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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

新米パソコン生活[4]-パソコン検定15級レベル?

2006-02-17 23:17:30 | 新米パソコン生活
2005年7月に自分用のパソコンを買った。仕事に役立てようと思っていたのに、そんな事はそっちのけで、雑誌を読み捨てていくように、気になることを検索していた。そんな事をだらだらやって3ヶ月たった頃・・ 


 ある時、息子が私を見て言った。
「パソコン検定15級、急性ネット依存症。」

 何をぬかす。おぬしに言われたかないね。
ネット依存症はおぬしだろう。

 だけど、パソコン検定15級があるのか知らないけれど、そんな級があるのなら私の実力は、そんなところかな。

 ところがある日、友達に
「子供に言われちゃったよ。」とその事を言ったら、
「だって、少しずつ触ってたらうまくなるよね。好きなものって上手になれるじゃない。」だって。

 うーん、それはどうかな。こんな風に調べたい事を検索しているだけだったら、何がどう上手になると言うのだろうか。

 それでは、とりあえずキーボードの練習と言う事で、wordでなにかつくろうかな
と思っても、なんかつまらない。そうだ、今流行のブログなんてものがあるじゃないですか。それで、通りすがりの息子をつかまえて
「ちょっとそこのお兄さん、ブログなんていうものはどのように作るの?」
「作りたいなら、今でも作れるよ。」
「えっ、ちょっとそれは・・・心の準備が・・」
「なんじゃい、そりゃぁ」
だって、心の準備はいるでしょ、いざブログ作るぞ!というような。それに、あまりブログって知らないし・・

 そんなわけで、それからしばらくブログ覗き見生活。



ある時、だんなが実家で
「最近、ブログが読めるようになったから、嬉しくてしょうがないんだよね。」と言った。ばっかみたいなこと言うなよ。どうして、その程度の事が、嬉しくてしょうがない事なのさ。
「あなたって、あたしのことなにもわかってないのね。」
まぁさ、傍から見ればそんな風にしか見えないんだろうね。なんたってパソコン検定15級レベルですから。
それでも私、なんかむかついて、心の中で離婚届に判を押しちゃったわ。・・・・それって何枚目?


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「相棒」ー心優しいストーリー展開

2006-02-16 00:38:41 | ドラマ(相棒)
 前にも書いた事があるが、「相棒」はお勧めのテレビドラマだ。
なぜなら、期待を裏切らないストーリー展開のおもしろさが、そこにはあるからだ。

 人気シリーズとして長いので、登場人物も毎度おなじみで、斬新さに欠けるように一見思えるが、あにはからんや、ストーリー自体は、いつも斬新で面白さを裏切られた事がない。単純に見えるストーリーも決まってそのままでは終わらないと言う嬉しい裏切りが用意されているからだ。

 今日の「告発の行方」もそうだった。
 犯人は1時間ドラマなので登場人物が出揃ったところですぐにわかる。でも、面白いのはそこから。普通、秘書って言ったら、大臣の悪事の隠蔽を図る側でしょ。それで、トラぶってつい、殺しちゃうのが、単純サスペンスの定番。でも「相棒」は違う。秘書は20年仕え、尊敬してきた大臣の悪事を、命がけで、殺されたルポライター堂島に告発していたのだ。堂島も自分自身の起死回生をはかっての渾身の記事だったが、保身にはしった編集長に記事を差し替えられてしまう。事情を知らない秘書は堂島を攻めて争った末・・・
 だが、殺したのは、秘書ではなかった。(彼は怪我をさせただけ)秘書が帰った後、意識を取り戻した堂島は、失意のあまり自殺してしまったのだ。(または、事故)
 右京は、編集長に
「あなたが殺したともいえる。」と伝えるが、彼は、
「記事はつまらないから、差し替えただけ。」と居直る。
「あなたは、ジャーナリストじゃないだけ」と言いつつ、秘書も捕まり大臣も告発される事を伝え、今ならスクープになると教える右京。
手のひらを返す編集長に、堂島を見守ってきた女性編集者は、そこにあった雑誌で顔面パンチを。
 日の目を見た堂島の記事を読みながら
「これで良かったんですよね。」・・・・なんか少し寂しげ。/font>

 華やかさは無いかもしれませんが、完成度が高いと思いませんか?
しかも主役の二人は、人に対してとても優しいのです。(なんか文体変わっちゃうし・・)




思うんだけど、テレ朝って番宣下手じゃない?1月1日の特番、当日の朝まで知らなかったわよ。妹に、もしかしたら古畑より面白いかもなんて、微妙な事言っちゃった。比べるのも変なんだけれど、「人は暗示で殺せるか」という展開の意外性では、こっちの勝ちと思うんだけど・・

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バレンタインデ-でしたね

2006-02-15 00:49:38 | 思いつくまま
なんか近頃では、友チョコなんてものもあるそうですね。

あ~ぁ、なんだか、どんどんつまらなくなちゃうバレンタインデーですね。

義理チョコなるものが、世間に蔓延してしまった時も、ばっかみたいと思っていたのに。せっかくのロマンチックなイベントが、お中元や、お歳暮のようにやりとりされちゃってさ。近所の女の子なんかは、義理チョコ買いに行きながら、もう「お返し楽しみ」なんて言ってるんだから、お下品だったらありゃしないわ。

チョコひとつでも、心のやり取りがあるからこそ気合が入るってもんですよ。

義理チョコ、あげるのに負担を感じている人も多いらしいし、お返しあげなくちゃいけないから、もらうのも苦痛な男の人も多いなら、そんなつまらない事は、やめたらいいのにと思ってしまうけれど、会社なんかでは、無理なんでしょうかね。

でもまあ、何でもいいのか。お祭り好きの日本人だから。2月14日は、チョコレート祭り。


でもね、心を添えてあげたチョコレートの想い出は、今でもキラキラ輝いている。もらってくれたあの人も、エヘへ・・なんて思い出すこともあるかもね。



私、今年も上げましたよ。旦那と子供二人の三つ。紛れもない本命チョコです。
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頭の芯を殴られたい

2006-02-14 10:01:51 | ’08/12/7までの未整理日記
 ここ数年テレビドラマにはまっている。気に入っていたドラマが相次いで最終回を迎える頃になると、まるで親しい友と離れるような寂しさを感じてしまう。そして、また新しいシーズンが始まると、新学期が始まる時と同じように新しい出会いにワクワクしてしまうのだ。

人生は愛するものに出会う為の「時」の旅

なんていうと、大袈裟だけれど  もう~、だーいすきというものにめぐり会いたいと日々、願っているのは私だけではないと思う。

 そういうものに、出会えるチャンスとしては、テレビドラマはEAGYだ。もちろん、チャンスはドラマだけではない。小説だったり詩だったり、風景だったりする。または、漫画だったり。

もう~、だーいすき  というものも、感じ方がいろいろあって

 頭の芯殴られたように感じたりする時がある。
そんな時一日他の事に手がつかない。あまりそんなものに出会わない。むかし、ヘミングウェイの「日はまた昇る」を読んだ時は、そうだったかな。漫画だけど、大島弓子の「海にいるのは」を読んだ時も。萩尾望都の「ポーの一族」は、学校でお昼休みに読んでしまったりしたら、午後の授業はアウトだった。みんな大昔のことばっかりだ。


 キシッと心の奥がきしむ時もある。例えば
「夏草や  兵どもが  夢の跡」   という芭蕉の句に触れた時。

 心を囚われると言う感じの時も。
昔の大河ドラマの「花の乱」を見ていた時、吉田栄作とともさかりえの「新しい風」を見ていた時、そんな感じがした。
低視聴率でも気にしない。良いものは良いのさ。この作品は、本当にそれが言える内容でしたよ。

 もちろん、今までの素晴らしい出会いの数々を簡単には羅列できないし、感じ方もこのようにと分析するのも意味がないので、もうやめよう。

 だけど私は、願っている。この先も素晴らしい出会いがあるようにと。頭の芯を殴られたような衝撃的な何か・・



新シーズンのドラマは、どうでしょうか。






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「CASSHERN」見てみました

2006-02-13 11:16:19 | 映画
 本もドラマも漫画もジャンル問わずの私なので、もちろん映画も何でも見る。
ただ「CASSHERN」だと映画館に足を運ぶ事もないし、DVD借りる事もないかな。でも、テレビでやると言うと、やっぱり見てみたくなる。

 なんか、とっても不思議な映像だった。ただ綺麗な事は確かで、見慣れてくると映像は斬新で、迫力もあってO.K

だけど、映像に頼りすぎだよ~。話が難解で分かりづらいと思った人は絶対に私だけではないはず。(自信あり)

 若い人がターゲットだと思うんだよね。でも、こういっては何だけど若いからって理解能力が優れているって事はないのよね、近頃は・・
だってさあ、説明不足だよね。なぜ、突然新造人間が誕生したのか。あの、彼らがたどり着いた軍事工場つきの城は何か。

ねえ、誰か、解説してくれないかな・・ 

 ただ、彼のメッセージは、伝わってきましたよ。長ったらしいセリフは、ただ話を進めるためのものっていう感じに思ってしまったけれど・・

 エンディングの何分かの映像の中に全てのメッセージがあるように思われた。
悪人と言うのは、一人も登場しない。ただ、人は、愛するがゆえに、また憎しみのあまり「悪」になる。その地獄のような戦いのすぐ裏側には、愛に満ちた平穏な生活が誰にでもある。その憎しみから抜け出すキイワードは、「許す」だと思う。

 これは、映画には関係ない私自身の常に自分に言い聞かせている事
ー生きていくと言う事は許し続けると言う事、父を母を許そう。愛する人を許そう。そして難しい事だけれど、愚かな自分自身を許そう。-


 正直に言うと、私は、そのエンディングの映像を見ていて、思わず泣いてしまったのだ。この人って何でも泣くんだなと思われても仕方がない。確かに私はよく泣く。感情に正直なのだ。でも、この映画で泣くのは、私だって抵抗ある。しかも、涙が止まらないので、(この映画で泣いているのが、家族に知られたくないし)寝てしまい、朝、続きを書き始めた。

どこで、そんなに・・っていうと、
主人公の二人を助けた、三橋達也演じる老医師が、倒れている要潤演じるバラシンの前髪をいとおしそうに撫で付けた時だ。彼は、この老医師の息子だったのだ。

まさにセリフのないワンショットをあなどることなかれ、と言う事だ。
その後に続く愛に満ちた幸せな日々の映像・・


 紀里谷和明と言う人は、優れた映像作家だと思う。ただ、妻、宇多田ヒカルの名なくしても、次回作は作れるのかはわからないところだ。(あるわけだし)
ただ、次回作のことを考えると、「言葉もね、映像と同じように人に伝えるための手段なんだよ。」っていう事をもう少し考えた方が良いよね。



 キャストの演技は、皆素晴らしかった。
寺尾聡の東博士を見ていると、ダイワハウスのCM思い出しちゃうの私だけ?
 
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時々、「不良・元・少女A」

2006-02-12 15:31:20 | ’08/12/7までの未整理日記
別に、遊びに行って午前0時を過ぎて帰ったからと言っても不良と言うわけではないと思うけれど、昨日も午前様だった。

 前に子供の学校で「広報」なる役員をやったが、今でもそのメンバーで時々会う。「元広報グループ」と、とりあえず言っている。
「明日は、『元広報グループ』で出かけるね。」みたいに。他に言いようがないから仕方がないけれど、いつも妙な違和感を感じる。響きがいまいち?まあ、それもあるけれど、ほとんどのメンバーは、あまり広報の仕事をしていないからだ。
ー広報の内容?  それは、自慢できる出来ですよ。-

 要するに委員長だけが3倍働いて、後は役割分担がうまくいったのだ。委員長は人の3倍働く事をいとわない素晴らしい人だったので、みんな感謝している。
 私も働きましたよ。依頼原稿のお願いやお礼はを2件も行ったし、出来た元原稿を印刷所に持って行く委員長に、何の役にも立たずについて行ったし、新聞を作るのに1日学校に詰めたし。これでも、私は働いた方なのだ。
 普通「広報」というと、本当に大変な事が多い。だから、「元広報」で今も集まっていると言うと、「ああ、大変な仕事で結びついたんだなあ。」と役員経験のある人は思うところだけれど、そうではなく、私達は仕事のストレスもなく、お食事会と飲み会で結びついていった「お仲間」なのだ。

世の中のお母様方、役員は引き受けましょう。もれなくおまけが付いてきますよ。運がよければ、かなりGOODなおまけです。


 と言っても、その人たちといると午前様になるというわけでもない。大体の人は、シンデレラガールだ。別にラッキーな人たちのことではなくて、12時前には、いくらなんでも帰るだろうと言う人たち。それにガールも間違えた。ウーマンだったわね。

 要は、私自身の問題だ。私は基本的には夜型で、夜の闇が深くなればなるほど冴えわたってくるものがある。あまり、お酒に強くないので、自分自身にお伺いを立てながら飲んでいるので(お酒飲むのは好きですよー)帰る頃にはほとんどしらふ。みんなが、ヨロヨロして帰らなくちゃという頃、困った事に元気はつらつだ。
じゃあ、家に帰って何かするかと思っていると、大体どこにでも同類は居る。
「コーヒーでも飲んで帰ろう。」というので、断る理由なんかない私はいそいそとついていくのだ。

 私は、この人と平日の夜にもふらっと会う事があるが、お茶だけなのに真夜中になってしまう。
「今日会おうか。別にこれといってお話もないけれどね。」と言って、4時間。すごいね、おしゃべりパワー

 私は、日本の主婦にとっては、友人達とお茶のみをする時間はとても大切な事だと思っている。よく、外国の映画に出てくるようなドクターに予約を取ってカウンセリングを受けることが、日本では難しいからだ。精神科や、心療内科でさえその敷居は高い。町の接骨医ぐらいのお手軽ななにかがあればいいけれどそんなものはないし、私達は、お互いがお互いのカウンセラーになっていることが、間々あると思う。

 話す事によって、自分が感じているストレスの原因が明確になっていく場合もあるし、突然、解決の糸口が見つかる場合もある。誰かの言葉がヒントになることもあるし、話しただけで、解決してしまうストレスもある。

 そういえば、昔米飢饉の時、我が家では、とうとうタイ米を食べずに済んだ。お米を買う事にも苦労もしなかった。怠け者なので、お米なくなったら次どうしようかなとぼんやり思っていたら、友達が精米したてのお米を届けてくれて、次に買う手立ても整えてくれた。
 その時旦那が、子供たちに
「これは、ママがいつもお茶のみをして、友達を大切にしているからおいしいお米が食べる事ができるんだよ。感謝しなくちゃね。」と言った。
エッ!と思ったが、まあ、褒められた訳だ。 

 昨日も見るからにストレスいっぱいの友人の話を聞いて、それについて熱く語り合っていたら1時半になってしまったので、帰ることにした。


「不良」の定義は知らないが、〈主婦のくせに〉と言うならば、私は時々不良少女A。
・・「元」でした。





 旦那ですか~。何も言いませんよ。帰ってからも、旦那と子供とおしゃべりをして3時ごろ寝ました。私の家には、余分なお金はないけれど、光り輝く自由があります。

 


 
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汗が後ろに飛ぶように働け

2006-02-09 01:18:48 | 思いつくまま
今朝、なかなか仕事にスタートが切れなかった。

自宅で仕事をしているので、自己管理が結構大変だ。ご近所の長い付き合いの友人達には、働き者と思われているが、本当はぐうたらだ。怠け者なのに、ひとたび仕事にスイッチが入ると一心不乱に働くので、いつもヨロヨロしている。

夜は一日の疲れがドドーン押し寄せて、2時間ぐらいソファーでゴロゴロしていて、出来る事は、テレビドラマを見ることぐらいだ。姉などは、もうその時間にしっかり寝てしまい、朝の4時ぐらいに起きるようにしているみたいだ。
私にはそれが出来ない。2時間ぐらいゴロゴロした後、突然ー復活ーするので、それから、普通の主婦の仕事をするのだ。

近頃、そのリズムが崩れているのは確か。自分の時間を夜につくるためあまりソファーに座らない。休まないでパソコンの前にいることも多いので、疲れもたまっているかもしれない。自分の時間を作ると言うのは、仕事を持つ主婦にとっては、節約するのと同じぐらい大切なテーマだと思う。


つい最近、いつものように友人と長電話をしていた。友人達は、優しい。自分に興味のない事でも、私の話をよく聞いてくれる。今、私が何に時間を費やしているのかとか。私も彼女達の話を耳を澄ましてよく聞く。彼女が、何に時間を費やしているのかを。大体、その時間のために削っている代わりの時間は、睡眠時間だ。

「そんなことしてたら、お互い、よろよろばあさんになってしまって、楽しい老後はないよ。」
そうだ、自分で思っているほど肉体は若くない。
「じゃあ、あれだ、こんな風に長電話なんかしていないで一心不乱に働こう。がんがん働いて、たまっている仕事を片付けちゃおう。」そう自分に言い聞かせるように言っている私。
「例えばね、汗が後ろに飛ぶように働くわ。」
ーちょっと、冬ですよ、-とか
ー立ち仕事なんですけれどーと突っ込まれつつ、これでスローガンはO.k!!。
私も、がんがん仕事すると言ったら、尾てい骨が痛くなるほど座っていなくてはいけないわけだけれど、あくまでもイメージの話。家事なんかは、さらにこのイメージが強いかな。

ずっと昔見た夢の話ー人の夢の話って退屈だよね。でも夢は、私の指標で、自分からのメッセージだ。私は、胃が弱くて胃潰瘍やら、胃炎やら患っていたことがある。その時は、本当に治らなくて病気におびえていた頃ー

私は寝ている、病院のベッドで。私は、末期の何かの病気で気管切開をしていて話すことも出来ない。看護士の女性が言う。
「××さん、大丈夫ですか。また、後で来ますね。」
でも私は思っている。-いいえ、あの人はずっと来ないわ。私は、ここにただ横たわっているだけー
私は、寝ている、病院のベッドで。私は、寝たきりの老人でか弱い小さな声を出すのがやっとだ。介護士の女性が言う。
「××ちゃん、また後で来るからね。」
私は何か言おうとしたが声にならない。そして思っている。
ーあの人は、もう今日は来ない。私は、ここでただ死んでいくだけ。-

私は、目が覚めたときゆっくり起き上がって周りを見回して、ああ、良かったとしみじみ思った。どんなに病気でよろよろしていても動けるし、何かできるのだから。でもそれは、執行猶予みたいなものかもしれない。いつか、病気になって、または、老人になって、ただ病院のベッドで何かを待つだけの時は来るかもしれない。・・・でもそれは、今ではない。



汗が後ろに飛ぶように働こう。限りある命に感謝して家事も仕事も生き生きと。


情けない事に、これを書くのに三日もかかってしまった。だって支離滅裂だから。でも諦めずに書いた。また、グーたら病になったら、読むページということで。

だから、今日の朝は元気はつらつでしたよ。
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それでも泣いちゃった「戦国自衛隊」完結編

2006-02-08 19:35:33 | テレビ・ラジオ
 前回と同じで、ビデオにとって今朝見た。ビデオで見るといいのは、CMが抜けることかな。映画見ている時みたいに何もしないで、真剣に見ちゃいました。

 どんな展開で見せてくれるのかなと楽しみにしていたんだ。いろんな意味で。私的には、映画より心に残るものがあって良かったな。
 
 予告編を見ても、嶋村(だったよね)が、三成斬っちゃうシーンがあったので、ハハーン、これは、嶋村が三成に入れ替わっちゃうつもりだなというのはわかっていた。じゃあ、もしかして嶋村が切ったのも影武者ではなく本物で、歴史の転覆を計ろうとする嶋村に対して、歴史の修正を施すために伊庭は、家康の影武者として、関が原に参戦するのかと思ってしまった。それなら、小早川が、あんなにひどい目にあいながらも家康側につくのが納得がいくじゃない。

 もちろん、そんな風にはならなかった。でも、私がそんな事を思ってしまったのは、自衛隊の戦力を過大評価してしまったに過ぎない。それはこのドラマの登場人物たちも同じだ。セリフのなかにもあったよね。
「われらが付いたのだから、西軍が勝つにきまり」・・みたいな。
ところが、そうもならなかった。

 そうそう思い出したわ。この人たちは、考える事をしない人たちだった。この時代にはない戦力と、歴史が培ってきた知識という武器を持ちながら、このテイタラクさは、なあに。
 大体、三成の陣の半端な事。陣を張る事を布陣というのだよ。(この前辞書で調べたばかり)せめて格好だけでもつけて、もう少し三成になりきっての関が原であって欲しかった。この嶋村三成は口ばかりで策というものがないね。

 策というのがあったのは狸ばっかりだ。でも、その狸だって変だよね。戦さ場でお菓子なんか食べちゃって、妖しげに阿茶の局なんて出てきたりして。このドラマで怪しげな音楽を背負って登場する阿茶の局って、いったい何の意味が・・・。
余裕かましているつもりかもしれないけれど、天下分け目の関が原で、家康にだって余裕はないはずだ。余裕がないから、小早川がキーマンになり得るんじゃないのかな。

 文句たらたら・・、それなのに、泣きながら見ていた私。だって、あんなかわいい子に
「お帰りなさい、お父上・・おりんは、ずっと待っていました。」なんて、息も絶え絶えにいっているのを見て、泣かない人っている?
・・・なんか、今も涙が

 前回のときも思ったんだけど、ドラマは何を見せたいか一本、筋通したら、(太い細いはあったとしても)枝葉はあまり問わなくても成り立つと言う事なんだと思う。そこが、映画とは違うところなのかもしれない。

 なぜ、小早川があんな狸じじいの方に付いたのか、これが、このドラマのポイントだよね。家康が、本当に嫌なじじいに描かれていたけれど、その目先の小を捨て、その先にある天下泰平ー平和のためにという大儀をとったということだろう。
たとえ、後世に卑怯者と言う名で残ろうが、・・・


 題は忘れてしまったが、前に読んだ本では、小早川が関が原合戦に近い夜、本当に高台院を訪れたそうだ。そして、高台院に恩よりも太平のためにと諭されたとあった。関が原のあと卑怯者と言うそしりに耐えられなくて乱心の末死んだというのは、本当のことなのだろうか。歴史の真実は知りようもないが、天下泰平のために
家康に付いたのだと信じたい。

 最後は悲しい展開だが、「歴史は、不本意に介入したものを許さない」ということだろうか。

 ただ、ここでもちょっといいですか~
「守る」というのは、その人のために犬死することではないんだよ。

 時間切れというのはわかるが、それなら、エピソードのだらだらした部分を削って、最後をもう少し盛り上げて見せて欲しかった。あんなあっけない死に方では気の毒でー登場人物ではなく俳優がねーかえって余韻が残ってしまった。



神社のところで伊庭の妻と娘が、彼のメッセージを見つけた時
「お帰りなさい、パパ。ゆうは、ずっと待っていたの。」
って、きっと心の中で言ったよね。
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功名が辻「新妻の誓い」-貧しさは知恵の母

2006-02-05 23:31:44 | ドラマ (大河)
 今回は私好みの面白さ。あっという間に終わってしまい「エーッ、もう終わりなの。」と思ってしまいました。

 次回が楽しみですー本当のことを言うと1回目の時以外は、あまりそう思えなかったんですよね。でも、今回はホントにそう思えました。仲間由紀恵の持ち味がきらめき出したのかな。

 今回も、千代のストレートさが全開です。何時から自分の事が好きだったのかなんて聞いちゃって、うぶな一豊はたじたじで、かわいいカップルですね。

 今回は、半兵衛の活躍もたいしてないし、六平太は出番なし。一豊が、秀吉から冠者のような仕事を言いつけられたと言った時、六平太が出てくるのかと思ったけれど、そうではなかったのが、ちょっと残念。
 要するに、男くさい人は御遠慮くださいというところの回でしょうか。

 だって、大地真央の美しい事。この人、私より年上なんですよね・・すごいね

 この前、友達と彼女の事を
「舞台だったらいいけど、テレビじゃ無理があるよね。」なんて、悪口言ってたんだけど、訂正させていただきますわ。

 それから千代の貧しさゆえの創意工夫、いいじゃないですか。別にこれと言って、参考になることはないけれど、貧しさゆえに知恵を絞って工夫している姿に共鳴してしまいます。何かあっても、千代が何とかするみたいな頼もしさを感じますね。

知恵あるところに力あり   ということでしょうか。



あの~、貧しいんだから小袖持ってちゃだめだよね。あれで泣きを見たのは、千代それとも寧々?後で何かいただけたのかしら。・・・・・ごめんなさい、私、心が貧しくて。


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雲が美しすぎて

2006-02-05 02:56:03 | 家族スナップ
 今日、と言ってももう昨日になってしまったが、子供の学校で進学のための講演会and学級懇談だった。

 なにしろ、子供の学校は遠い。片道1時間半はかかってしまうので、ほとんど1日を費やして行く事になってしまう。ふう、やれやれと行く前から思っていたら、旦那が送ってくれると言う。

「やったーラッキー」  
   これで往きはお気楽ドライブさ。

今日の天気は晴れ
 夜中じゅう、風が強かったせいもあって空は本当に澄み切っていた。そして、そこに浮かんでいる雲の、なんて真っ白で美しい事・・

 毎日の暮らしでは、雲なんてぼんやり眺める事もないけれど、私は、雲を眺めるのが子供のときから好きだった。子供の頃夕焼けに染まる雲をふと見上げると、雲の上に家路にに向かう人々の列が見えた。斧とか、釜を背負って。もっと大きくなってミレーの絵を見たとき、いつか見た雲のうえの風景と一緒だなと思った。
雲が水蒸気の集まりだと知っても、その中に隠れて、雲の王国はあって欲しいと願っている子供だった。

ー何もない事は、貧しい事ではないー   そんな気がしてくる思い出だ。


 あの雲は羊みたいだねとか、こっちのは、両手を広げてジャンプしているねとか、車の中で盛り上がった後
「まあ、こんな日にドライブが出来て嬉しいです。」とご挨拶をしたら、
「ドライブじゃあないだろ。」と旦那。

 いいじゃないの。どうせ学校に行ったら、ろくでもないことが待っているんだからさ。なんてったって、お子様のお成績がお悪いもので・・

「あなただってさあ、仕事でいっぱい運転しているじゃない。こんな日に仕事が出来てラッキーだな、なんて思う日はある?」
「ない、ない、ない。」
「そう、それはお気の毒」  なあんて、ホントは答え知ってたけどね。


 帰りは、せっせと長い道のりを帰ってきたが、それも旅行気分で楽しかった。
観光土産なんかも買っちゃって。


夜、我が家では、子供の上にのみ雷が鳴り響いていたかな


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