新潮社
このアイテムの詳細を見る
05年度にうつ病など精神性疾患による病気休職をした公立小中高校などの教員数が過去最高の4178人に上ることが15日、文部科学省の調査で分かった。病気休職7017人のうち、精神性疾患を理由に休職した教員の割合(59.5%)も過去最高だった。また、懲戒処分を受けた教員(監督責任を除く)は前年度比29人増の1255人で、免職者総数は190人(懲戒156人、諭旨17人、分限17人)だった。
精神性疾患を理由に休職した教員は前年度比619人増で、13年連続の増加となった。在職者に占める割合も0.45%となり、ここ10年間は連続して増えている。文科省は「保護者への対応が煩雑になっていることや、子ども、社会が変化してこれまで培ってきた指導法が通用しなくなっているとの指摘もある」と説明した。
【高山純二】
毎日新聞 2006年12月16日 5時00分
本人が無自覚な場合
この問題はけっこうやっかいなのです。しかし、現実問題として、明らかに病的な精神の持ち主が教員を続行していることは現実問題としてありえるわけです。生徒がボクのところへと苦情を言いに来るなどということはあるわけで、その該当教員が明らかにおかしいとしか言い得ない言動をしていることもありえるわけです。被害者はまさに生徒なのです。
そして、精神の病気を患っている本人がそのことに自覚できず、成績をつけるというとてつもない権力をもっているわけで、生徒は、服従を強いられるわけです。そういう教員が
「しょうがねえよ、うちの生徒は!」
といって通って、職員室で過ごしたとしても私たちは教室という闇が深い闇としてだけしか存在しない以上、何ともできないわけです。いや、基本的には管理職はこういう人たちを区別し、配慮するしくみをもっていません。くわえて、どこで病気と正常との間の線を引くのか、引いたうえでその生活をどのように配慮するのか、まったく現在の現場は組織としてのマニュアルが存在していないのです。
教員の評価制度を走らすと県はいっていますが、広く日本社会といってよいかどうかわかりませんが、フーコーが『性の歴史』で書いたような精神病に対する西洋の分類の網の目を少なくとも学校は殆どもっていません。場合によっては夜の闇に隠し、辺地に隠してしまうのです。ただ、ただ隠蔽したり、放置したり、ということになり、病気が深まり、勤務できないとならないかぎり、結局放置するしかなくなるのです。そして、繰り返します。生徒が被害者となっていくのです。
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます
■コメントありがとうございます。■私は「夜回り先生批判」という文章をかつてブログ上で公開し、いかに限定した議論が難しいかを痛切に感じました。この問題も、デリケートな部分を多くもっていますので、できるかぎり議論を限定したいと考えています。■今回は、ザ・中学教師さんが解説されたように、精神に病気を持たれた本人が勤務できないで引きこもってしまっているというような場合を問題にはしていません。それはそれで問題であるが、今回の議論は、学校へと勤務している。ないし、病気の認定さえされていないが、明らかに周囲は困惑し、生徒にも苦情がでているのにもかかわらず、対処がほとんどできないというケースを問題にしています。■そうすると、こういう問題が発生するわけです。そういう方が、会議上で延々と発言する。提言する。はては、独断的に行動をはじめる。生徒指導に乗り出す。授業で、あるいは、教科外で、問題行動一歩手前のような行為を生徒に対してしてしまう。■しかし、医師にかかっているというのならば、それはまだいいのです。しかし、大体、病気でもなんでもない、というより、当人は正常だと考えている。■こういう教員に対して、私たちは何のノウハウももっていないという問題を提起したつもりです。一般論として書けば、とかく教育行政はそういう人間を、辺地の学校や、夜の闇に隠すのです。私は驚くべき実態をみてきました。そこには、生徒という消費者への配慮など一つもない。だから、今回は「生徒が被害者」というところに絞って書いているのです。■つまり、この問題を「消費者が被害者」となっているという公害問題的な問題として考えてみたということなのです。そうすると、一体私たちはどのような解決があるのか、ということです。■くどいようですが、それが全部のこの種類の問題の解決になるなどと言うのではありません。■あなたは、「先生、あの先生はいったいなんなの?」と聞かれたときにどう答えるか、ということです。そして、少なくとも今の行政、管理職は、まったく生徒の「被害」を認定していません。■どこが、あるいはだれのところへおけば「さわぎにならないか」これだけのように思えてなりません。■そして、医師について言えば、まったく生徒の「被害」など配慮していません。医師はあくまで、「病人のリハビリ」によい、とか、「社会復帰に向けての訓練」というコンセプトでしかないということです。それは、「生徒が被害者」とは関係がないのです。しかし、僕の所へと生徒はきてこういうのです。「先生、あの先生はいったいなんなの?」
そうすると、
>この問題はけっこうやっかいなのです
であるにもかかわらず、タブ-に挑戦した木村先生の発言の意味は深い。
>生徒が被害者となっていくのです。
まさに、その通りなのだ。(教員も被害者なのだが)
なぜか、
認知が歪んでいるからだ。マイナス思考のル-プのなかで、脱出できなくなっているからだ。
鬱病の場合、認知の歪みが「攻撃」となって表出する。
内部に向かって攻撃する場合と外部に向かって攻撃する場合だ。自殺の可能性は、後者の方が、前者に比べて少ないように思う。
自分を攻撃する前に、周囲の者への攻撃となるからだ。
継続的にイライラ感が増大し、些細なことでも、「怒り」が爆発する。
木村先生の指摘は、この部分ではないかと思う。
このような教員は、「心の病」を患っているのだから、早期に治療していけばいい。依存性が少なく副作用も少ない薬も開発されている。回復もはやい。世間体など気にする必要はない。「病気は治さなければならない。」しごくあたりまえのことをやるだけだ。
しかしだ、木村先生の危惧は、
>精神の病気を患っている本人がそのことに自覚できず
なのだ。
自覚できたら、それなりの対応がある。(カウンセリングもそのひとつだが)
しかも、
>基本的には管理職はこういう人たちを区別し、配慮するしく みをもっていません。くわえて、どこで病気と正常との間の線 を引くのか、引いたうえでその生活をどのように配慮するの か、まったく現在の現場は組織としてのマニュアルが存在し ていないのです。
精神疾患者に対する世間の目はまだまだ冷たい。
マスコミも悪い。何か事件があると、それを持ち出すからだ。
そういった背景があるなかでの、線引きは人権の問題にかかわり、(差別と認識するから)組織的にマニュアル化などできないのが現状だ。
以上私の経験もまじえて、このエントリを解釈してみた。
トラバを貼らせていただきました。
木村さんのこの記事に半ば、頷き、半ばクビを傾げています。
たいへん精力的に学校に関することを考えておられるのには感服させられていますが、一方では厳しすぎる視線には辛いものを感じます。
数年前、鬱病の親を持つ子供が引き起こす問題との関わりの中で、自分自身も鬱の世界に引きずり込まれそうになったことがあります。親が自殺寸前のところで、なんとか善処ができたのと引き換えに、私はボロボロになりました。
精神疾患を理由に退職金を手に入れるまで休業を繰り返すとんでもない確信犯的教師も確かにいますし、その対極に真面目にがんばって折れてしまった教師もいるのです。それも、甘いといわれればそれまでなのですが・・・
優秀でない教員へのお怒りは分かりますが、木村さんのような優秀な方には、幅広く物事を見ていただけるようにお願いをしたいです。
骨折した人間に、「思いっきり走れ!」といったって、走れるわけはない。
そうなってしまった人間は、病気なんだから治療に専念して完治したら職場に復帰したらいいのである。
その単純なことが、できない世の中の偏見にこそ、問題があるのではないかと思う。