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金色銀色茜色

生煮えの文章でゴメンナサイ。

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白銀の翼(呂布)316

2014-02-27 21:02:53 | Weblog
 田獲家の家宰は動揺しても、そこは年の功。
腕を組み、上を仰ぎ見て、表情を読まれぬようにした。
しばらくして落ち着いたのか、顔を戻し、みんなを見回した。
「呂布殿や田澪様は当然として、他の方々は」
 野次馬達を指した。
「無関係の庶民は追い出せ」とでも言いたいのだろう。
その表情に、「家の恥を晒したくない」という色がありあり。
 命令されるより先に家来四人が動いた。
家宰の意を汲み、野次馬を追い出そうと。
 その前に呂布が馬を進め、立ち塞がった。
「腕尽くなら俺が相手しよう」と四人を見下ろした。
 見下ろされた四人は、その迫力に腰砕け。
怯んで引き下がった。
 家宰が抗議した。
「ここは我らの屋敷。騎乗のままでは無礼であろう」
 呂布は家宰を睨み付けた。
「今は貸した金の取り立てが先。
みんなも見ている。さあ、返事は」
 家宰は苦々しい思いを表にした。
「何とかして家の体面を保ちたい」と。
形相を変えて呂布を睨み返すが、言葉は放たない。
 門内の騒ぎが知れ渡ったのだろう。
屋敷内にいた家来達が新手として次々と現れた。
何れもが、防具は身に着けないまでも、
戦をするかのように棍か槍の何れかを手にしていた。
その数を合わせると、屋敷の者達は家宰を入れて二十三人。
 増えたのは野次馬達も同様。
騒ぎを知り、付近を歩いていた者達が次々と門を潜って来た。
こちらは五十人近い人数。
 新手の家来の一人が家宰に何事か耳打ちした。
それを受けて、家宰が呂布と田澪に告げた。
「当家の主人は外出しております。
主人に御用でしたら、また別の日に」
 家来の数が増えたのが力になったらしい。
言葉遣いが再び慇懃無礼な口調に戻っていた。
 呂布は家宰の言葉に嘘を感じた。
おそらく、耳打ちした家来は主人の指示に従っているのだろう。
主人の田獲がどこからか盗み見ているに違いない。
 呂布は下馬し、田澪に小声で伝えた。
「怪我すると拙いから馬車に戻って」
 下馬しても、騎乗していた時と変わらぬ呂布の偉丈夫振りに、
見守っていた野次馬達から歓声が上がった。
大人も子供も関係なく大喜び。
何を期待しているのか、異様な空気が辺りを支配した。
 田澪の理解は早い。
何も異は唱えず、そそくさと馬車に戻った。
彼女が伴っていた二騎が馬車の傍に馬を寄せた。
二騎の表情に、次に何かが起こることを期待している節があった。
 呂布は近くにいた野次馬の一人に手綱を、「持ってろ」と渡し、
それから家宰に視線を向けた。
「留守か居留守かは知らんが、家捜しさせてもらう」
 呂布は家宰に断る暇を与えない。
言葉が終わるより一瞬早く足を踏み出した。
家来達のど真ん中を突っ切るつもりでいた。
 家宰は身の危険を感じてか、声にならぬ声を上げながら後退った。
 家来の誰かが声を上げた。
「止めろ、止めろ」と。
 母屋の玄関に向かう呂布に棍が二本、三本と振り下ろされた。
呂布に油断はない。
最初の一本を巧みに躱しつ、二人目の懐に飛び込み、棍を鷲掴みし、蹴倒して奪った。
迎え撃つ側の家来達は必死。
矢継ぎ早に、数で嵩に懸かって襲って来た。
周りが敵だらけにも関わらず、呂布は冷静。
慌てることなく、滑らかな動きを見せた。
受けて、流して、隙を見つけては、奪った棍を振るう。
五人を打ち据える妙技。
 呂布の桁違いの強さに家来達の間に動揺が走った。
互いに顔を見合わせ、相手に攻撃を譲った。
 呂布の足は止まらない。
真っ直ぐに玄関へと向かう。
行く手にいる者は、たとえ攻撃を躊躇っている者でも容赦しない。
相手が槍でも怯まない。
棍で次々と打ち据えて行く。
 残った者達が悲鳴を上げて、呂布に道を譲る。
 家宰が背後から、「誰か、止めろ。その者を殺せ」と、あらん限りの声で怒鳴るが、
すでに勝負はついていた。
呂布と距離を置くのみで、誰も従わない。
 腕に自信はあっても、油断は怠らない。
慎重に、かつ素早く玄関に踏み込む。
伏兵は置いてなかった。
人影すらない。
それでも呂布は五感を研ぎ澄ませた。
 奥の方で騒々しい足音が聞こえた。
幾人もが駆け回っているような騒ぎだ。
声も聞こえた。
泣き叫ぶ声あり、怒鳴り散らす声あり。
おそらく使用人達が、表の騒ぎを知り、逃げ惑っているのだろう。
 と、背後から声。
「もし、旦那」と呂布に話しかけてきた。
 振り返ると、見るからに庶民の形をした男がいた。
涼しい顔で呂布に視線を合わせてきた。
武器は持っていない。
隠し持っている風でもない。
野次馬の一人に違いない。
「どうした」と呂布。
「ここの主人の顔をご存じですか」
「知らぬが、二、三人引っぱたけば分かるだろう」
「こらまた乱暴ですな。
手前が知ってます。この屋敷の造りも。
ご案内します」と、呂布の返事も聞かず、勝手に先に立った。

白銀の翼(呂布)315

2014-02-23 08:16:03 | Weblog
 すぐに出発するかと思いきや、田澪が呂布に、
「田睦家の客人なんだから、もう少し、それらしい格好をしてよね」と文句言いながら、
自分が乗ってきた馬車から、衣服一式を取り出した。
それを呂布に手渡し、「着替えなさい」と指示した。
何やら命令口調。
ただ、目だけは笑っていた。
 呂布は困惑した。
手渡された衣服は折り畳まれていたが、明らかに女物に見えた。
「間違えてないか」
「都では、そういう色合いが流行だそうよ。特に武人達にね。
何につけ、目立ちたい性分なのよね。
さあ、四の五の言わないで着替えてきなさい。取り立てを急ぐわよ」
 自室に戻って着替えてみた。
色合いに問題あるが、身体にはピッタリ。
体格に合う物を選んで来たと分かる。
これなら多少の荒事にも破れる事はないだろう。
最後に残ったのは黄色い太紐。
長さから、どうやら、これは額に巻くとみた。
金髪を、より引き立たせようというのだろう。
意図は分からぬが、口答えするだけ無駄に思えた。
従うことにした。
太刀を身に付けて表に出た。
 呂布が玄関に戻ると、その格好を見て、みんなが目を大きく見開いた。
驚いているのは確か。
「開いた口が塞がらない」とでも言うのだろうか。
でも誰も口を開かない。
呂布と田澪の顔色を見比べるだけ。
 衣服を選択した当事者の田澪だけが満足そうに頷いた。
「さあ、参りましょう」
 こうなれば破れかぶれ。
「毒を食らわば皿まで」の心境。
「道化師と笑わば笑え。ぶっ叩き切ってやる」とも思った。
 田澪が伴った二騎が先導した。
騎乗の呂布は彼女の馬車に併走する位置取り。
長安の広い表通りを粛々と進む。
擦れ違う通行人や他の馬車の者達が、物珍しそうに呂布の一行を振り返るのが分かる。
明らかに彼等の視線は呂布に向けられていた。
ただでさえ人目を引く派手な色合いの衣服。
それを身に纏っているのが金髪碧眼の偉丈夫ときては、関心を引かぬ分けがない。
「これでいいのか」と呂布が車中の田澪に問うと、
彼女は破顔して、「いいのよ、気にしないで」と。
 そのうちに何にでも興味を示す子供達が、目を輝かせて後を付いてくるようになった。
二人、三人から始まり、進むにしたがい、子供達が増えてゆく。
遊び気分で行列をつくる。
それに釣られたのか一人、二人と大人も混じり始めた。
 一行は大路から何本目かの辻を折れて横丁に入った。
真新しい屋敷が幾つも並んでいた。
 車中から田澪が顔を覗かせた。
「この辺りには成り上がり者達が集まっているわ。
どうやって稼いだのかは知らないけど、勢いは相当なものよ」
 その一つの門前で先導の二騎が止まった。
 田澪が事も無げに言う。
「あの門が田獲の屋敷よ。
さあ、お手並みを拝見させて貰うわ」と、他人事。
 呂布は馬を進めた。
先導の二騎は場所を呂布に譲り、馬車の方へ引き返した。
 門はしっかり閉じられていた。
馬を寄せ、激しく叩くが、誰も出て来ない。
そこで思い付いた。
馬車の後ろに付いて来た物見高い野次馬達の存在を。
子供が多いが、大人達の姿もある。
 呂布は野次馬達を見回した。
「お前達、見ているだけでは詰まらないだろう。
誰か、内に入って開けてこい」
 野次馬達の表情が変わった。
逃げるのではない。
明らかに面白がっていた。
互いに顔を見合わせた。
 一人が呂布に問う。
「よろしいので」
「よろしいも何も、許す」と呂布。
 野次馬達の動きは速い。
大人五人が進み出、軽そうな少年を一人、二人と持ち上げ、塀を越えさせた。
呂布の姿形が盗賊には程遠いので、手を貸すのに罪悪感は感じないのだろう。
 やがて門が内より開けられた。
少年二人が得意そうに呂布や、みんなを見回した。
 呂布は少年二人に、「よくやった」と言葉をかけ、騎乗で門を潜った。
その後に田澪を乗せた馬車や野次馬達が続く。
 騒々しさに気付いたらしい。
母屋の玄関から家来四人が押っ取り刀で飛び出して来た。
彼等の足が呂布の手前で止まった。
呂布を見、後ろの者達を見、理解に苦しんでいる様子。
見かけぬ毛色の違う奴、その後ろには馬車と庶民の者達。
組み合わせの妙が彼等を躊躇わせた。
賊ではないし、客でもない。
いったい何・・・。
 呂布が彼等の手間を省いた。
「俺は呂布。
田睦家で世話になっている者だ。
今日は、この屋敷の主人、田獲に用がある。
急いでここに連れてこい」
 一人が、「分かり申した。ここで少々、お待ちを」と母屋に駆け戻る。
残された三人は、「ここから先は一歩も通さぬ」という顔。
覚悟の武人かと思いきや、呂布が睨み付けると、素知らぬ顔で目を逸らす。
 さっきの家来が恰幅の良い老人を連れて来た。
 老人が一歩前に出て、
「呂布殿ですな。
ワシは当家の家宰を努めております」と言いながら、呂布に値踏みする視線を送り、
田睦様とはどういう御関係でございますか」と問う。
「居候させて貰っている」
「ほう。
その居候様が、当家に如何なる用向きで」
「長年、貸したままになっている金を取り立てに来た」
 家宰は表情に余裕の色を現した。
「それは御苦労様ですな。
しかし、田睦様御当人ならまだしも、居候様では」と慇懃無礼に言葉を切った。
 呂布は半歩前に踏み出し、威嚇した。
「俺では不足だと」
 家宰は、大勢の目を意識してか、余裕の色を残したまま。
「そうは申しません」
 すると、「お待ちなさい」と田澪が馬車から下りて来て、
つかつかと呂布の隣に肩を並べ、「私が立会人です」と家宰に対峙した。
 これには家宰も顔色を変えた。
「如何なる事で」と語調も変化。困った様子。

白銀の翼(呂布)314

2014-02-20 18:33:21 | Weblog
 呂布は朝になって後悔した。
昨日、怒りに駆られて安請け合いした。
「貸し金の取り立てを任せてくれ」と。
だが放った言葉は、もう打ち消せない。
 昨日は途中で田睦が、「疲れた」と言うので、
啄昭が主人に肩を貸して宴会場から姿を消した。
それを見送った呂布は、残った田澪に持ち掛けた。
「俺に貸し金の取り立てを任してくれないか」と。
 彼女は怪訝な顔をした。
「えっ、それは・・・」と声にしながら、表情の色を変え、意外そうな声音で尋ねた。
「取り立てをやったことがあるの」
「ないが、やりたい」
「どうして」
「李儒にここを勧められるにあたり、
ただで泊めてもらうわけだから、何か力仕事でお返しするように、と言われていた。
俺としては家の修繕とか、厩舎の手入れをするつもりでいたが、
今の話しを聞いて考えが変わった。
この屋敷にとっては取り立ての方が最優先のようだ。違うか」
 田澪が繁々と呂布を見詰めた。
「それは嬉しい提案だけど・・・、本当にいいの。
下手すると血を流すことになるわよ」
「望むところ」
 彼女は表情を緩めた。
「若いわね」
 納得したというより、面白がっている風があった。
 その彼女が馬車に乗って現れた。
いつもだと、歩ける距離に住んでいるので、徒歩で訪れるのだそうだ。
ところが今朝は違った。
馭者の他に騎乗の者が二騎。
彼女の嫁ぎ先の家来を伴っていた。
 呂布は啄昭と二人で出迎えた。
その様子に田澪は満足げな表情で二人を見た。
馭者の手を借り、ゆっくりと馬車から降りてきた。
歳にしては、衣服の色合いが派手過ぎる。
それを本人は、とんと気にしていないらしい。
のんびりと空を見上げた。
「今日は良い天気ね」
 啄昭が軽く拱手した。
「おはようございます。本当に良いお天気で」と言い、馬車と供の者達を見回し、
今日はいつもと違いますね」と疑問を口にした。
 呂布と田澪の二人は啄昭には話してなかった。
争いには不向きな彼を巻き込みたくなかったからだ。
ここで初めて田澪が彼に状況を説明した。
聞いて驚く啄昭。
言葉を失ったらしい。
 田澪が申しつけた。
「貸し付けの帳簿を見るから案内して」
「御主人様には」
「内緒よ。知らせる必要がないわ。
これは私と呂布が勝手にやること」
 啄昭の顔に迷いの色が出た。
それを田澪は無視し、重ねて申しつけた。
「いいから案内なさい」
 渋々と啄昭が案内したのは、母屋に隣り合わせた蔵の一つ。
扉を開けて啄昭が尋ねた。
「沢山あります。どれから見ますか」
 蔵の中には木簡、竹簡が山積みされていた。
 田澪が呂布を振り向いた。
「どうするの、呂布」
 呂布は考えない。気楽に即答した。
「どれからでも」
 代わって田澪が少し考え、提案した。
「一番手強い奴からで良いかしらね」と試すように呂布を見た。
 呂布はムッとした。
「一向に構わない」
 すると啄昭が、
「となると、田獲になりますが、これはちょっと・・・」と言い淀む。
 呂布はさらにムッとした。
「何が」
「気性の荒い奴なんです。
長安田家だけでなく他の豪族、貴族達の間でも鼻つまみ者で、どうしようもありません」
「それなら、なおさら結構。それにしよう」
 田澪が表情を緩め、
「一番手強い奴を落とした知れば、他の連中は自分から返しにくるわよ」と啄昭に言い、
呂布に、「大丈夫よね」と挑む視線を送った。
 呂布は田澪に呆れた。
彼女は明らかに楽しんでいた。
「当然」と視線を合わせた。
 啄昭が怖ず怖ずと田澪に尋ねた。
「私は」
「貴方は知らぬ顔をしてること。
田睦の耳に入れぬように。分かったわね。
あとは私と呂布に任せて。
私の立ち会いで、呂布が取り立てをするから」
 田澪は続けて呂布に、
「私が連れて来た者達は取り立てには関わらないわよ。
私は隠居の身だから、ほどほどにしないと今の当主に迷惑がかかるのよ。
・・・。
貴方一人でやれるのよね」と再び挑む視線。
 呂布は胸を張った。
「当然。
さあ、案内してもらいましょう」
 啄昭が田獲の分の竹簡を取り出して、田澪に手渡した。
分厚い竹簡だが、田澪は手早く読んで内容を確認した。
「確かにこれね」

白銀の翼(呂布)313

2014-02-16 07:59:22 | Weblog
 田睦に気に入られてしまった。
その田睦が呂布の背中を押して連れて行ったのは、来客用と思える宴会場。
手入れが行き届いていないにも関わらず、無造作に呂布を席に着かせ、
自分はその隣に腰を下ろした。
卓上の埃など目に入らぬらしい。
後を付いて来た田澪や啄昭が、「別の部屋に移ろう」と、しきしりに勧めたが、
まったく気にしない。
 田睦は呂布から目を離さない。
無邪気に話しかける。
呂布には意味不明だが、それを田澪が通訳してくれた。
「どこの国から来た」から始まった。
子供のような興味本位の質問が相次いだ。
澄んだ瞳で見詰められては、無下には出来ない。
精一杯応じた。
「父は、母は」と答え難い質問も出たが、表情には出さない。
気持ちを抑え、無難な嘘をついた。
 啄昭が一時的に姿を消すが、じきに戻って来た。
一人の中年女を連れていた。
中年女は呂布に驚くが、直ぐに表情を和らげた。
その女が乾いた雑巾で卓上を拭き始めた。
田睦に、「ごめんなさいね」と言い、呂布にも、「ごめんなさいね」と言い、
二人の前は特に丁寧に拭いた。
拭き終えると、急ぐような様子で姿を消した。
消したと思ったら、再び現れた。
二人分のお茶と、大盛りしたお菓子を持って現れた。
お茶をそれぞれの前に置き、お菓子を適当なところに置くと、
満足げな顔で丁寧に礼をして、部屋から下がった。
 田睦の質問の合間に、啄昭が主人の状態を説明してくれた。
「主人は病気のせいで、どういう分けか、記憶が曖昧になる事が多い」
「長いこと喋れない状態が続いたせいか、明瞭な言葉を発することも出来なくなった」
 家族の説明はしない。
女房や息子、娘がいたはずだが。
総領息子の死に触れたくなくて、敢えて避けたのだろう。
「主人の耳を避けた」としか思えない。
今もって、尾を引いているらしい。
 田澪も説明に加わった。
「この田家が長安田家の本家なのだけど、この没落振りに、
分家の者達の足が遠退いているの」
「繁栄していた頃は、しきりに金を借りに来ていたけど、今では近くを通りがかっても、
ちらとも顔を出さないわ」
 啄昭の表情が暗くなった。
「そういえば、その金の多くは返して貰っていません」
 田澪が、
「返して貰うのが、家宰の仕事でしょう」と啄昭を非難し、
呂布に苦笑いを見せた。
「啄昭には荷が重い仕事なの、
ごらんのように睨みが利かないからね。
・・・。
悲しいけど、この世は金次第。
払うものが払えなくなり、家来達を解雇するより他なかったわ。
こうやって細々と生活するので精一杯。
多くいた奴隷達の面倒もみれなくなり、解放したわ」
「あの時、売っていれば良かったのです。
奴隷を売れば金になったのに」と啄昭。
 その時、田睦が激しく反応した。
顔を真っ赤にし、手足をバタバタさせ、意味不明に言い募る。
それに田澪が頷いた。
「こう言ってるわ。
・・・。
私は奴隷商人ではない。
買ったのは、使用人が欲しかったからだ。
奴隷として買った覚えはない。
必要だから使用人として来て貰った。
生活が苦しいから売るなんてのは言語道断だ」
 一時的に呼吸が荒くなったが、次第に怒りが収まり、田睦の顔から色が消えてゆく。
 啄昭のか細い躯が、よりか細くなった。
「すみません」と、うなだれた。
 田澪が意外なことを呂布に言う。
「実はね、この啄昭も奴隷だったの。
仕事振りをみて、家来の端に抜擢したの。
それが今では家宰よ」
 啄昭が顔を歪めた。
「本来のご家来衆がいなくなったので、私が家宰になる他なかっただけのこと。
元が奴隷なので、貸し金の取り立てに行って相手されません。
鼻であしらわれるだけ。
・・・それが悔しい」
 その時、さっきの中年女が駆け込むように現れた。
室内の話しを盗み聞きしていたらしい。
田澪相手に、
「啄昭は何も悪くないわ。
啄昭だけじゃなく、代々の家宰も取り立て出来なかったのよ。
御主人様が病弱になられると、みんなして居留守を使ったり、開き直ったり、
盗っ人猛々しい親戚ばかり。
でもね、啄昭はね、金繰りに困り、自分を売りに行ったこともあるのよ。
奴隷商人の店に、自分を買ってくれないかと」
と怒鳴るように言う。
 啄昭が悲しそうな顔で中年女を制した。
「言うな、恥ずかしい」と、みんなを見回し、
「こんな老人が売れる分けがないですよね。
笑って断られました」と自虐。
 聞いていた田澪の身体が微かに震えた。
片手で目頭を押さえながら、
「ごめんなさい。知らなかった」と。一粒、二粒と涙を零す。
 彼女だけではなかった。
田睦もだった。
卓上に上半身を投げ出して、激しく号泣した。
釣られて中年女も泣く。

白銀の翼(呂布)312

2014-02-13 18:59:19 | Weblog
 呂布が掻い摘んで事情を説明すると、老婆は納得の表情を浮かべた。
それから視線を池の側の老人主従に向けた。
様子を見るに同情の色。
 呂布は李儒の言葉を思い出した。
「田家に足繁く出入りしている女がいる。
遠縁の者で田澪という。
睦殿とは幼馴染みだ。
敵に回すと厄介だから、くれぐれも注意しろよ」
 李儒は、「どんな厄介者なのか」までは教えてくれなかった。
老婆が視線を戻すと、呂布は確かめた。
「田澪殿ですな」
 老婆は不快な顔をした。
「・・・そうよ。
李儒にこの家の事情は聞いているのね」
「ほんの触りだけ。
詳しいところは何も知りません」
「しばらく逗留するだけでしょう。だったら知る必要もないわね。
まあ、いいわ。付いて来て」
 玄関に案内し、呂布を振り返った。
「厩舎はあるけど、ないも同然なの。
だから馬は適当にその辺の木に繋いで置いて」
 呂布が馬の手綱を木に繋ぐと、田澪は部屋に案内した。
玄関の陰になる通路に小部屋が幾つか並んでいた。
その一つ扉を開けた。
明らかに客用ではない。
使用人の部屋に違いない。
 顔色を読んだのか、田澪が言う。
「李儒に聞いたでしょう。
この屋敷は人手が少ないの。
訪れる人も滅多にいないわ。
だから客用の部屋の手入れまではしてないの。
この部屋で我慢してね。
それから、食事は出せるけど、他のことは自分でしてね。
分からないことは誰かに聞くといいわ」
 呂布は尋ねた。
「それではさっそく一つ」
 田澪が呂布をしっかりと見上げた。
「よろしくてよ」
「李儒とこの屋敷の関係は」
「聞いてないの」
「その時は興味なかった」
 田澪が嬉しそうに言う。
「その時はね・・・。
そこが肝心なのにね。
どういうつもりで、ここを紹介したのやら。
呂布、あなたは形は大人だけど、まだまだ子供みたいね。
いいわ、教えてあげる。
李儒はね、あの子はね、私が涼州に嫁入りして産んだ子よ」
 予想せぬ答えに、呂布は我が耳を疑い、穴があくほど老婆の顔を見直した。
繁々と観察するが、李儒とは似ても似つかない。
顔貌も、目の形も、鼻も、口も、耳も、どこも似たところがない。
 その反応が田澪を喜ばせた。
「知らぬ人の言葉を鵜呑みにしては駄目よ。
・・・。
ここは私の家じゃないけど、李儒の知り人なら大歓迎するわ。
田睦も同様だと思うわ。好きなだけ滞在しなさい」
 老人の主従が戻って来た音が聞こえた。
呂布と田澪は急いで玄関に出迎えた。
か細い啄昭が髪も髭も伸び放題の田睦を支える姿は哀れを誘う。
田睦は呂布には無関心だが、田澪にはチラリと目をくれた。
しかし目はくれたものの、色はない。
 呂布は田睦への挨拶として、頭を覆っていた布を取り外し、金髪を露わにし、
片膝ついて大げさな身振りで拱手をした。
「涼州から参りました呂布と申します。
友の李儒に、ここを頼るようにと紹介されました」
 啄昭と田澪が、呂布の金髪に息を呑むのが分かった。
ところが田睦は違った。
目を大きく見張りはした。
しかし、それから口は半開きにし、表情を緩めた。
支えている啄昭の手を振り解き、フラフラと二歩、三歩と前に踏み出し、
片膝ついたままの呂布の頭に両手を置いた。
両の指で髪の毛を梳く。
まるで子供の悪戯のような感じで、ぐじゃぐじゃに梳く。
 啄昭と田澪が慌てて止めさせようとした。
それを呂布が目で制す。
「田睦様の気の済むままに」
 他の者であったなら直ぐさま殴り倒しているだろうが、
田睦の行為には悪意が感じられない。
気の済むまで梳かせようと思った。
 やがて梳く手が止まった。
その両手が呂布の脇下に回された。
田睦の口から意味不明な言葉が漏れた。
 田澪が助け船を出した。
「呂布、立ちなさい」
 言われるままに立ち上がると、田睦が呂布を見上げて、またもや何事か漏らす。
 再び田澪。
「供して歩きなさい」
 田睦が呂布の背中に手を回し、軽く押す。

白銀の翼(呂布)311

2014-02-09 08:39:00 | Weblog
 呂布は一人で長安に入った。
今でこそ都は洛陽だが、前漢時代はこの地が都であった。
漢朝の祖、劉邦が都城を築き、首都と定めた町だ。
かつての栄光こそ失われたが、この長安は今でも大人口を抱えていた。
中華の、「西の都」と呼ばれるに相応しい繁栄ぶりであった。
 益州と涼州の町しか知らぬ呂布にとっては、初めて足を踏み入れる大都市。
整然と建ち並ぶ町屋と行き交う人の多さに戸惑ってしまった。
 自分を取り戻すと改めて町を見回し、李儒が教えてくれた道順通りに馬を進めた。
辿り着いたのは大きな門構えの屋敷であった。
聞いていた通り、古風な観音扉。
これも聞いていたように、扉の補修の跡が痛々しい。
人目に触れる表門なのに、素人仕事のような継ぎ接ぎが為されていた。
それだけではない。
内側に人の気配が感じ取れない。
しばらく門前でみていたが、人の出入りもない。
「その屋敷の主人は土地の豪族としては古株だったのだが、
総領息子を失ってからは脱け殻同然になってしまった。
何もせぬので、次々に使用人が離れ、身内までにも愛想を尽かされてしまった。
今では何人が傍にいるのやら」と李儒。
 門内に聞こえるように声をかけたが、応答はない。
門衛もいないらしい。
呂布は勝手に入ることにした。
扉に手を当てた。
継ぎ接ぎされていても重厚さが感じ取れた。
木質だけは選んでいるらしい。
が、推測したように内側の閂が差し込まれていない。
そのまま押し開く。簡単に内側に開いた。
不用心にも程がある。他人事ながら怒りを覚えた。
目を怒らせ、騎乗のまま、玄関があると思える方角に向かう。
 馬を進めながら、また怒りを覚えた。
庭木の手入れが成されていない。
雑草はもとより枝葉までが伸び放題。
これではまるで、ほったらかされた雑木林。
よくよく見ると、通路の枯れ葉だけが取り除かれていた。
どうやら、そこだけは人手があるのだろう。
 少し行くと、庭木の間に人を見つけた。
水草で覆われた池の側の日溜まりにいた。
苔生した倒木に無造作に腰掛け、池を見ていた。
髪も髭も伸び放題の老人だ。
老人は池を見ているというより、ボウッとしている感が強い。
顔を上げれば呂布が視界に入るはずなのに、一向に気付かない。
馬の蹄の音も、その耳には届かぬのだろう。
 遠くから人の足音。
ペタペタと。
こちらに駆けて来る。
力強くはない。
薄っぺらい足音だ。
 現れたのは、か細い老人。
李儒を一回りどころか、二回りも三回りも小さくした感がした。
老人は駆けながら左右を見回し、「睦様、睦様」と呼んでいた。
ようやく無断侵入者に気付いた。
「あっ」と声を上げ、足を止めた。
素手ながら、何時でも飛びかかれる体勢を取った。
体躯の割りに鋭い眼光。
それまでとは違う空気を醸し出す。
「何者だ」と強い語気で呂布を見上げた。
 呂布は老人の警戒を緩める為に下馬した。
軽く拱手をして、
「表から声をかけたが、誰もいないようなので、勝手に入らせてもらった。
俺の名は呂布。
董卓将軍の家臣、李儒に聞いて、尋ねて参った」と応じた。
 老人はそれでも不審顔。
「呂布か。
それで李儒の用向きは」
 懐から木簡を取り出し、老人に差し出した。
「委細はこれに」
 老人は奪うようにして木簡を受け取った。
「ワシは家宰の」
「啄昭殿であろう。李儒に聞いている。
この屋敷の御主人は田睦様」と呂布は応えつ、視線を池の老人の方向に。
 啄昭が呂布の視線の先を追い、何を言わんとしているのかを理解した。
「あそこにおられたか」
「田睦様なのであろう。どうされたのだ」
「いかにも。散策してお疲れなのであろう。
ワシは主人の世話をしてくる。
呂布、お主はこの先の玄関で待っててくれ。
話しはそれからだ」
 言い捨てて啄昭は庭木の中に飛び込んだ。
丈の高い雑草をかきわけ、枝葉を払いながら主人の側へ駆け寄った。
耳元に何事か囁くが、田睦には届いていないらしい。
微動だにしない。
 そこへ新たな人の気配。
その者に気付いた時には、すでに身近に接近されていた。
その者が呂布を見上げて言う。
「お客さんかね」
 啄昭と同年代に見える老婆であった。
にこやかな表情で呂布に答えを促した。

白銀の翼(呂布)310

2014-02-06 19:57:33 | Weblog
 呂布は行軍の旅程を重ねるうちに騎兵達と親しくなった。
話が上手いわけでも、好人物というのでもないのに、何故か彼等が寄って来るのだ。
寄って来て、なんのかのと話しかけてきた。
「益州では」とか、「涼州は」とか。
夜営ともなると、何れかの天幕に招かれ、酒を振る舞われた。
 そんななか、行軍中の呂布の傍に馬を寄せて来た李儒が、騎兵達の一連の行動を、
「物珍しいのだろう」と言い捨てた。
確かにそうかも知れない。
金髪碧眼に加えて偉丈夫。
この中華の大地にはただ一人だろう。
まったくの見せ物。
奥底ではそう思っていたが、実際言葉にされると気分が萎えてしまう。
 李儒が続けて言う。
「気にすることはない。
最初は珍しいだけで寄って来るかも知れない。
でもなあ、そこから始まるものもあると思うぞ」
 李儒は時として自分一人で納得するような話し方をする。
この日もそうだった。
呂布は、はっきり言ってもらわないと分からない。
そこで答えは得られないと思いながらも問う。
「何が始まる」
 李儒は遠くを見た。
「何かが。それが何かはそのうちに分かる」
 呂布は李儒の言葉不足に呆れながら、もう一つの疑問を口にした。
「部隊長の郭夷だが、俺に含むことがあるのか」
「どうしてそう思う」
「言葉の端々に棘がある。
何かにつけ、一言多い。
時々、俺を監視しているかのような目付きになる」
 実際そうなのだ。
行軍中に郭夷の方から気安く話しかけてくることが多いのだが、
妙に後味の悪い思いに駆られる。
 李儒が片頬を緩めた。
そして左右を見回し、近くに郭夷の姿がないことを確かめた。
「彼奴は言葉足らずで,おまけに要領が悪い。
得意なのは戦だけときてる」
 一呼吸置いてから続けた。
「彼奴はお前が気に入ったようだ。
その証が棘のある言葉だ。一言多いのもそうだ」
「意味が分からない」
「彼奴は興味のない奴には鼻もひっかけない。
話しをしなければ、見もしない。
いないも同然の扱いをする。
ところが気に入った奴には何のかのと話しかける。
棘のある言葉を吐くが、気にせぬことだ」
 呂布は郭夷のこれまでの言動を思い返してみた。
が、好意を示されてる節はない。
「そうかな。
そんな気配は微塵もなかったような気がする」
「分かり難いので、よく誤解される。
・・・。
彼奴は、董卓様がお前を軍に誘った事を知っている。
お前が承諾して入隊すれば、真っ先に手を上げるのは彼奴だ。
是非とも自分の部隊に、と欲しがるはずだ。
まあ、その時になれば分かる」
 確かに、その時になれば分かる事だろう。
呂布は取り敢えず頷いておくことにした。
 一行は途中、長安に立ち寄る予定であった。
ところが先行させた物見の報告で予定が変わった。
「将軍は長安を迂回されました」という報告を受けたからだ。
 董卓は長安には立ち寄らず、手前で迂回して襄陽方向に向かっているらしい。
郭夷と李儒は慌てた。
董卓が長安に立ち寄っていないのに、部下達が立ち寄るのは反逆に等しい。
協議せずとも二人の意見は一致した。
董卓本隊と同じく長安の手前で迂回することにした。
「呂布、悪いな。予定が変わった。
我らは将軍の後を追う」と李儒。
 呂布は当初、董卓は長安に立ち寄ると聞いていた。
「何かあったのか」
「おそらく、長安に顔を合わせたく者が滞在しているのだろう」と李儒が訳知り顔。
「ほう、将軍にも苦手な奴がいたのか」
 李儒は考えた末、
「高位の宦官が将軍を待ち構えているに違いない」と答えを導き出した。
「宦官か。男でもない、女でもない奴のどこが苦手なんだ」
「相性が悪いんだろうな。とにかく毛嫌いされてる」
「しかし、宦官が長安で何をしてるんだ。
奴等の仕事は都で帝の傍近くに仕えることだろう」
「それは昔の話し。
今の連中は文官、武官の役目もこなし、地方の巡察も行う。
その巡察中に董卓将軍の帰還を聞いた宦官が、
長安に先回りして待ち構えているのだろう」
「何のために先回りするんだ」
「董卓将軍は金離れがいいと評判だ。
そこにつけこんで、饗応を受けようとの腹だろう」
 金、金、金は時代の風潮らしい。
そういえば、誰かが言っていた。
「帝も小遣い銭が不足しているので、官位を売っている」と。
世も末だ。
下の者は借金から逃れる為に家族で流浪し、
上に君臨する帝は小遣い銭欲しさに官位を売る。

白銀の翼(呂布)309

2014-02-02 08:31:44 | Weblog
 出立となると早かった。
呂真達は、「もう二、三日と引き止めた」のだが、
李儒が、「どうせなら長安までは同じ街道。共に参ろう」と強引に誘ってくれた。
李儒達は真っ直ぐ洛陽には向かわないのだそうだ。
「北方の争乱により居住地を追われた庶民等を帯同しているので、
彼等庶民の移住の世話を焼いてから洛陽に戻ることになる。
幸い無人の町や村が増えているから、それほど苦労はしないだろう。
まあ、内地を大きく迂回することになるがな」と李儒、
「御政道のせいで無人の町や村が増えてしまったが、お陰で移住先には事欠かない」
と半笑いで続けた。
 呂布は李儒の思惑が分かった。
長安に着くまでの間に呂布に翻意を促そうというのだろう。
李儒の様子から、董卓が呂布を気に入っているからとか、そういう事ではなさそうだ。
李儒の目は玩具を見る子供のような色をしていた。
呂布を棚に飾るつもりなのか、乗りこなすつもりなのか、そこまでは分からない。
が、思惑に乗り、長安まで同行することにした。
 みんなに盛大に見送られて翌早朝には出立した。
呂布は呂真から贈られた馬に騎乗していた。
呂真に、「うちの牧場では一番に長旅に適した馬だ。速さもあるが、なによりも頑丈」
と好意で勧められては断れない。
厚く礼を述べて再会を約した。
 呂布の周りは戦塵の気配を漂わせる無骨な騎兵ばかり。
それでも不思議と居心地がいい。
呂布は益州での私兵団を思い出した。
あの時は命じられての仕事だったが、それでも嫌いではなかった。
「どうやら、このような荒っぽい空気が自分には似合いらしい」と自覚した。
 李儒と郭夷が馬を寄せて来た。
二人で呂布を挟み込む形になった。
 李儒が呂布の馬を見た。
「どうだ乗り心地は」
「よく調練されている。これなら高値がついたろうに」
「次に会ったら、よく感謝することだな」
 郭夷が会話に割り込んで来た。
「ところで、もう一つの乗り心地はどうだった。随分とお楽しみだったようだが」
と片頬を歪めた。
 李儒が怪訝な顔で二人を見比べた。
呂布は郭夷の言わんとする事が分かった。
おそらく昨夜の事を言っているのだろう。
 急な出立が決まり、送別の宴が催された。
呂真が女衆に命じて、酒肴を大量に集めさせ、
牧童達には牧場で飼ってる羊十頭をするように命じた。
それらは郭夷の部隊全員にも行き渡るほどの量であった。
 とにかく急ぎ仕事になったが、その成果で宴は盛り上がった。
近隣に住むも、それほど親しくない者達までが、酒樽を持ち寄って来るほどの騒ぎに。
呂布の送別であったが、本人そっちのけの馬鹿騒ぎになった。
 呂布は酔いを覚まそうと表に出た。
みんなに大盃で飲まされて、潰される寸前であった。
すると、追って来たのか、背中に掌が押し当てられた。
「飲み過ぎたみたいね。大丈夫」
 ゆっくり振り返ると蔦美帆がいた。
彼女は背伸びして笑顔を近付けてきた。
「洛陽まで供してくれる約束だったでしょう」
 足取りは覚束ないが、頭だけはしっかりしていた。
「話しは聞いたが、約束はしていない」
「約束のつもりだったのよ。どうしてくれるの」
 昼間は颯爽としているが、今、目の前にいるのはホロ酔い顔の娘。
月明かりのせいか、心地好い風のせいか、彼女が愛おしく見えた。
思わず彼女を両腕で優しく抱え上げた。
軽いが魅力ある弾力の躯。
視線を交わした。
「さあ、どうする」と呂布。
「どうしよう」と美帆は両腕を呂布の首に回し、耳元に唇を押し当て、
「困ったわね、ここでは人目につくわ」と続けた。
 美帆の酒混じりの言葉に耳を擽られた。
途端に、ある場所が思い浮かんだ。
直ぐに足を隣接する呂真の牧場に向けた。
牧童用の住居の一つが空いていたはず。
住むには狭いが、今夜の用には十分過ぎる。
 足を進めながら呂布は不意に呂甫の顔を思い出した。
商家の息子達との険悪な口論の理由を聞いていなかった。
どうしてあの時、美帆の名が上がったのか。
そして、「呂甫兄さんは美帆をどう思っているのか」と問うのを。
 それを美帆の声が打ち消した。
呂布の耳元で、小さくクスクスと笑っていた。
何が可笑しいのか。
それとも嬉しいのか。
彼女が呂布の首に回している手に力をこめた。
呂布も美帆を抱える両手に力をこめて応えた。
 暗闇で美帆を抱きかかえた状態で、しかも酔っていた。
しかし、最悪の状況だが、呂布の足取りはしっかりしていた。
夜目は利くのだが、それ以上に別の力が働いていた。
一度も迷うことなく、目的の住居に辿り着いた。
 それを誰かに見られていたとは思わなかった。
酔ってはいたが、周囲には十分過ぎるほど注意を払った。
なのに、まさか見落としていたとは。
とにかく、相手が呂甫でなくて助かった。
 それでも呂布は、しらを切る、
「なんのことやら」
 郭夷も惚けたもの。
「そうか、そういう事にしておこう」
 事情を知らぬはずの李儒が軽く頷いた。
少ない言葉から、それとなく察したのだろうか。

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