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京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

七条仏所趾 京町家田中家住宅

2024年03月16日 10時01分00秒 | 日記
 3月9日は、「大西常商店」で京扇子の勉強と木乃婦さんの仕出し弁当を頂き、次に京都駅前七条通沿いにる七条仏所趾に来ました。





駒札にある様に、ここは平安時代中期に活躍した仏師・定朝(じょうちょう)をはじめ、その一族・子弟・子孫がながく居住して彫刻にはげんだ「仏所」のあったところで「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれていました。

定朝は、宇治にある平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)の本尊阿弥陀如来坐像・国宝の作者で「和様」と呼ばれるすぐれた彫刻様式を完成した。

一方、彼はすぐれた技術によって法橋(ほっきょう)の位を与えられ、仏師の共同組織として「仏所」の制度を整えるなど仏師の社会的地位の向上につとめました。

これらのことから、定朝は我国仏師の"始祖"と仰がれています。

 鎌倉時代に入って、この仏所から運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)・快慶(かいけい)らが相ついであらわれ、剛健な、また写実的な多くの名作を世に送りました。

しかし、室町時代に入って、彫刻は全体としてふるわず、この仏所も21代康正(こうしょう)のとき四条烏丸に移転しています。

その後、幕末の兵乱に火災にあい仏所の遺構は完全に失わてしまいました。









現在の町家のご当主田中さんは京都府の土木技師として定年まで勤められ、今は定期的に京都市立芸術大学乃学生さんに制作作品の展示の場として貸されています。













一階には蔵との間に中庭があったり、今では時代劇でしか見ない火鉢があったりと京町家の雰囲気が満載です。





玄関先にはさりげなく学生さんの作品が展示されています。
















こちらの見所は二階にあります。
特に南側の部屋には仏壇をはじめ、天井に使われている木材(屋久杉)や床柱、床框(とこかまち)には今では手に入らない材ばかりです。

と言うのも田中家は代々熱唱な東本願寺の門徒で多額の寄附をしてきたようです。

明治時代に東本願寺が再建された際の余財を貰い受け建てられ京町家です。

仏壇には細かな彫物や扉の下には蒔絵が施されるなど、美術の専門家の先生からは"掃除"もしないように言われているそうです。











各部屋にも、学生さんの作品が、、、
中でも赤松にたぬき、鯉の水墨画の襖絵は素晴らしいです。
木に登ったたぬきが下にいる鯉(学生さん)をながめ、"滝を登って龍になれ!"と励ましている様に思いました。

ご当主の田中さんはジョークで"たぬきが鯉を狙ってるだけや!"と言われていましたが、、、



敷地内にある"七條橋"と掘られた石柱です。
七条大橋がすぐ近くにあるので京都市から依頼を受けて置いているそうです。

京町家がどんどんと潰されている現在、、、
なんとか保存して欲しいものです。






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