京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

びわ湖疎水船 10:45蹴上発〜大津(上り)

2018年10月09日 21時00分37秒 | 日記
今日は念願叶ってようやく、びわ湖疏水船に乗船することが出来ました。この秋の予約は8月13日からでしたが、ちゃんと手帳にメモっていたのに気が付いたのが15日!既にほぼ満席でした。

根気よくサイトにアクセスしていたら、時折キャンセルが出ています。11日に空きが1席出たので直ぐに予約したした次第です。





設計は赤坂迎賓館、東京国立博物館、京都国立博物館などを設計した片山東熊です。

上の写真は、旧御所水道ポンプ室と第三トンネル西口です。前者は、御所の防火を目的とした施設でここから鉄管を埋設し蹴上との高低差を利用し放水する防火施設です。



手前が平成号、奥が明治号で乗客の定員は12名です。





トンネル内には側壁に2本目のロープが張られおり一本は上りの時に人力で舟を大津側に上げるためのロープです。もう一本は後から設置された電線です。





第三トンネルを抜けた所に架かっている第11号橋は日本最初の鉄筋コンクール橋です。船は山科疏水エリアへ。周りにはモダニズム建築で登録有形文化財の栗原邸、天智天皇陵、本圀寺があります。
また、毘沙門堂へ通じる毘沙門通りに架かる安朱橋をくぐると桜や紅葉のほか、地域の方が育てている菜の花やコスモスなど四季折々の花が綺麗です。



やがて、船は最後の第一トンネルへ。琵琶湖疏水の建設はこの全長2436mの長等山のトンネル工事から始まりました。工期を短縮するため、第一竪坑、第二竪坑の2本を掘り、山の西側、東側の計6カ所が掘り進められましたが、電力も重機もない時代、全ては人力で行われました。湧水や硬い岩盤など一番の難工事でした。主任技師の田邊朔郎は昼夜、工夫たちの元を訪ね、労をねぎらい、疏水の意義を説いてまわったそうです。





上の写真は田邊朔郎博士の銅像と、殉死した工夫たちを慰霊するため、田邊が自費で建立した慰霊碑です。

船はやがて、大津の乗下船場に。





第一トンネル東口には伊藤博文の「気象萬千」の扁額が掲げられており"さまざまに変化する風光はすばらしい"という意味だそうです。



上の写真は大津閘門です。門扉を開閉することで水位を調節し、水や舟を行き来させていました。

琵琶湖第一疏水は、当時の金額で125万円、京都府の年間予算の約半分の巨費、三年の工期をかけて作られた明治の一大事業でした。ちなみに今の金額に直すと約1兆円にもなるそうです。

滋賀県民と京都市民の間でよく「琵琶湖の水 止めたろか、、」の会話がありますが、京都市は年間2億2千万円の「疏水感謝金」を支出しています。

約30分の船旅でしたが今まで主任技師 田邊朔郎、京都府第三代知事 北垣邦道の事を学んできたので、先人達の疏水に対する思い、先見性、またその努力、強い意思に思いを馳せる事が出来たいい船旅でした。

今度は大津側からの下り便に乗ってみたいと思い、大津を後にしました。