【註】以下の文章は、匿名のBASEさんという方からの、私のホームページ上の「自由掲示板」にいただいた単位制高校、静岡中央高校に関する書き込みです。大変、重たい、しかも、多くの方に共有していただきたいテーマと木村は判断し、ブログへの転載をすることにしました。ご一読の上、多くの方のご意見を賜れば幸いと思います。
【BASEさんの書き込み】
僕は2年前にこの学校に入学してきました。入試説明会?の時に初めてこの学校に来た時には想像していた校内風景と全く違いちょっとショックというか意外でした。髪を派手に染めている・ピアスなどをしている・態度が悪い。 中学卒業後あるいは前の学校を辞めて来たという人がほとんどだと思うのですが、一体どういった気持ちで入ってきているのでしょうか??
校則がない・自由だから・楽そうだから・前の高校が嫌・非行をして退学したから。そういう事で入学してくる人がたくさんいると思います。一方どうしても訳あって辞めるしかなかった。例えば精神的な理由で。という人もいると思います。
結局入学してみると「まあこんなものかと」思うようになりました。僕はこの学校は後者の人のための学校になってほしいと思います。僕は今の男女問わず常識がない人が大嫌いです。生徒ホールの机を陣取っていつも座っている。言い方は悪いですが、ちょっと行動がおかしい人を馬鹿にしたりする。駐輪場にもジュースの容器などが散乱している。盗難も多いらしいですね。何でそんな人を入学させたのか全く分かりません。本当に高校を卒業したいという人の居場所がない。これは僕の偏見かもしれないですが、ただ面倒で高校辞めてきた人が、他人の事も考えないで大声を出したり、騒いだりしていてほしくないです。こんな学校では嫌です。いつも一人でいるのに頑張っている人などの支えになってください。
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書き込みありがとうございます。ちょっとそれるかもしれませんが、こんなことを書きます。■現在中央高校の先生の人事、つまり、どのように教員の配置が決められるのか、というと県の教育委員会が決めているのです。それも、本当に本校の仕組みを勉強して、本校の生徒にこんな授業をしたいと言って集まっているのではありません。■本校は選択制をひいてます。そして、他校での高校生活があわなかったという方が生徒さんとして多数いらっしゃっているわけです。そのときに、普通の学年制の学校があわなかった人は本校へきてください、こんなおもしろい授業を、学年制にはいないこういうスタッフでやってます、とコマーシャルするとするじゃないですか。で、じっさいですよ、生徒が選択して評価があまりよくない人たちが年々入れ替え戦をすることになるとするじゃないですか。中央高校で教員をしたい人はぜひ、どんな授業をしたいか、校長に、アピールをだすとするじゃないですか、その選択決定を校長がして、生徒の満足度が低かったら校長がクビというようにするじゃないですか?そうしたときに、学校はどんどんよくなっていくはずじゃないですか?アメリカという国はもちろん途方もない矛盾を抱えたとんでもない国ではありますが、みんな、自分の国をすて、アメリカで夢をかなえようと移住してくるのです。もちろん、その移住の国としての魅力を高めようとアメリカはなんでも世界1だといおうとしているのです。中央高校は選択制なんです。その制度が、しかし、うまく機能していないのです。どんなに素行が悪そうに思える人だって、きっと卒業したいと思って本校の門をまたぐのです。そういう人に私たちが本当に魅力的だ、と思える努力をしているか、そこは大いに考え物だと考えています。
「一人の居場所がない」ように感じます 。
木村先生は公正だと思います。ある特定の人だけでなく全体の(万民の)益になることを考えていらっしゃるのだと思うのです。
しかし、一人でいる人たち特にBASEさんのおっしゃるような後者の人たちのこころの支えになってくれる存在はやはり必要だと思うのです。それを先生はどのようにお答えになりますか?
ちょっとよくわからないところがあるのですが、BASEさんのおっしゃる「本当に高校を卒業したいという・・・いつも一人でいるのに頑張っている人」っていう方が、なかなか私たちにはみえてこないんですね。いま、倫理の授業で「不良とバカ」というタイトルで授業をやっていて、いわゆる不良が、やる気がなく、雰囲気を破壊するという問題を考えています。で、これがそうそうかんたんに突破できる問題ではないのです。私はまあ、公務員です。みなさんに利益になるように、ということでやるしか当座ないのですが、授業という中では、そういう方に、特定した行動をとくにとることはしにくいですよね。私はしたがって自分の授業がより自然に参加できるようにすることに全力で努力することと、授業評価を生徒に実施してもらい、それを公表し、生徒がほんとうによいと思える教員の授業に出られるようにするくらいがいまできることなんですね。支えといわれたけれど、何ができるのかなあ、むずかしい。
例えば、先生の授業でもあると思うのですが、プリントを配布するということがあると思います。全員に配布するとき以外のことで話を進めたいのですが、こういう人がいます。「先生、プリントない」「この間休んだからない」こういう人のために、先生は時間を割きます。いろいろな先生のこうした作業の時間を計ってみたこともあるのですが、10分から15分かかっています。ある人は休んだ生徒のために、職員室や、準備室に取りにいきます。その時間は、授業が当然できないわけです。つまり、都合やなんかという例外は別にしても、勝手に休んだ、自分の怠惰によって授業に出席しなかったという人たちのために、時間は奪われるわけです。これは実際大変大きな問題だと思います。時間というのは貴重なものです。それが毎回の授業で加算していったらどれだけの時間になるでしょうか?その被害を受けている、常に授業に出席しているまともな?人をBASEさんの言う人だと考えてみたらどうでしょうか?こういう人たちへの心理的配慮が、多くの先生に欠けていると思います。こういう時間を割くなら、もっとやる気のある人たちのためにそうした時間をうまく活用してくれるように考えてくれてもいいじゃないでしょうか?
BOXさんの言うような事もありますし、例えば友達を作りたいが人付き合いが苦手な人がいて、昼食時間や休み時間を一人で過ごしてる人がいます。授業中に指されなければ学校にいる間一言も喋らない人もいるでしょう。その人は友達作りが苦手なだけで他は全く普通の人と変わらない性格です。もしかしたら見た目だけでは分からない一面もあると思います。
仮に授業内ですごく仲が良いグループが5人いたとします。その5人が同じ日に休んだとしたら確実にそのグループで遊んでるようなもんです。それは1人では授業に出れない事もあると思うんです。一人でいたい人は別として友達を作れない人にとってずっと一人でいるという辛さは他の人にはわからないと思います。それでも平気な顔をして頑張っているわけです。もっと先生達はこういう人達のサポートをしてあげてもいいと思うんです。
先生のおっしゃることはごもっともだと思って読んでいます。人と人との距離間はこれぐらいがちょうどいいのだと思うのです。しかし、東京には一人で楽しむ空間がいろいろとあるように思われます。OLさんや、ビジネスマン、お年寄りの方が恥ずかしげもなく入り混じって立ち食いそばを食べていますし、スタバなどのちょっとしたコーヒーショップには一人でも充分楽しめる空間などがあります。しかし、こういう気の利いた個人が楽しめる空間がこの学校にもあってもいいと思います。今のところ、個人が潤すことができない場所になっています。学校側はこうしたことには関心がないのでしょうか?また、校長先生などに提案してみてもよいのでしょうか?
つまり、木村先生の言うルサンチマン(最新のブログ記事みてね)が学習妨害や成長妨害をして足を引っ張る。そういう人間関係が通常になっているので、わずらわしい。もっと自分らしく成長したい人、にとっては、とてもふりな環境だと言いたいんじゃないですか?だからこそ、自分を大切にしている人たちのための個人を大切にする空間が必要だといいたいんじゃないですか?
コメントありがとうございます。自分の考えをうまくくみ上げてくれていると思います。とにかく不思議に思うのは、席が自由なのに、どうしていつも同じ席に座るのかが理解できない!!!たまには違う席に何の気遣いもなく座りたいってことないでしょうか。何で、自由なのにまわりに気をつかわなくてはいけないのかが意味わかんないんですよねー。木村先生がおっしゃるようなルサンチマンが全体に染み込んでるんですね。全くまいります。
小泉首相が日本社会について自由で民主主義の国といっていますよね。しかし政治体制その一角である学校は実は民主主義ではなく、社会主義そのもので、アメリカやヨーロッパ先進国の影響は受けて経済発展はとげてきてはいるけど、歴史的に受け継いだ負債とも呼びたいこの社会主義的体制を抜け出せないでいるのではないでしょうか?