京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2019 京の庭講座〈池泉の庭②〉二条城二ノ丸庭園

2019年03月05日 21時43分14秒 | 日記
2月27日の午後からは、二条城での現地研修です。まずは、国宝二の丸御殿から見学します。





江戸時代初期の武家風書院造りの代表的な建築群で車寄、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院とが北西方向に雁行型に配置されています。部屋数は33、畳は800枚、障壁画は3000面以上もあります。

大広間、黒書院、白書院の各部屋は付書院、違棚、床の間が備わった書院造りで各部屋からは二の丸庭園、遠くは天守閣が見渡せるように作られています。

大広間は、慶応3年(1867)10月に15代将軍徳川慶喜が在京の大名を集め大政奉還を宣言した部屋として有名です。しかし、教科書に出ている大政奉還の絵では障壁画に桜が描かれており絵のモデルとなった部屋は黒書院だと思われます。

二の丸庭園は国の特別名勝亭に指定されており、作庭は小堀遠州です。







作庭当初は、各書院から眺める書院庭園でしたが 寛永3年(1627)の後水尾天皇の行幸の際に行幸御殿があった南側からの眺望を考えて一部が作り替えられています。自然石の石組で滝、蓬莱島、鶴島、亀島を表している北側に対して、南側は切石が多く、アンバランスを感じます。遠州が関わっておれば、このような不自然な庭園にはならなかったと思われますが、文献などの資料がないので確かなことはわからないそうです。

北側の清流園は、昭和39年から40年(1964〜1965)に昭和の名作庭家 中根金作氏によりつくられた庭園です。
作庭には江戸時代後期の豪商 角倉了以の邸宅の一部を移築したり、庭石800個を譲り受け、また、全国から約500個の銘石を集め作庭されました。

その一角には「賀茂七石」が置かれています。どの石も今では採取する事が出来ない貴重な石ばかりです。







通常非公開の台所・御清所で「京都 日本画新展
in二条城」が開催中で初めて内部を見学しました。













二条城にふさわしい立派な台所ですが、後水尾天皇の行幸以降、使われることはなかったのではないでしょうか?天井の梁や木組みが煤(すす)けておらず木目がわかります。

最後に番所を見学して次に西陣にある京都市考古 資料館に向かいました。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿