び込んで来た。
言葉そのままの表情をしていた。
彼の身体から放たれる酒気が室内を満たした。
 みんな苦笑いで、それを受け入れた。
「とにかく腰掛けなさい」と桂英。
 このところ関羽の席はマリリンの隣と決まっていた。
「迷惑かけたな」と関羽がマリリンに小声で言いながら、椅子に腰掛けた。
 マリリンにとって、ここまで酒臭い男は初めて。
それでも嫌な顔は見せず、「起きても平気なの」と尋ねた。
「あの酒は水のようなものだ」と関羽が悪戯っ子のような顔をした。
 マリリンは皮肉を飛ばした。
「水で倒れるの。
みんなで運ぶのが大変だったのだけど」
 関羽が頭をかく。
「そこはスマン。
水も飲み過ぎたら身体に毒だよな。
ところで、勝負は、決着はどうなった」
「そこまでは覚えてないんだ」
「う~ん。
記憶が水で薄まったのかも知れん」
 関羽はどこまでも惚けた。
みんなは笑って聞いているだけ。
誰もマリリンに助け船を出さない。
「決着はね、先に許褚が蹌踉けて片膝を地面についたの。
悔しそうに唸りながらね。
それでも片手を木箱に残し、必死で立ち上がろうとしていた。
その片手を関羽殿が払ったのよ。
もう寝る頃合いだ、と言ってね」
「えっ、そんな、卑怯な。
でも覚えてない。本当なのか」
「酔っぱらいの喧嘩に卑怯も糞もないでしょう。
しょせんは酔っぱらいの喧嘩なんだから。
・・・。
片手を払われた許褚は、そのまま倒れて、関羽殿は・・・」
「もったいぶらずに教えてくれよ」
「許褚が起き上がろうとしないのを見て安心したのか、ドッと後ろに倒れたわ」
 関羽が身を乗り出した。
「それじゃ、どっちが勝ったことになるんだ」
「周りで賭けしてた連中は、先に許褚が片膝ついた時点で勝負有り、だそうよ」
「それじゃ俺の勝ちか」と破顔の関羽、
「ところで、あいつの名は許褚というのか」と続けた。
 名前までは覚えていなかったらしい。
「そうよ、この徐州じゃ有名みたいよ。悪い意味でね」
「ほう。
その許褚一党は今はどうしてる」
「市場の者達が起き上がるまで面倒みるそうよ。
気にする事はないわ。
今回の喧嘩で儲けが出たようだから」
 関羽が首を捻った。
「あれで儲けが出たのか」
「酒代は当然だけど、飲み干す度に酒樽を地面に叩き付けるものだから、
飛び散る破片で怪我した者や、通りの後片付け、樽代に桂英様が支払いをなされたの。
それも余分にね。
つまり負けたのは、支払う事になった桂英様かしら」
 途端に関羽の身体が縮んだ。
何と言っていいのか言葉を失ったらしい。
痛々しい表情で桂英を見詰めた。
 桂英が冷静に言う。
「関羽殿、気にされることはないのよ」
「いいえ、私の喧嘩が原因で申し訳ありません」
 表情を改めて桂英が問う。
「このところ関羽殿は私達に隠れて市場で飲んでいるようね。
私達の前でも時折だけど、顔色が沈んでいる事もあるわ。
何か悩み事でもあるのかしら。
よかったら相談してみない。
私達ではたいした答えも出せないと思うけど、
もし迷っているのなら、話す事によって自分で自分の気持ちの整理ができるわよ」
 杞憂ではなかった。
マリリンも、このところ顔色が優れない様子の関羽を何度か見掛けたことがあった。
「体調でも崩したのかな」と軽く考えていたが、昨日の喧嘩で懸念に・・・。
今の桂英の言葉で確信に変わった。
「関羽が何事か悩んでいる」と。




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白銀の翼(劉家の人々)244

2013-06-20 20:54:02 | Weblog
 許褚は当面の敵の関羽ではなく、マリリンに関心を寄せた。
胸元に抱いている陶涼をも繁々と見た。
そして独り合点し、態度を改めた。
「マリリン殿、貴男が神樹の使わした人ですね。
街中では盲目の女の子を連れ歩いているとも聞いています。
間違いないですね」
「そうです。
私を知っているのですか」
「当然です。
この徐州で貴男の噂を聞いた事のない者はいないでしょう」
「もしかして、私を見に来たの」
 許褚が躊躇いもなく大きく頷いた。
「そうです。
噂通りの方かどうか」
「それで納得したの」
 許褚の表情には、畏れ、戸惑い、呆れ、複雑な色があった。
「何と申せば・・・」
「いいのよ、無理して言うことないわ。
女言葉に戸惑っているのでしょう」
 許褚が照れ笑い。
「女みたいに美しいとは聞いていたのですが、女言葉とまでは」
 どう接していいのか分からずに困っていた。
 大概の者が、「神樹の使わした者」という噂に畏れ、
美しさに戸惑い、女言葉に呆れる。
しかし誰もマリリンを侮らない。
なにしろ神樹の丘で太平道の刺客と、狩場では狼と、それぞれに戦い、
無傷で切り抜けて来た強者。
正面切って誹謗中傷する者は一人もいなかった。
 マリリンは単刀直入に言う。
「許褚殿にお願いがあるの。
関羽殿との喧嘩を止めて下さい。お願いします」
 許褚が丁寧に拱手をした。
「他の事なら頷けますが、それはお断りします。
ここに倒されているのは私の弟分達なのです。
弟分達の為にも引き下がれません」
 マリリンはもう一押ししてみた。
「関羽殿は私同様に領主様の客人なのよ。
それでも戦うというの」
 許褚の表情が引き締まった。
やおら関羽に視線を転じた。
「客人で逃げるかい」
 そう問われて関羽も、「はい、そうです」とは答えられない。
苦笑い。
「それでは酔っぱらいの喧嘩を続けるか」
 許褚の表情が和らいだ。
「それでこそ男よ」
 マリリンも引き下がらない。
「どちらかが倒れれば終わるのね」
 許褚と関羽が同時に頷いた。
侠気なんだろう。面倒臭い。
「それじゃあ、喧嘩の遣り方は私に任せてくれる。
なるだけ血は流したくないのよ」
 二人は互いに顔を見合わせ、マリリンの提案に頷いた。
 マリリンは野次馬の中に馴染みの顔を幾人か見つけ、
それぞれの耳に小声で注文を出した。
いずれも市場の店主ばかり。
彼等の動きは速かった。
マリリンが注文したものを次々と持って来た。
 最初に運ばれて来たのは空の大きな木箱。
それが蓋された状態で、関羽と許褚の間に置かれた。
その木箱の上に注文の品々が次々と置かれた。
いずれも各居酒屋の看板の小振りな酒樽と酒の肴ばかり。
そして最後に大きな盃が二つ。
 キョトンとする二人。
「どうせ倒れるなら飲み倒れがいいでしょう。
好きなだけ飲みなさい」
 途端に関羽が笑う。
釣られて許褚も笑う。
文句は出ない。
さっそく互いの大盃に酒をなみなみと注ぐ。
 飲む前に許褚がマリリンに問う。
「支払いは」
「私も関羽殿も浪人だから、余分なお金の持ち合わせはないの。
だから当然、領主様の支払いになるわね」
「領主様持ちか、それは良い」
 許褚が機嫌良く大盃を一気に呷る。
肴を摘んでいた関羽が慌てて大盃に手を伸ばした。




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白銀の翼(劉家の人々)243

2013-06-16 08:47:10 | Weblog
 市場の通りに瞬く間に人垣が出来た。
喧嘩だ。
中心にいるのが関羽。
彼を取り囲むのは五人。
行き交う人々が足を止めて物見高い野次馬と化した。
 五人が口々に関羽を貶める
どうやらこの五人、関羽を知らぬらしい。
領主の客人と知っていたら、たとえ喧嘩といえど、ここまでの罵詈雑言はないだろう。
 対する関羽が、楽しそうなのは酔っているせいかも知れない。
罵詈雑言をにこやかな顔で聞き流し、相手が手出しして来るのを、
今か今かと待っているのが傍目にも分かった。
 五人は口技で相手を翻弄しようとしたのだろうが、通じないと見るや方針を変えた。
一斉に五人が動いた。
 途端に関羽の表情が引き締まった。
自然体で身構えた。
 背後から二人の手が関羽に伸びた。
関羽の左右の手を、それぞれが取り押さえた。
身動きを封じようというのだ。
実に手慣れていた。
これが五人の喧嘩の手口なのだろう。
 正面の男が勝ち誇った顔で関羽に迫った。
男の左右にいた二人は、仲間に先陣を譲るため、余裕の顔で足を止めた。
 両手を捉えられた関羽だが、振り解こうとはしない。
正面の相手が迫っても微動だにしない。
 男が拳を振り上げ、殴りかかった瞬間、それが起こった。
関羽が気合いを入れて右足で相手の股間を蹴り上げ、強引に両手を振り解いては、
残り四人の懐に飛び込み、岩のように頑丈な拳を見舞う。
悲鳴が上がり、骨が、歯が折れ、血も多少だが流れた。
関羽は容赦がない。
倒れた相手が起き上がろうとすると、その脇腹を激しく蹴り上げた。
 見かねたマリリンは陶涼を抱き上げて、関羽の傍に寄った。
「関羽殿、そのくらいで」
 聞こえた関羽の表情が一変した。
まるで悪戯を見つけられた子供のよう。
「見られたか」
「どうしたのですか」
「さあ、・・・。
どうしてこうなったのか」
 これだから酔っぱらいは困る。
 すると、そこへ、新たな男が現れた。
関羽達が飛び出して来た居酒屋からだ。
これまた酔っぱらっているようで、額に手を当てながら路上を見回した。
五人が呻きながら転がっている様に顔色を変えた。
「誰がやった」と。
 状況から怪しまれるのは、転がっている五人に最も近い関羽とマリリンしかいない。
男の視線が二人を見比べ、関羽で止まった。
「お前か」
 男は関羽を睨み付けた。
これまた、この辺りでは見掛けぬ顔。
並外れた体躯で、関羽より少し背が低いだけ。
胸回りでは関羽を凌いでいた。
怒りで酔いが覚めたらしい。
身体全体がピシッとした。
 男が関羽に詰め寄った。
「見掛けぬ顔だな。
お前の名は」
「関羽。
洛陽から流れて来た。
お前は」
「ほう、都からか。
それじゃ俺を知らぬのも道理だ。
俺は許褚。
この徐州の生まれだ」
 思いもかけぬ名を聞いた。
許褚とは。
徐州の暴れ者の一人として、姫達から名前だけは聞いていた。
もしかすると、この男が将来、曹操の部下になる男だろうか。
曹操が、「肉親以上に信頼の置ける男」と評した武人だ。
体躯も、押し出しも曹操の護衛としては申し分ない。
 許褚が抑制の効いた声で言う。
「酔っていて成り行きは分からぬが、仲間が痛めつけられたからには見過ごしが出来ぬ。
俺とも戦って貰おう」
 これまた喧嘩慣れしているようで、自然体で身構えた。
 マリリンは困ってしまった。
関羽も許褚も将来のある身。
ここで、酔っぱらいの喧嘩沙汰で身体を壊されては堪らない。
見るからに二人は互角。
素手で勝負がつかぬ場合、刃物沙汰に発展せぬとも限らない。
万が一、片方が死にでもしたら、歴史が変わる。
関羽は劉備の、許褚は曹操の、大事な大事な部将になる身なのだ。
「これは見物だ。好きにやらせとけ」とヒイラギが言う。
 そうは言っても、心配なのよ。
歴史が変わったら、私はどうなるの。
なかったものとして、ここで消えるの。
「成るようにしか成らん」
 怨霊の無責任な戯言ね。
私はまだ死んでないのよ。
なんとかして元の時代に戻りたいの。
 マリリンは二人の間に割って入った。
「ちょっと待って」
 今にも衝突しようとしていた二人の動きが止まった。
「マリリン殿、危ないぞ」と関羽。
 その言葉に許褚が反応した。
「なに、マリリン殿だと」
 許褚が戦闘態勢を解き、舐めるようにマリリンを観察した。




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白銀の翼(劉家の人々)242

2013-06-13 21:10:00 | Weblog
 マリリンはこの二、三日、ホッとしていた。
麗華達の前で素直に号泣し、
差し支えのない範囲で事情を説明したのが良かったのかも知れない。
今では身も心も軽やか。
溜めていた負は全て吐き出した。
吐き出した代わりに味方を得た。
年若い娘達で、全幅とはいかないまでも、かなりの信頼が置けた。
誰も見ていないならスキップしたい気分。
今なら雲の上だって歩ける。
 午後いつものように赤劉城の市場を冷やかして歩いた。
供は陶兄妹と侍女の宋純。
今やこの三人はマリリンにとって欠かせない存在。
まるで家族のようなもの。
宋純が叔母さんで、陶洪が弟、陶涼が妹。
交わす言葉も以前に比べて柔らかくなった。
 マリリンが目の見えぬ陶涼の手を引いて、市場を案内した。
「三歩前の右側に屋台が出ているからね」
「だから美味しそうな匂いがするんだ」と陶涼。
「匂いに釣られて転ぶんじゃないわよ」
「酷い、私はもう子供じゃないんだから。
あれっ、この匂いは前に食べたお店だよね」
 覚えていたらしい。
市場独特の喧騒と匂いが陶涼に良い影響を与えていることは確かだ。
それで彼女が目に開ける気になるかどうかは、また別の問題だか。
 そんな様子を陶洪と宋純が後ろから嬉しそうに見守っていた。
 突然、前方で怒鳴り声が響いた。
数軒先の居酒屋から男達が飛び出して来た。
いずれも屈強な者達ばかり。
最後に出て来た男を見てマリリンは驚いた。
関羽ではないか。
酔っていて、足下がふらついていた。
 その関羽を、先に飛び出した男達が取り囲む。
男達も酒が入っているようだが、足下はしっかりしていた。
体格は関羽が頭一つ抜けていても、相手は五人。
その五人がめいめい勝手に関羽を罵った。
人数で優位を確信しているらしく、一人として尻込みしない。
 双方とも酒が入っていても場所柄は承知か、腰の太刀を抜く気配はない。
こんな人出の多い場所で刃物沙汰では、直ぐに役人が駆けつけて来る。
それを恐れているのだろう。
「喧嘩慣れしている」と言うべきか。
 手を繋いでいる陶涼に問われた。
「喧嘩が始まるの」
 目が見えなくても事態を察したようだ。
「そうだよ。
珍しいことに酔っている関羽殿が、五人を相手に喧嘩するらしい」
「ええっ、関羽殿なの。
それは大変、止めなくちゃ」
 陶涼は関羽にも可愛がられているので、心配になるのだろう。
「大丈夫よ。
関羽殿は、お酒が入っていても強いわ。
酔ってるくらいで丁度良いのかもね」
 陶涼が握っている手に力を込めた。
「分からない。
どうして、お酒が入っている方がいいの」
「酔ってない時は力の加減がないの。
真面目だから精一杯やるの。人を殺すくらいの力を込めるわ。
でも酔ってると、機嫌が良いのか、手加減が出来るの」
 実際、目の前の関羽は飛んでくる罵詈雑言を楽しそうに聞いていた。
五人相手にも関わらず、どうしても真剣になれないのだろう。
その態度、傲慢無礼に見えなくもない。




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白銀の翼(劉家の人々)241

2013-06-09 09:43:25 | Weblog
 信じられぬくらいの涙が流れた。
それに負けぬくらいの泣き声も上げた。
溜めていた負の感情が奔流となり一気に溢れ出た。
 この地に飛ばされてより、短い間だったが、毎日必死で生きてきた。
誰にも嫌われぬように。
誰にも蔑まれぬように。
自分の心を鎧で覆い、傷つかぬように生きてきた。
 なのに、こういう展開。
思いもせぬ状況に陥ってしまった。
だからといって後悔はない。
感情を露わにすることが、こんなに清々しいものだとは思わなかった。
体中の汚れが全て噴出したように感じた。
 頬に感じる麗華の胸は温かい。
背中に回された手も温かい。
安心して泣いていられた。
 と、後頭部に生暖かいものを感じた。
何やら、生温いとも。
これは、・・・。
手とは思えない。
誰かが、何かが触れてるのは確かだ。
何人かの声を潜めたクスクス笑いも聞こえた。
 マリリンは麗華に抱かれた姿勢のまま、首だけを後ろに回した。
 同時に耳に麗華の囁き。
「剛も心配してるようね」と。
 首を下げた青毛の剛と顔を合わせた。
川遊びしていた筈が、何時の間にか後ろに来ていた。
その剛の荒い鼻息がマリリンの前髪を吹き上げた。
心配しているのか、舌でマリリンの涙顔を拭う。
痛いようなザラザラの舌。
ネバネバ感のする涎。
馬の口臭、体臭も一気に鼻に押し寄せて来た。
 自分の涙と剛の涎で、自分の首から上はズブ濡れな状態だろう。
だからといって、今の自分は嫌いではない。  
 まずは麗華に謝った。
「麗華、ゴメンよ、ゴメンよ」と。
 そして訳の分からぬ顔の麗華の胸元に、再び自分の顔を埋めて、涙と涎を拭い取る。
途端に他の姫達の笑いが爆発した。
 マリリンは麗華が言葉を発するより早く、立ち上がるや、剛を引き連れて川に向かった。
 その背中に麗華の大きな声が届いた。
「マリリン、アンタねえー」と。
 声は笑っていた。
 川には姫達の五頭の馬もいて、手前勝手に水遊びを楽しんでいた。
そこにマリリンと剛も加わった。
 両手で水を掬い、顔の涙と涎を洗い流した。
ついでに首筋も。
そして浅瀬に背中から倒れ込む。
バシャーンと水音。
なんと心地好いことか。
上を見上げると剛の顔。
こちらを心配そうに見下ろしていた
ここまで剛を心配させていたとは。
それを払拭する為に立ち上がった。
両手で水を掬い、長い顔にその水をかけてやった。
当初は唖然としていたが、何度もかけるものだから嬉しくなったらしい。
嘶きながら、前足で水を蹴り返してきた。
 そこへ、
けたたましい笑い声とともに、バチャバチャと水音を立てて、姫達が乱入して来た。
 麗華がマリリンの前に立った。
「よくも私の胸で顔を拭いてくれたわね」
 言葉とは裏腹、まったく怒ってはいない。
「ゴメンゴメン」
「今日の話しはここだけにして。
私達以外には話しては駄目よ」
「桂英様には」
「それも駄目」
「どうして」
「どうしても」と麗華、みんなを見回してから続けた。
「私達が虞姫について調べるから、貴男は今まで通りにしていること」
「いいのかい」
「いいのよ、私達を信用したから話してくれたのでしょう」
 マリリンは、みんなに頭を下げた。
「ありがとう」
「男は気安く頭を下げるものじゃないわ。
でも、いいかもね。
貴男は元は女の子だったのだから」
「そうよ、元はピッカピカの女の子」
 後ろにいた水晶が笑う。
「ピッカピカ、意味が分からない」
 林杏が言う。
「私達は方術の修行をしているでしょう。
その流れで虞姫を調べてみるの。
虞姫といえば、方術家の生まれで仙術では有名だったの。
だから私達なら誰にも怪しまれないで調べられる。
安心して任せて」
 もっともな事だ。
彼女等なら誰も怪しまない。
それに伝手も沢山あるだろう。




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白銀の翼(劉家の人々)240

2013-06-06 19:35:31 | Weblog
 マリリンは、より一歩踏み出しすことにした。
「私が神隠しに遭ったのは、虞姫に関係していると思うの」
「どうしてそう断言出来るの」と麗華。
「勘よ、勘。
それに、よく思い出してみてよ。
あの石碑の事よ。
石碑は私を待っていたかのように散ってしまったわ。
そうでしょう。
おまけにヒイラギがいるわ。
虞姫をよく知っているヒイラギが。
つなぎ合わせると神隠しの原因は虞姫しかないでしょう」
 全てを打ち明けるのは無理なので、強引に決めつけた。
 姫達が渋々頷いた。
それは大きく反対する理由が見あたらないからだろう。
 マリリンは、みんなを見回した。
「虞姫が国元に戻ってから、何をどうしたのかを知りたいの」
「遠い昔の話しよ。
しかも亡国の王妃。記録には残ってないでしょうね」
「昔の事に詳しい人はいないの」
 姫達が当世の知識人の名を次々と上げた。
いずれも高名な儒家、道家、法家、墨家の人々ばかり。
生憎と彼等は遠隔地にいた。
大半が、後漢の都、洛陽か、その近辺に居住していた。
 マリリンは更に押した。
「文字で残ってないなら、虞姫の埋葬地はどうなの。
どこに埋葬されたのかくらいは分かっているでしょう」
 林杏が、もっともな事を口にした。
「ヒイラギは虞姫に仕えていたのでしょう。
だったら知ってるんじゃないの。
虞姫が国元に戻ってからどうしたのか。埋葬地はどこなのか」
 そこを突かれるとは思わなかった。
心は焦っても、色には出さぬように努めた。
「ヒイラギは虞姫の帰国には同行してないの。
項羽と最期を共にし、この辺りで戦死している。確かな事よ」
 言い訳が口からスラスラと出た。
これなら立派な詐欺師になれるかも知れない。
 麗華が根本的な疑問を口にした。
「マリリンは何をどうしたいの」
「・・・、私は・・・」
 言葉に詰まった。
行き成りだった。
目頭が熱くなった。
途端に涙が溢れた。
声にならぬ声が漏れた。
これまで考えぬようにしていた事柄が脳裏に蘇ってきた。
 大好きな祖母の顔。
頼りになる伯父の顔。
幾人もの友の顔。
 なかでも大好きだった野上百合子。
彼女はどうしているのだろう。
泣いてはいないだろうか。
 精霊のサクラが、みんなに上手に伝えてくれていたら良いのだけど。
 楽しかった事。
悲しかった事。
悔しかった事。
覚えている限りの場面が走馬灯のように駆け巡る。
 どうして自分だけが、こんな目に遭わなければならないのだろう。
どうしてこんな酷い目に。
 これは何の罰なのだろう。
自分は罰を受けなければならないような事をしたのだろうか。
一体なにを。
 元の時代に戻れるのだろうか。
みんなに再び会えるのだろうか。
 マリリンは自分の背中に回された手に気付いた。
何時の間にか麗華に抱き寄せられ、その胸元に顔を埋めていた。
 時空を超えて以来、瞼を濡らす事はあっても、泣くことだけは堪えた。
「泣けば自分が壊れる」と恐れていた。
幸いヒイラギの支えもあり、何とか今日まで凌いできた。
 しかし、もうどうにもならない。
頬に麗華の体温を感じた瞬間に堰が切れた。
涙が、泣き声が、奔流となり、体外にドッと流れ出た。
何も考えられない。
傍目など気にもならない。
頭の中が真っ白になった。
何かを吐き出すかのように、ただ泣いた。
自分の泣き声が聞こえるが、恥ずかしいとは思わない。




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白銀の翼(劉家の人々)239

2013-06-02 08:42:00 | Weblog
 マリリンは勝負に出た。
「この近くに石碑があったでしょう。覚えてる」
 それは最初、草陰に隠れていた。
苔生しただけの小さな岩で、微かな呼吸するような気配に林杏が気付かなければ、
通り過ぎるところであった。
その岩をよく見ると、子供が伏せたような形をしていた。
苔を剥ぐと、実際に子供を摸して削られていた事が判明した。
さらに岩を強引に引っ繰り返しすと、裏に文言が刻まれていた事も判明した。
「愛しき人を称える、佑」と刻まれていた。
誰かが別の誰かに伝える為に建立した秘密の石碑だということは明白であった。
生憎、「誰かが」も、「誰かに」も分からなかった。
 みんなが頷いた。
あれは忘れられない一件であった。
「それがどうしたの」と麗華が先を促した。
「あの佑の名前に心当たりがあるの。
虞姫よ。
姓は虞、名は佑、字は桂」
 途端に姫達の雰囲気が変わった。
ならやらウキウキ気分。
碑文の、「愛しき人を称える」が脳裏を走ったのだろう。
時代は違っていても、民族が違っていても、女の子というものは、
この手の話題には貪欲なまでに食い付いて来る。
 マリリンは続けた。
「石碑は子供の形をしていたわね。
男の子だった、それとも女の子。
どちらに彫られていたかしら。思い出してみて」
 みんなが思案顔。
覚えていないのか、そこまで注意深く見ていなかったのか。
互いに目顔で問答。
導き出された答えは、「そこまでは見ていなかった」。
 マリリンは正解を教えた。
「男の子だったら、アレがしっかりと拵えてあった筈よ。
でも、そんなモノは影も形もなかった。
つまり女の子よね」
「それがそんなに大事なの。たかだか石碑よ」と水晶。
「あの石碑の大事な部分は、男の子であるか、女の子であるかなのよ」
「石碑は刻まれた文言が大事じゃないの」と麗華。
「あの石碑に限っては違うと思う。
項羽が最期の戦いから虞姫を外し、西楚に戻したのは、彼女が懐妊していたからなの。
だから彼女は戦死した項羽に伝えたかった。
無事に子供が生まれたと。
そして、それは女の子だと。
そう思っているのよ。
私の独りよがりかもしれないけどね」
 姫達が仲間内で姦しく意見の交換を始めた。
あまりの早口に唾までが飛び交う。
 途中で麗華がマリリンに問う。
「懐妊の事実はヒイラギの記憶にあるのね」
 マリリンはヒイラギの記憶に残っている項羽と虞姫の別れを語る事にした。
・・・。
 楚漢戦争での敗戦が決定的となり、項羽は優位な戦後処理を図った。
大事なのは自分の身ではなく、ここまで付き従った西楚の将兵であり、
国元の民人の将来であった。
 項羽は陣幕に重臣を集めた。
当然、虞姫もその一人。
決定事項を項羽が矢継ぎ早に伝えた。
 そこで虞姫は、
「配下の将兵を引き連れて西楚へ帰還せよ」と命じられ、
悔しそうに項羽を睨み付けた。
我慢ならず項羽に二歩、三歩と詰め寄る。
「貴方の言いたい事は分かりました。
だけど私の気持が収まりません。
妻が共に死して何の不都合がありましょう」
 そんな虞姫を項羽は優しく見詰めた。
「お前には子供と共に生きていて欲しい」
 懐妊を内緒にしていた虞姫は顔を歪めた。
「知っていたのですか」
「これでも夫だからな。
これよりは母として生きよ。
我の分まで生きて、子と二人幸せにな。
・・・。
そんな顔するな。
いずれあの世とやらで会える。
我は先に逝くが、また会える」
 虞姫の目から大粒の涙が零れ始めた。
それでも彼女は声を上げない。
涙流れるまま項羽を見詰めた。
 項羽は虞姫に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「自分の子供もだが、みんなも頼む。
王妃にとって将兵は無論、民人みんなが子供だ」
 彼女は頷かない。
気持は限界に来ていたが、決壊せぬように天幕を見上げた。
 項羽のもう一方の手が虞姫の腹部に置かれた。
防具の上からだが、お腹の子を感じ取ろうと掌で優しく撫で回した。
「馬鹿ね」と虞姫は項羽の手を払い、慌てて自分の防具を剥ぎ取った。
「昔から馬鹿だったろう」と項羽は再び掌で虞姫の腹部を撫で回した。
虞姫は腹部を撫で回す項羽の手に、「そうね」と自分の手を重ねた。
「それにしては膨れてないな」
「膨れるまでには育ってないわ、これからよ」
「そうか、健やかにな」
 虞姫は姿勢を正して両手で項羽を抱きしめた。
表情を改めて愛しい夫を見上げた。
「王妃として国に戻ります。
・・・。
また会えますね。
きっとですよ。
約束ですよ。
・・・。
年老いた私が見分けられると良いですね」
 虞姫は醜態を晒さない。
自分が声を上げて泣けば、陣幕内が動揺すると分かっていた。
だから必死で奥歯を噛み締め、自己の崩壊に耐えた。
・・・。
 嘘は一片も交えていない。
ヒイラギの記憶のままを言葉にした。
 姫達の表情が暗い。
沈み込んでいた。
誰も一言も発しない。
よく見ると、それぞれが涙を零していた。
 快い風が川面を走り抜けた。
浅瀬で遊ぶ馬達は心地良さそう。
河原の丈の高い草が風に煽られて大きく揺れ動く。
 あの日、あの石碑はあっという間に消えた。
地震でもないのに、激しく振動し、縦横に割れ目が走った。
割れ目が二つ、三つと増え、ついには網目状になった。
そして粒状化し、砂煙を上げてサラサラと崩れ落ち、跡形もなく消え去った。
 マリリンは、「石碑が自分を待っていた」と確信していた。
ヒイラギが自分に居候したのは、「血の繋がりゆえ」と確信していた。
何故なら、ヒイラギの記憶にある虞姫と、自分の母が瓜二つ。
伯父も、「毬谷家の遠い先祖は中華にある」と断言していた。
自分の中には項羽と虞姫の血が流れている。
血が繋がっているからこそ、ヒイラギに、石碑に出会えたのだ。
 ただ、時空を超えて、この地に運ばれた理由が分からない。
石碑に会うだけではないだろう。
血の繋がりを確信するだけでもないだろう。




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