森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

風化させてはいけない事は、確かにある。

2018-07-08 11:23:11 | 梢は歌う(日記)
 
忘れてしまう。だけど思い出す。
 七夕の祈り きっとあの人は、少女の時にいつか人の役に立つ人になりたいと高い志を掲げたのに違いない またあの人は生涯現役で生きて行こうと心密かに思っていたかもしれな......
 

 

上の囲みは、昨年の7月7日に投稿したものです。そして、またそこを開くと一昨年の7月7日の記事にたどり着くと言うツリーになっています。

今の世の中は本当に恐ろしい事がたくさん起きていて、「忘却」という技を使わなければ、心が病みそうなレベルです。

だけど忘れてはならない事は絶対にありますよね。

それが犯罪の歴史でも。

 

7月6日、とうとうオウムの麻原ら7人の死刑が執行されました。

たまたまテレビを消していた私は、やはりそれをツイッターで知りました。それを見て、テレビをつけて情報を得ようかと思いましたが、何か嫌な映像をまた見てしまうのかと、それで本当に終日テレビをつけなかったのです。

それはたまたまそうであったのですが、私的には助けられました。

後から知った事ですが、7人の死刑が実況のように流されて、顔写真の上にバツがつけられたりした番組もあったのでしょ。

思わずそれを知って、「おえっ」っと吐きそうな気持になりました。

なんと気持ちの悪い事を平気でするのだろうかと思いました。

 

私は、心の奥底の正直な気持ちの部分では、やはり死刑と言うものは如何なものかと思っているのです。

だけど今の世の中、それを大きな声で、とてもじゃないけれど言えませんよ。言えないし、時にはそんな気持ちは理想論だと、自分自身でもそこに蓋をしてしまう時があるのです。あまりにも被害者側に立つと、許せない事件が多いじゃないですか。

だからそれは被害者側のお気持ちが一番のような気がしてしまうのですよね。

被害者側の気持ちに準じて死刑を考えたら、それは報復と言う視点であり、間違えているのだと思います。だけどそれで少しでも気持ちが救われるのならば思ってしまうのですよ。

しかしまた憎しみや悲しみが、その対象である加害者が処罰されることによって、持って行き場が無くなり、余計に苦しむことになるのならどうなのだろうかと思ってみたりもするのです。

 

もちろん刑罰は、基本的には被害者のための物では全くないと言う事は分かっていて言っています。

加害者の更生や救済など、加害者側の問題なのですよね。だから世界でも死刑に対して「残酷な」と言う言葉が出てくるのだと思います。理不尽にそして残酷にも命を奪われた人の事は、どうだと言うのかと思ってしまいますが。

死刑と言う刑罰を語ることは、簡単にはいかない事だと思います。

 

だけど昨日夫が、買い物のために出かけた車の中で、彼らの死刑が世界からそうとうな批判を受けたと言いました。

なんだか嫌な感じがしました。

彼らは多くの人の未来を完全に奪い、またはその未来を大きく変えてしまった、単なる犯罪者ではなくテロリストなんですよ。

捕まえる時に、いきなり射殺したわけではありません。

彼らはそれから被害者が刻むことが出来なかった23年の歳月の時を刻み、息をし、被害者の見る事が出来なかった青空を見る日もあったはずなのです。

 

死亡なさった方以外の負傷者と言うのは、親指を切ったレベルではないのですよ。

肩をかすめて発砲されたレベルではないのですよ。

地下鉄サリンで死者13人およそ負傷者5800人。松本サリン、死者8人負傷者およそ140人。

地下鉄サリンでは、本当にそのテロに巻き込まれてしまった可能性が多くの人にあったのです。とても他人事とは思えない事です。

世界は死刑制度の残酷な云々と言うより、今も苦しんでいる人たちの事の方に思いを寄せて、少し黙っていて欲しいと思うのです。

 

 

そして私たちは、彼らが処刑されて(全員ではないけれど)、それでひとつの時代が終わったと忘れていってはいけないのではないかと思います。

かつてあったこの恐ろしい出来事を、何もちゃんと調べて全貌を正しく知っておけというのではありません。自分レベルで、自分の中に留めておくべきことを留めるべしと、私は思っているのです。

 

ほんの少々、この話題を続けていくと思います。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば、夏の日の相棒

2018-07-07 02:16:09 | 物と私と片付けと掃除

 

昨日、日傘を一本捨てました。

上の画像は、記事とは関係はありません。

 

傘の画像をトップに持ってきてもなあと思ったものですから、

既に終わりの季節を迎えている

紫陽花の花を載せておいたのです。

記事に関係のある画像はこれです。↓

 

 

私って物持ちが良い人だと思うのですよ。

確かに無駄なものがたくさんある家に暮らしているわけですが

(誰のせい ?)

なんでもやみくもに多い訳じゃないんです。

 

この日傘、

ある時には病院に、

またはある時は図書館に忘れ

またある時は

(多すぎるだろ、忘れてきたの。)

駅のホームに忘れてしまったのを

皆取り戻してきて、かれこれ8年近く使ってきました。

 

この傘を買い求めたのは、2010年の夏、山形旅行に行くためにだったのです。

最初にデパートで見てしまったのがいけないのか、

日傘は高いと思いました。

だからと言ってホームセンターのはおばさんくさくて・・・・

(その時は…です。)

どこかにリーズナブルで使い易いのはないかなと探して買い求めたものだったのです。

(でもどこで買ったのか忘れてしまいました。)

 

こうして写真で見てみると、けっこう色褪せていましたね。

でも捨てたのは、それが理由ではないのです。

 

ああ、無残です。

 

先日風の強い日に、草加松原を歩いたと言いましたが、

その時、姉妹に送ったラインには

「傘が二回ほど、壊れかかりました。」と書き込みました。

強風が来て、傘が曲がると、急いでたたみ

何とか踏ん張れた傘でしたが、

数日後の病院の帰りには完全にダメになってしまいました。

 

弱っていた所に、また風が吹いたのです。

 

8年も使ったのだから仕方がないです。

 

だけど・・・・本当は・・・

この傘の骨が最初に曲がってしまったのは、

去年の夏、私がこの傘の骨の上に手をついたからなんです。

 

石ころに躓いて、誰も居ない公園で転んでしまったのです。

はたから見れば、

ヨロリ→バーン

ってなものだと思いますが、

本人からしてみると、

ヨローリ→あああああ、ころぶ~

とスローモーションのように思えたりするのですね。

そして先に転がった傘の上に手が行きつつ考えた事は、

「そこに手を置いたら、傘、壊れちゃうわ。」だったのです。

 

だけど実際のスピードは、「バーン」ってなものですから、手は骨の上に着き、私の体重でその骨は曲がってしまいました。

そして私の膝は傘の中に落ちました。

「ふん」と言いつつ、私は急いで立ち上がり、

当たりに誰もいない事を確かめて(カッコ悪いので)、

そして自分の足を見てみましたが、無傷でした。

 

傘の下は砂利。

もしも傘の中に膝が落ちなかったら、

無傷と言うわけにはいかなかったと思います。

 

代わりに傘が壊れました。

それでも私は、その曲がった骨をエイエイと伸ばし、

残りの夏の日も、

少しゆがんだ円になった傘を使い続け、

そして今年の夏も、その少し歪んだ円の傘を使い続けていました。

 

夏の日はほとんどいつも私の傍にいた日傘。

山形の立石寺に一緒に登りました。

時には、文字通りの杖にもなってくれました。

そんな「奥の細道」への旅行のために買った日傘、

そして草加と言う、やはり芭蕉に関係がある所で壊れてしまった日傘。

(だけどそれに何か意味があると言っているのではありません。)

単なる事実です。

 

あの公園で私が転んでしまった時、

その傘に私は助けられたと思います。

(別に傘に意思があると言っているのではありません。)

単なる事実。

 

物はただの物でしかない。

だけど私は単なる事実のその向こうに、何かを思う人であり続けたいなと

そう思っているのです。

 

さよなら、私の夏の日の相棒。

今までありがとう。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ生活4567日♪

2018-07-05 16:37:24 | 梢は歌う(日記)


数日前から、この日のこの数字を狙っていました ^^

今までだって、面白く数字が並んだ日はあったはずなのですよね。
だけど、何も感じなかったか見逃したのか、それともそんな事を楽しむ余裕がなかったのかー。

それは自分の事なのに、既に過去の「不明」と言うボックスの中に入れられています。

とりあえず今回は気が付いて、そしてこの数字が並んだことにささやかな楽しさを見出したと言うわけなのです。


あらッ、もしかして、他に楽しい事が無くなって来たとか?



いやいや、とてもそうは思えない私の毎日です。

一番下に載せた囲みは、昨年の7月4日に投稿したものですが、そこに書いてある通り、

好きな事がたくさんある私はやはり幸せな人だと思います。



7月は藤原竜也さんの「レインマン」に行くし、映画の「ダイナー」の前に松田龍平さん主演「泣き虫しょったんの奇跡」にも、ちょっとだけ出るのですよね。凄く楽しみです。もちろん、佐藤健さんのもう一つの映画の事も知ってるけれど、お話がかなりドキドキしてしまうような感じがして、劇場にまで行くかは分かりません(今から宣言することもないけれどね。)

8月29日には吉田拓郎氏のCD「From T」が発売。

萩尾望都氏の漫画もガンガンと面白くなって行くし、近頃読書週間が復活したので読みたい本もいっぱいです。

やってみたい事や行きたいところもたくさんあります。
さあ、今日は何をしようかな、明日は何があるのかなと思うと、楽しい毎日に感謝したくなります。

そんな、さも毎日が素敵な事の連続みたいな錯覚を起こさせるような書き方をしていますが、私の幸せのハードルは低いのです。


先日、夫が
「今日はまだ何も見るべきドラマが始まらないし、見たいテレビもないな。」と言いました。

「ああ、そうね。そうだったわ。だけど言われるまで、私、何かを楽しみにしてた。なんだろう? 」

その答えは、しばらくして冷蔵庫を開けた時に分かりました。


「パパ ! 私の楽しみの正体が分かりました !」と思わず、夫殿に報告してしまいました。

そこには買ってあった西瓜が。

夕食後に食べようと思っていたのですね。



おととい、ふと気が付くと、既に午後10時になろうとしているのに、ルート君が帰ってきていませんでした。

ひとたび気になると、帰って来るまで心配で落ち着かない気持ちになります。

ツイッターにも何も呟いていないし、早く帰ってこないかなあー。

我慢出来なくなって、電話を入れてみた途端に玄関のドアが開きました。


一目見て、何かあったのだと思いました。

仕事場で辛い事があったみたい・・・・・。



疲れた顔をしているし、本当に元気がない・・・・・。



彼はちょっとだけあった出来事を話してくれました。


だけど彼は立派な大人・・、立派かどうかは分からない事ですが・…やっぱり大人で、会社であった事は自分で解決して行かなくてはならない事なんですね。彼自身も早く私が彼の傍から立ち去ってくれることを望んでいるみたいでした。

親から見たらずっと子供。
でも本当はそうじゃない。


切ない瞬間です。

だから私は部屋を出ながら言いました。

「でも私はね、君がこうやってちゃんと帰って来てくれたことだけで、本当に『良かった』って思えるんだ。」って。


すると彼は、私をちらりと見て

「んだな。」と呟いたのでした。




 

しあわせな人

昨日は地域のシニアと小学生のふれあいのイベントがあって、自治会役員の私はお手伝いに行ってきました。私はまだ一応、招待客の資格対象ではないのですが、わずかばかりのお手伝いの後に招......


 

 





 ―愛する者たちの未来を守りたまえ。

  私の一番の幸せはそこにあるから。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏となかよし2018

2018-07-04 01:13:39 | 梢は歌う(日記)

夏が来たからには夏を楽しまなくちゃね。

 

そしていつも夏の最初のミッションは

「かき氷を食べる」なのよね。

今年もガストで、7月2日にそれをクリア。

なんたって299円なものだから。

イチゴミルクなんて199円よ。

税抜き価格だけれど、

これで良いのよ、コレで。

 

美味しかったですよ。

 

だけど今年の夏って、異常に暑くないですか。

 

森とか

林とか

そう言う緑が好きな私でも

 

もーどうでも良い

 

 

 

本当にどうでも良い

 

 

と、思わせちゃう暑さ。

それでも、森の傍らを歩くと、

やっぱりパチリとその風景をカメラに収めたくなってしまうのです。

 

この道は、夜は絶対に歩けそうもないけれど、

緑が暑さを吸い込んで

ちょっと歩くのも楽でした。

 

夏の光はキラキラしていて綺麗。

見るべきものをちゃんと見る事が出来る夏の毎日だったらいいのになと思います。

 

でも今年の夏の暑さは異常じゃない ?

 

※ 「果樹園のティータイム」→ランチ日記

にも来てくださいね~☆


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「草加松原」を歩いてきました。

2018-07-03 01:30:11 | お出掛け日記

「千住大橋」を歩いてきました。の続きです。

 

ちょっと甘く見てました。

「草加松原」と言う所に着いたら、そこにある橋の上から、

「へえ。」と言いつつ、松原なんぞを見る程度なのかと。

 

松原の道は延々と続いていました。(1.5キロですって)

 

まあ、だけど、はっきり言って楽しかったのです ♪

 

千住大橋を後にして

千住大橋→京成関屋→→牛田(東武スカイツリーライン)→草加

で、ほぼ30分で移動しました。

 

しかしですね、松尾芭蕉さんが没してから、ほぼ324年が経とうとしているのに、いまだに「奥の細道」の聖地巡礼は収まらないのですものね。凄いとしか言いようがないですよね。

 松尾芭蕉も見たと思われる日光街道、ちょっとだけ歩いてきました。

 以下は写真日記。少々長いです。

 

 

草加の駅から草加松原に至る道では、ここで

地図を見直して、

「ああこの道であってるな。」と確認。

またハンカチを濡らして、スマホさんを冷やすー。

 

テクテク

学校のような古い建物がありました。

「歴史民俗資料館」でした。

 

中を覗いたけれど、靴を脱がなくてはならないので止めました。

後で時間の事を考えたら、見学しなくて正解でした。

(覗いてパチリ)↓

そうとう古い感じのお寺の横を通って

 

少し広い道に出ると、そこは・・・・

 

そしておせん茶屋に出ました。

 

あっ、あれは何だ !?

 

上の古い民家は、無料休憩所でした。

イイ感じの接待付きで、冷たいお茶を出していただけます。

美味しい珈琲も頂けます(有料)

しばしの休憩。そこでこの休憩所を守る人たちと、通りすがりの旅人と短い楽しいひと時を持ちました。

 

テクテク

 

顔が暗くなってしまいましたが、曾良さんです。

向こうにちょっと見えるでしょう。

この望楼から見下ろした風景は、こんな感じ↓

 

 

ここは

「札場彼岸公園」で、

 

入口に立っている芭蕉さん。

 

 

そしてやっと草加松原に・・・・・

 

この松原の横を走る綾瀬川と言うのは、確かに綺麗な水とは言えないかも知れませんが、その風景は美しいと思いました。

一人で歩いているので、ちょっと自撮りなど

 

やっぱ、風景だけにしとくかな。

だってさ、暑くて、顔はノーメイクみたいだし、しかも疲れてむくんで・…って良いとこないのよね~涙

 

よく見ると、ここに私、写ってるな~。

夏のミニ一人旅の自分画像はこんな程度で良いかもしれないななんて思ってみたりもしました。

 

『矢立橋』を上って下りて。

また、テクテクと。

 

 

 

 

 とにかくこのずっと続く感じがイイでしょう。

『百代橋』

 

同じ空の青さを見たかもしれない。同じ川の流れを見たかもしれない。

300年前の彼と。

だけれど、その河岸の風景は決して同じではない。

 

 

「奥の細道」の聖地巡礼なんか、その行った場所にしたって、後からお祭りのように作り上げられた幻さ。

 

それでもそれで良いのですよね。

私はそれでも満足です。

「好き」ってそう言うものだから。

 

この日は13274歩。

 

そしてようやく3時半ごろ遅いランチ。

 

冷やしラーメンです。

4時まではランチサービスのおまけが付きます。

量は少なくしてもらって、肉メシをつけてもらいました。

ラーメンもオマケのご飯もすごく美味しかったです。

 

そして6時前には家に普通の顔をしていました。

いや、普通ではなく、相当疲れた顔をしていたかもしれませんが。

でもやっぱり、家では非日常感は漂わせていなかったと思います。

 

それでもこの日は、私にとってはプチ一人旅であったことは間違いのない事だったのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「千住大橋」を歩いてきました。

2018-07-01 02:00:37 | お出掛け日記

梅雨が明けてしまいました。

6月27日、天気予報では一日中曇で、それなのに朝は雨がちょっと降っていたのですよ。

「なんだ、雨か。」と思ったのは大きな間違いで、あっという間に晴れて気温も上昇、風も強かったですね。

 

今日、マンションのサークルの方々と会った時に、

「先日は『千住大橋』『草加』の方に言って歩いてきたのですよ。」と言いましたら、

「なんで ?」と言われるので、

「松尾芭蕉の『奥の細道』の道をちょっとね、辿ってきました。」と答えました。

すると

「『松尾芭蕉』、どっから来た。」と、その人は笑いながら言ったのでした。

どっから来たと言うのは、本当に芭蕉さんがどこから来た人かと言う意味ではありませんよ。

つまり、・・・・・

まあ、けっこうお返事には窮します。

 

こういう会話は、意外とよくあるんですよね。

自分の世界観で物差しの長さも決まると言うもので、フレンドリーにその物差しで測られるー。

私は時々、こう言う時、人付き合いは難しいなと感じるのです。

 

私にとって、「松尾芭蕉」はいきなり飛んできていません。

2006年、このブログを書き始めた時からずっと「奥の細道」を辿ってみたいと言っていて、ブログ内検索をすると少々の記事が出てきます。

が、いまだに「千住大橋か」の段階です。

 

あっ、そうそう。

自分の世界観で物差しの長さも決めるって、27日、実は同じことを私もやってしまいました。

バス停でバスを待っていた時に、お友達から電話がかかって来て、ちょうどバスが来てしまいました。

それでメールをして、降りてから電話をしました。そこで私が言ってしまった事。

「今日、お休みだったんだ。残念ね~。それを知っていたら、今日、お誘いしたのに~。」

確かに普通のフレンドリーな会話。

だけどだけどさ、冷静になってみなさいよ、私。

高温多湿。加えて強風。

そんな日に出かけてね、行った先が、ただの橋。

その橋を見て「わーい」って言うのって、そりゃ、あなた。

そんな人は早々にはいないってばさ。

彼女にとって、ちっとも残念なんかじゃなかったと思います ^^

 

以下は、私が心の中で「わーい」「わーい」とはしゃぎながら撮った写真日記です。

 

 

 

駅を降りると、何やら風情のある看板が。

とりあえずパチリとしました。

だけど相当暑さで参っていましたね。

後から読んでみると、駅前のシンボルツリーの説明で、そのシンボルツリーの画像が無いわ。

この木については、→高野槙(こうやまき)を千住大橋駅前に植樹 その意味は?

たぶん、ただの橋と言っても、それでもいろいろと見逃したような気がします。

 

千住大橋の手前の「大橋公園」の所にはこのような看板がー。

この道を辿るのは、相当気合を入れないと無理だと思います。

少々の真似事で、私は良い事にするつもりです。

 

同じく大橋公園で。

テクテク

しかし、本当に青空で。

青空は良いけれど、本当に暑くて、私のスマホさんが熱を帯びてしまって、かなり撮影が困難な状況になってしまいました。

それをペットボトルを押し当てて冷やしたり、この先の公園でハンカチを濡らして冷やしたりしたのは、私の火照った顔ではなくて(それもしたけれど)、主にスマホさんのためだったのです。

 

 渡りました。

 「『千住大橋』は徳川家康が江戸に入った後、隅田川に最初に架けた橋。」

 なるほどね。

 

また戻って

なるほどね。

公園の所から上がる展望台みたいな所があって、そこから写したものです。 ↑

そこから下に降りて

向こうに見えるのは、千住水管橋。

 

テクテク

 

遠くに見えるのはスカイツリー。

 

 

 

『行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 』

 

そして私はまた、千住大橋駅に行き、今度は草加を目指しました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする