7月12日は午後2時から京都アスニーで講座があります。その前に、いよいよきた祇園祭 前祭の鉾建て、山建ての見学に来ました。
まずは、鉾一番のくじ取らず長刀鉾です。この事は、長刀鉾が烏丸通の東にある唯一の鉾である事と明治末から昭和の都市改造計画で四条通が拡幅されるまでは鉾一基が通れる道幅しかなく(つまり追い越しが出来ない)、長刀鉾が進まなければ後続の鉾や山が動けないからです。
市中の疫病や邪気を集めた鉾や山は東へと向かい鴨川にそれらを流し浪速の大海へと退散させる役割があります。
鉾・山一番人気で期間中に粽は約4万個も売れるそうです。(ちなみに、小さな鉾や山では3千からら4千個だそうです。)しかし粽の大部分を占める笹が、近年の笹枯れで不足していて、しかも作り手も高齢化しており早くも来年の笹の確保に関係者の方々は頭を痛めているそうです。(粽の販売は鉾町の大事な収入源です。)



山鉾は「縄がらみ」という釘を一本も使わない工法で縄だけで建てられていきます。鉾には中心に"真木(しんぎ)"と呼ばれる木が垂直に立ったおり先端には長刀鉾には長刀、月鉾には月の"光もの"が付けられています。
これは、天からやって来ると言われる悪霊や疫病神を集める為のひとつの"装置"と考えられています。祇園御霊会が始まった平安時代には家屋は平屋で真木の高さがいかほどであったか想像でします。長刀鉾の場合は真木は20m(今の建物で6階相当)もの高さがあります。
次に来たのは、たかっての御旅所"八坂神社大政所御旅所旧址です。


駒札の通り、かっては二ヶ所あった御旅所のひとつでしたが、秀吉の京都改造により今の四条寺町御旅所に統合された歴史があります。
しかし今でも御神輿の巡行のコースになっています。
次に烏丸通を渡り岩戸山です。まだ建つ前の状態です。日本神話「天の岩戸」「国生み」に基づく曳山です。屋根の切妻裏の天井画は今井景年によるものです。


次に船鉾です。完成すると地上から屋根までは6.7m、鉾全体が船の形でをしており先頭には空想の世界の鳥 鷁(げき)が船尾には飛龍文様の勇壮華麗な鉾です。


次に鶏鉾です。真木の中ほどに航海の神・住吉明神を祀り、胴懸は「草花文様」のインド絨毯、見送りは16世紀ベルギー製毛綴綿、下水引は「唐宮廷人物図」の綴織のまさしく動く美術館です。



次に放下鉾です。21番目を巡行する習わしの鉾です。完成すると見送りには皆川泰造によろローケツ染め「バクダッド」でフクロウが描かれています。会所は慶応3年の建築です。



次に月鉾です。真木上部には約20cmの月読命を祀り、軒周りには海洋生物の飾り金具で彩られています。また、切妻屋根の端部は円山応挙作の草花図、蟇股の白兎は左甚五郎作と言われています。毎年のように新作の手ぬぐいが授与されており、購入者には鉾に上がれる特典があります。



大型の鉾だけに骨組み、車輪ともに立派ですね。
次に菊水鉾です。山鉾の中で唯一唐破風屋根です。縣装品は七福神をモチーフに統一されています。鉾頭には16弁の菊花が描かれています。




次に函谷(かんこ)鉾です。丁度 神事の最中で神職の方が祝詞を唱えて玉串を捧げていました。
くじ取らずの鉾では2番目に巡行します。
真木の中ほどに孟嘗君、その下に雌雄の鶏が祀られています。これは中国の故事 斉の孟嘗君が、家臣に鶏の鳴き声を真似させ、函谷関を無事に通過した事に基づきます。
前縣は16世紀ベルギー製毛綴綿で重要文化財。稚児人形喜多丸君は今年180歳になるそうです。こちらもまた、動く美術館ですね。



鉾建て・山建てにはベテランの作事方(さくじがた)に混じって若い人達も多く目にしました。こうして祭りの文化や伝統が次代に引き継がれているんですねー。
宵山の華やかな風景もいいですが、鉾建て、山建てをゆっくりと見物して14日の豪華で勇壮な山鉾巡行に思いを馳せるのもひとつの楽しみです。
まずは、鉾一番のくじ取らず長刀鉾です。この事は、長刀鉾が烏丸通の東にある唯一の鉾である事と明治末から昭和の都市改造計画で四条通が拡幅されるまでは鉾一基が通れる道幅しかなく(つまり追い越しが出来ない)、長刀鉾が進まなければ後続の鉾や山が動けないからです。
市中の疫病や邪気を集めた鉾や山は東へと向かい鴨川にそれらを流し浪速の大海へと退散させる役割があります。
鉾・山一番人気で期間中に粽は約4万個も売れるそうです。(ちなみに、小さな鉾や山では3千からら4千個だそうです。)しかし粽の大部分を占める笹が、近年の笹枯れで不足していて、しかも作り手も高齢化しており早くも来年の笹の確保に関係者の方々は頭を痛めているそうです。(粽の販売は鉾町の大事な収入源です。)



山鉾は「縄がらみ」という釘を一本も使わない工法で縄だけで建てられていきます。鉾には中心に"真木(しんぎ)"と呼ばれる木が垂直に立ったおり先端には長刀鉾には長刀、月鉾には月の"光もの"が付けられています。
これは、天からやって来ると言われる悪霊や疫病神を集める為のひとつの"装置"と考えられています。祇園御霊会が始まった平安時代には家屋は平屋で真木の高さがいかほどであったか想像でします。長刀鉾の場合は真木は20m(今の建物で6階相当)もの高さがあります。
次に来たのは、たかっての御旅所"八坂神社大政所御旅所旧址です。


駒札の通り、かっては二ヶ所あった御旅所のひとつでしたが、秀吉の京都改造により今の四条寺町御旅所に統合された歴史があります。
しかし今でも御神輿の巡行のコースになっています。
次に烏丸通を渡り岩戸山です。まだ建つ前の状態です。日本神話「天の岩戸」「国生み」に基づく曳山です。屋根の切妻裏の天井画は今井景年によるものです。


次に船鉾です。完成すると地上から屋根までは6.7m、鉾全体が船の形でをしており先頭には空想の世界の鳥 鷁(げき)が船尾には飛龍文様の勇壮華麗な鉾です。


次に鶏鉾です。真木の中ほどに航海の神・住吉明神を祀り、胴懸は「草花文様」のインド絨毯、見送りは16世紀ベルギー製毛綴綿、下水引は「唐宮廷人物図」の綴織のまさしく動く美術館です。



次に放下鉾です。21番目を巡行する習わしの鉾です。完成すると見送りには皆川泰造によろローケツ染め「バクダッド」でフクロウが描かれています。会所は慶応3年の建築です。



次に月鉾です。真木上部には約20cmの月読命を祀り、軒周りには海洋生物の飾り金具で彩られています。また、切妻屋根の端部は円山応挙作の草花図、蟇股の白兎は左甚五郎作と言われています。毎年のように新作の手ぬぐいが授与されており、購入者には鉾に上がれる特典があります。



大型の鉾だけに骨組み、車輪ともに立派ですね。
次に菊水鉾です。山鉾の中で唯一唐破風屋根です。縣装品は七福神をモチーフに統一されています。鉾頭には16弁の菊花が描かれています。




次に函谷(かんこ)鉾です。丁度 神事の最中で神職の方が祝詞を唱えて玉串を捧げていました。
くじ取らずの鉾では2番目に巡行します。
真木の中ほどに孟嘗君、その下に雌雄の鶏が祀られています。これは中国の故事 斉の孟嘗君が、家臣に鶏の鳴き声を真似させ、函谷関を無事に通過した事に基づきます。
前縣は16世紀ベルギー製毛綴綿で重要文化財。稚児人形喜多丸君は今年180歳になるそうです。こちらもまた、動く美術館ですね。



鉾建て・山建てにはベテランの作事方(さくじがた)に混じって若い人達も多く目にしました。こうして祭りの文化や伝統が次代に引き継がれているんですねー。
宵山の華やかな風景もいいですが、鉾建て、山建てをゆっくりと見物して14日の豪華で勇壮な山鉾巡行に思いを馳せるのもひとつの楽しみです。
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