福岡の水鏡天満宮の境内に行かれた方は
御参りを済ませたら是非見ていただきたいものがあるのです。
太宰府にありそうでないもので、大阪天満宮さんや亀戸天満宮にあるもので・・・
それは御本殿の右手横に置かれています。
そう、石像の鷽なのです。
この像は竿に彫られた銘文によれば、
日清戦争の戦勝記念で福岡の有志が出資し、
石工の広田家により彫られて明治31年に造立されたものなのだそうです。
間違いなく当時の木うそがモデルになっていたようですが、
この時期のものは現物が残っていません。
かろうじて川崎巨泉の玩具帖などに絵としてその姿を見ることができます。
そういう意味では木うそそのものではありませんが、
形が保存されているという意味では貴重な存在です。
明治の木うそは鳥然とした造形のものから
徐々に後羽のカールがデフォルメされ、強調され出して
現在の木うその形の基礎が出来あがって行く過程にあります。
この像が貴重なのは、その後背の造形にデフォルメされる前の
元の造形が見て取れる点にあります。
大正期の木うその側面にうろこのような模様が施された作例がありますが、
この石像品を見るとその意味がはっきり理解されます。
御参りを済ませたら是非見ていただきたいものがあるのです。
太宰府にありそうでないもので、大阪天満宮さんや亀戸天満宮にあるもので・・・
それは御本殿の右手横に置かれています。
そう、石像の鷽なのです。
この像は竿に彫られた銘文によれば、
日清戦争の戦勝記念で福岡の有志が出資し、
石工の広田家により彫られて明治31年に造立されたものなのだそうです。
間違いなく当時の木うそがモデルになっていたようですが、
この時期のものは現物が残っていません。
かろうじて川崎巨泉の玩具帖などに絵としてその姿を見ることができます。
そういう意味では木うそそのものではありませんが、
形が保存されているという意味では貴重な存在です。
明治の木うそは鳥然とした造形のものから
徐々に後羽のカールがデフォルメされ、強調され出して
現在の木うその形の基礎が出来あがって行く過程にあります。
この像が貴重なのは、その後背の造形にデフォルメされる前の
元の造形が見て取れる点にあります。
大正期の木うその側面にうろこのような模様が施された作例がありますが、
この石像品を見るとその意味がはっきり理解されます。