太宰府木うそ保存会

木うその技術伝承と原木育成を目的とした会です。木うその歴史や会の活動内容などを紹介します。

津屋崎の木うそを探して・・・ その4

2010年10月13日 | 津屋崎の木うそ
津屋崎の木うそを作っておられた喫茶店三番館のマスター豊村さんにお話を伺うことができました。

津屋崎では大正から昭和初期頃まで、地元青年団が木うそを作って、毎年大みそかに出来あがった木うそを
お盆に載せて、各家々を回って売り歩いていました。
その話を聞いて、今から10数年前に5~6人の有志で集まって、町おこし目的で木うそを復活させようと
思ったのがきっかけでした。そこで津屋崎木うそ愛好会を立ち上げました。
家々を回って、古い木うそを探して、当時の木うそを見せてもらったり、太宰府天満宮へ見学に行ったり
して、作り方や形を研究しました。

そうして、出来あがったのがこのような木うそでした。

原木は柳を使っていました。
柳の木は根付きやすく根が張るので、津屋崎の護岸には古くから植えられ並木になっていました。
昔から柳を使っていたのは、木が容易く手に入りやすかったのもひとつの理由かもしれません。
柳は8月くらいに柳並木の剪定も兼ねて、枝を落とし、皮を剥かないで日陰干しをしていました。
木うそ作りに使う道具は鑿だったり、ナイフだったりと作り手によって、様々でした。
大みそかに間に合わせるように作っていたので、絵付はクリスマス前に愛好会メンバーで寄りあって、木うそ
に共同作業で一度に絵付をしていました。

出来あがった木うそは毎年大みそかに波折宮で行われる年越しまつりで販売しました。
年々、参加者が減っていた年越し祭りを盛り上げて、町おこしをすることが目的だったので、木うそを売るだけ
ではなく、豚汁を作って無料で配っていました。
そのおかげで、年々年越しまつりが盛り上がってきました。


波折宮外観

木うそが売れたお金で社会貢献しようと、小学校へ児童用こうもり傘を寄付したこともありました。

しかし、今から5~6年ほど前に、津屋崎木うそ愛好会は解散しました。
解散した原因は原木は手に入りにくくなったこと、後継者が増えなかったことが挙げられます。
柳の木が手に入りにくくなったのは、行政が行った護岸工事が原因でした。
それまであった柳並木は切り倒され、コンクリートとテトラポットで護岸工事が行われ、原木は手に入らなくな
りました。
愛好会のメンバーは多少の増減はありましたが、それぞれが居酒屋や土建、喫茶店、津屋崎人形師など様々でした。
仲間たちと木うそを作るのは楽しかった。それぞれが木うそを作って、集ると色んな木うそが出来て・・・。
出来れば続けていきたかったと思っています。

突然、お邪魔したにも関わらず、津屋崎での木うそ作りや愛好会のお話を聞かせていただけました。
またいつか津屋崎の木うそが復興することを願いつつ・・・。

波折宮に合祀されている天満宮


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津屋崎の木うそを探して・・・ その3

2010年09月17日 | 津屋崎の木うそ

「藍の家」の神棚に祀られていた木うそは3つ。今回はそのうち、左側の木うそを
ご紹介します。


大きさは高さ10、5㎝、直径は3、0㎝。
この木うそはクルクルとした羽の巻き上げではなく、流れるような羽の形をしています。


流れるような羽のためか、彩色は裏側にされていました。
他の木うそと同様、赤色と黄緑色の二色です。
底部には「フ」と墨書されています。
「平13年」のスタンプが側面に押され、平成13年製ということが分かります。

「藍の家」での取材を終え、次に向かったのが「三番館」という喫茶店。
「三番館」という名前は、昔電話番号が三番だったからだそうで、
当時、一番は豊村酒屋(津屋崎で立派な家構えの酒屋さん)、二番はポーラの別荘。

この喫茶店の店主さんで、最近まで津屋崎の木うそを作っておられた豊村さんに、
津屋崎の木うそ作りについて話を伺うことができました。

つづく・・・
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津屋崎の木うそを探して… その2 

2010年09月13日 | 津屋崎の木うそ
津屋崎の木うそを探して、福津市津屋崎へ行った広報部鳥は、情報収集で立ち寄った
「藍の家」で神棚に祭られた木うそを発見しました。


3体のうち、一番大きくて羽がしっかりしていたのは真ん中の木うそ。
どの木うそも胸に丸い赤と「波折宮」のスタンプが押してあります。


一番大きな木うそは高さ18、5㎝、持ち手部分の直径6、0㎝。
羽は三段で延びているものの、薄く綺麗に作られています。


羽は赤色と黄緑色で彩色され、きちんと羽止めもあります。


底部には「5000」の値札と「花」の署名がありました。


背には「平16」の赤いスタンプがあり、平成16年の木うそだと分かりました。

これらの木うそは「津屋崎木うそ愛好会」で作られていたけど、数年前から作られなくな
ったとのことでした。
しかし、「藍の家」の方が当時作っていた方に連絡をしていただき、直接お逢いすることが
できました。

つづく・・・
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津屋崎の木うそを探して・・・ その1

2010年09月01日 | 津屋崎の木うそ
津屋崎町は2005年1月24日に福間町と合併し、現在福津市になっています。
津屋崎の木うそを探して、津屋崎にやってきたもののまったく手がかりがありません。

そこで情報収集を兼ねて、福津市まちおこしセンター 津屋崎千軒と藍の家を訪ねる
ことにしました。


福津市まちおこしセンター 津屋崎千軒


昔は小高い丘の上に天満宮があった場所で、つい最近まではJA津屋崎町があったところ
に、こんな立派な建物がありました。
駐車場と観光パンフレット、津屋崎人形の展示などを見ることができます。
津屋崎観光に訪れるなら、情報収集のために立ち寄られることをおすすめします。


次に訪れたのが、平成20年に国登録有形文化財になった藍の家へ。
明治34年に建てられた元紺屋(こんや)(藍染めを主とする染物屋)です。
藍の家代表の方に登録されるまでの苦労話を聞かせていただき、建物の説明に耳を傾け、
ふと見上げると立派な神棚に木うそが祀られており・・・。


ようやく津屋崎の木うそに対面することができました。

つづく



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