華炎の問いに擁昂は答えた。
「当然、後ろ盾はいた。
毒殺が成功すれば、彼の者が実権を握るので、
三人が失踪しても追っ手はかからなかったはず」
「彼の者」と華炎が問いを重ねた。
擁昂は、「これを話し合いたくて来た」といっても過言ではない。
服毒自殺した三人の持ち物と、それぞれに与えられた部屋が捜索されたが、
毒薬の残量が発見された以外、犯行に関するものは何一つ見つかっていない。
後ろ盾の存在を示唆する物に至っては皆無。
ところが于吉の助言で予想外の物が発見された。
于吉が、帝の離れの床下を指して、「毒殺と同時に呪詛も行われるもの」と言ったのだ。
そこで直ぐさま床下が調べられた。
結果、呪詛の木箱が見つかった。
木箱の中には帝の幼名を記した人形が入っており、呪詛を疑う余地がなかった。
呪詛の木箱と人形が見つかっても、それだけを手掛かりに犯人を捕まえるのは、
通常であれば無理であった。
それを覆したのは、呪詛の方法。
木箱や人形の組み方、呪文の字体から呪術の流派が特定出来たのだ。
王宮勤めの呪術師達が口を揃えたのだから間違いはない。
そして、それは数年前の呪詛を思い起こさせた。
「帝を呪詛した」という前の皇后、宋氏の一件であった。
あの時と瓜二つ。
続けて、今回使用されたと同じ種類の毒薬が、
つい最近の毒殺でも使用されている事が、
取り調べに当たった廷尉によって指摘された。
それは帝の側室の一人、王美人の件であった。
当時の彼女は帝の寵愛を一身に集めていた。
それが、 男子を産んだ年に毒殺された。
用いられた毒が、今回の毒と同じなのだ。
それらを考察すると、一つの名前が浮上する。
宋氏が廃された直後に新しい皇后に立てられた人物。
王美人以前に帝の寵愛を受けていた人物。
その人物は、宋氏が廃されて得をし、王美人が男子を産んだことに脅威を覚えていた。
そういう人物は、ただ一人しかいない。
現在の皇后、何氏以外には考えられない。
宋氏の呪詛の一件は、直後に、「宦官、王甫の謀であった」と噂が流れたが、
一部では、「王甫の後ろ盾は何氏ではないのか」とも囁かれた。
しかし、この一件が調べられる事はなかった。
子細が不明のまま、翌年、王甫は別件で捕らえられ、獄中で不審な死を遂げた。
王美人毒殺は帝の怒りを買った。
徹底的に、執拗ではないかと思えるほどに調べられた。
そして行き着いた名前は、何皇后。
何皇后が幸いだったのは、帝の長男を産んでいたこと。
世間体がある。
世継ぎになろうという男子を産んだ何皇后を罪に問う分けには行かない。
それに大勢の宦官が取りなした。
なにしろ宦官達と何皇后の仲は深い。
後宮に上がる前の何氏は南陽でも評判の美人であった。
そんな評判を、地方を監察して回っていた宦官の一行が聞いた。
実際、彼女を目にすると評判以上。
彼等は直ぐに実家に持ちかけた。
「後宮に上げてみないか」と。
何家に依存はなかった。
「このまま田舎で燻らせるよりは都に、後宮に」と。
下賤の出自ではあるが、何家は業で小金を貯めていた。
それを支度金として差し出し、娘を預けた。
これが切っ掛けであるので、何皇后は宦官達の身内も同然。
その田舎娘が帝の男子を産み、皇后に上がったのであるから、粗略にはしない。
何皇后の息子は宦官達の期待の星。
宦官の権力が長期に渡る事を意味する。
理由はどうあれ、全力で庇う。
そういう分けで何皇后が罪に問われる事はなかった。
けれど帝の怒りが消えた分けではない。
次に何かをしでかし、帝の怒りを再び買えば、無事では済まないだろう。
擁昂は自信を持って名前を挙げた。
「何皇后」
かつての同僚である宦官達が聞けば、怒り狂うだろう。
裏切り者呼ばわりされるかも知れない。
しかし隠居した今、誰に憚る事もない。
興味が全て。
華炎も同意の頷き。
「毒殺が成功していたら、宦官達の奔走で帝は病死扱いになり、
何皇后の息子が新しい帝に就いていたろうな。
・・・。
ところが失敗した。
これからどうなると思う」
「それでも強引に帝を毒殺するしかないだろう。
このままだと、帝が昏睡から覚め、何皇后に報復する。
証拠も証言もいらない。
帝の心証だけで十分だ。
今回は宦官達の力をもってしても阻止は出来ないはず」
「何皇后贔屓の宦官達はどう動く」
「命が惜しければ距離を置くしかない。
このまま後宮内で帝が毒殺されれば、外朝の三公九卿共を喜ばせるだけ。
なにしろ帝の子は一人じゃないからな。
帝毒殺犯捕縛の大義名分で近衛兵を動員し、後宮に押し入り宦官達を皆殺しにして、
何皇后と長男を捕らえ、次男を後継にする」
帝の次男は、数年前に毒殺された王美人の産んだ子である。
毒殺後、帝の生母が孫の行く末を危ぶみ、手元に引き取り養育していた。
生母の名は董太后 。嫁ぎ先が河間系の劉家であった事から河間董氏とも。
何皇后が庶民の出なのに比べ、河間劉家の董太后には豊富な人脈がある。
古くからの家臣達もいる。
その力は侮れない。
「そう言うが、宦官達にも縁者が大勢いる。
宦官の引き立てで外朝側の高官になった者も多い。
簡単に済ませられるかな」
★
ランキングの入り口です。
(クリック詐欺ではありません。ランキング先に飛ぶだけです)
「当然、後ろ盾はいた。
毒殺が成功すれば、彼の者が実権を握るので、
三人が失踪しても追っ手はかからなかったはず」
「彼の者」と華炎が問いを重ねた。
擁昂は、「これを話し合いたくて来た」といっても過言ではない。
服毒自殺した三人の持ち物と、それぞれに与えられた部屋が捜索されたが、
毒薬の残量が発見された以外、犯行に関するものは何一つ見つかっていない。
後ろ盾の存在を示唆する物に至っては皆無。
ところが于吉の助言で予想外の物が発見された。
于吉が、帝の離れの床下を指して、「毒殺と同時に呪詛も行われるもの」と言ったのだ。
そこで直ぐさま床下が調べられた。
結果、呪詛の木箱が見つかった。
木箱の中には帝の幼名を記した人形が入っており、呪詛を疑う余地がなかった。
呪詛の木箱と人形が見つかっても、それだけを手掛かりに犯人を捕まえるのは、
通常であれば無理であった。
それを覆したのは、呪詛の方法。
木箱や人形の組み方、呪文の字体から呪術の流派が特定出来たのだ。
王宮勤めの呪術師達が口を揃えたのだから間違いはない。
そして、それは数年前の呪詛を思い起こさせた。
「帝を呪詛した」という前の皇后、宋氏の一件であった。
あの時と瓜二つ。
続けて、今回使用されたと同じ種類の毒薬が、
つい最近の毒殺でも使用されている事が、
取り調べに当たった廷尉によって指摘された。
それは帝の側室の一人、王美人の件であった。
当時の彼女は帝の寵愛を一身に集めていた。
それが、 男子を産んだ年に毒殺された。
用いられた毒が、今回の毒と同じなのだ。
それらを考察すると、一つの名前が浮上する。
宋氏が廃された直後に新しい皇后に立てられた人物。
王美人以前に帝の寵愛を受けていた人物。
その人物は、宋氏が廃されて得をし、王美人が男子を産んだことに脅威を覚えていた。
そういう人物は、ただ一人しかいない。
現在の皇后、何氏以外には考えられない。
宋氏の呪詛の一件は、直後に、「宦官、王甫の謀であった」と噂が流れたが、
一部では、「王甫の後ろ盾は何氏ではないのか」とも囁かれた。
しかし、この一件が調べられる事はなかった。
子細が不明のまま、翌年、王甫は別件で捕らえられ、獄中で不審な死を遂げた。
王美人毒殺は帝の怒りを買った。
徹底的に、執拗ではないかと思えるほどに調べられた。
そして行き着いた名前は、何皇后。
何皇后が幸いだったのは、帝の長男を産んでいたこと。
世間体がある。
世継ぎになろうという男子を産んだ何皇后を罪に問う分けには行かない。
それに大勢の宦官が取りなした。
なにしろ宦官達と何皇后の仲は深い。
後宮に上がる前の何氏は南陽でも評判の美人であった。
そんな評判を、地方を監察して回っていた宦官の一行が聞いた。
実際、彼女を目にすると評判以上。
彼等は直ぐに実家に持ちかけた。
「後宮に上げてみないか」と。
何家に依存はなかった。
「このまま田舎で燻らせるよりは都に、後宮に」と。
下賤の出自ではあるが、何家は業で小金を貯めていた。
それを支度金として差し出し、娘を預けた。
これが切っ掛けであるので、何皇后は宦官達の身内も同然。
その田舎娘が帝の男子を産み、皇后に上がったのであるから、粗略にはしない。
何皇后の息子は宦官達の期待の星。
宦官の権力が長期に渡る事を意味する。
理由はどうあれ、全力で庇う。
そういう分けで何皇后が罪に問われる事はなかった。
けれど帝の怒りが消えた分けではない。
次に何かをしでかし、帝の怒りを再び買えば、無事では済まないだろう。
擁昂は自信を持って名前を挙げた。
「何皇后」
かつての同僚である宦官達が聞けば、怒り狂うだろう。
裏切り者呼ばわりされるかも知れない。
しかし隠居した今、誰に憚る事もない。
興味が全て。
華炎も同意の頷き。
「毒殺が成功していたら、宦官達の奔走で帝は病死扱いになり、
何皇后の息子が新しい帝に就いていたろうな。
・・・。
ところが失敗した。
これからどうなると思う」
「それでも強引に帝を毒殺するしかないだろう。
このままだと、帝が昏睡から覚め、何皇后に報復する。
証拠も証言もいらない。
帝の心証だけで十分だ。
今回は宦官達の力をもってしても阻止は出来ないはず」
「何皇后贔屓の宦官達はどう動く」
「命が惜しければ距離を置くしかない。
このまま後宮内で帝が毒殺されれば、外朝の三公九卿共を喜ばせるだけ。
なにしろ帝の子は一人じゃないからな。
帝毒殺犯捕縛の大義名分で近衛兵を動員し、後宮に押し入り宦官達を皆殺しにして、
何皇后と長男を捕らえ、次男を後継にする」
帝の次男は、数年前に毒殺された王美人の産んだ子である。
毒殺後、帝の生母が孫の行く末を危ぶみ、手元に引き取り養育していた。
生母の名は董太后 。嫁ぎ先が河間系の劉家であった事から河間董氏とも。
何皇后が庶民の出なのに比べ、河間劉家の董太后には豊富な人脈がある。
古くからの家臣達もいる。
その力は侮れない。
「そう言うが、宦官達にも縁者が大勢いる。
宦官の引き立てで外朝側の高官になった者も多い。
簡単に済ませられるかな」
★
ランキングの入り口です。
(クリック詐欺ではありません。ランキング先に飛ぶだけです)