森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

過去を旅する「旧岩崎邸庭園周辺」《2月の東京散歩その3》

2018-02-11 14:50:39 | お出掛け日記

 (なにげに長いです。コーヒーブレイク時にでもお越しくださいませ。)

 

和館から庭に出るわけですが、今は半分は工事中で工事していない庭も、今の季節はそれ自体にはそんなには見どころと言うものは感じませんでした。ただその一番の良さは、この建物の外観をしみじみと見る事が出来るところにあると思います。

洋館の隣に見えるのは、撞球室(ビリヤード)で洋館同様ジョサイヤ・コンドルの設計です。

 

遠くに見えるビリヤード室のあの椅子、素敵でしょう?

素敵な椅子には座るべし。

ちょっと面白いものを作ってみました。(面白く感じたのは、私だけかもしれませんが。)

元は二枚の写真なので、顔の表情と角度が微妙に違いますけれど、間違い探しのような画像になりました。4か所違います。

 

   

 

 お分かりになりましたか?

と、すぐに答え合わせです。引っ張るほどでもないので(笑)

バッグの位置とセーターの色、スカートの色、そして写した人の影が映っているのの4か所なんです。

この写真、最初に写したものに影が入ってしまったので、続けて撮りなおしてくれたのです。

でもこういう写真って、意外と好きなんですよ。

今回の東京散歩では、お友達と一緒に写したものが一枚もなかったので、この影が映っているのが唯一の二人で映っている写真になったわけです。この場所は凄くまぶしくて一枚は目を瞑っているようにしか見えなくて、もう一枚の影の入っている写真はオカメのような目になってしまいました。だけどなんかそれも好き。いずれにしても小さく載せて、目まではお見せするつもりはないのですが、なんだか顔の表情が、昔の塗り絵みたいだななんて思ったモノですから、ちょっとスカートの裾が乱れて写っていた一枚目を塗ってみたのです。

 

撞球室から見た洋館。

1階の手前に映っている部屋が、内部写真の一枚もないサンルームです。

 

 

そして撞球室です。

「龍馬伝」では香川さんが強烈な個性を放って演じた岩崎弥太郎が敷地を買い、そしてその息子である久弥がこの岩崎邸を建てました。2010年のその「龍馬伝」ではロケ地にもなったそうです。

(どのシーンで使ったのかしら。もう一回見たいです。「龍馬伝」では、香川弥太郎の若い時は、本当にこれでもかって言うくらい汚くて、子孫からクレームが出たとか言ってなかったかしら(笑)でも。「岩崎弥太郎」と聞いただけで、「ああ、はいはい。あの方ね。」と思えるようになった功績は大きいと思います。だけど総集編ではさすがにカットされたけれど、最後に「龍馬伝」のあれやこれやのすべても持って行ってしまったかのような、弥太郎臨終の顔って言うのも忘れられないシーンです。あれこそクレームものですよね^^)

 

ところでこの「旧岩崎邸庭園」に向かう道で、お友達が言いました。彼女は中学生の頃この近所に住んでいて、ここは通学路だったのですって。だけど

「よほど興味がなかったのか、ここの事は全く知らなかった。ただ大きなお屋敷があるなとは思っていたけれどー。」と続けたのです。

興味がなかったから・・・・・

それはないんじゃないかなと、私は不思議に思いました。

可能性としてはよほどのトンチキ・・・おっとと…いやいや、たぶん公開してなかったんじゃないかと思いました。それしかあり得ないんじゃないかな。こんな場所があったら、近くの学校は必ず何かに利用するはずです。社会見学とか歴史の授業にとか・・・。

そしてその謎はすぐに解けました。

旧岩崎邸庭園でお仕事している方に、ここの公開はいつからだったのかと、彼女が聞いたからです。

私は家に帰ってから調べればいいと思っていたのですが、すぐに解決したいと思った彼女の気持ちが分かるような気がしました。

だって、あの時普通に過ごしていた風景にそれは存在していたと言うのに、自分の中にその関わりがないなんて、記憶の中に霧がかかるような感覚が生まれてしまうじゃないですか。

だけどこの旧岩崎邸庭園は2001年(平成13年)からの公開だったのです。

彼女の「大きな屋敷がある。」のみの記憶は正しかったのですね。

 

それで私も思い出したのですが、既にかなり昔になってしまいましたが「旧古河邸」に行った事があって、それで「鎌倉文学館」とかも含めて古い館に興味を持った私は、東京に住む妹やお出掛け好きな知人などに「上野にも大きな洋館があるんだってね。」と聞いたのですが、誰の口からもここの名前が挙がって来なかったのです。既に17年の公開の歴史があっても、その頃には知名度はイマイチだったのだと思います。PC≠おばさんの時代です。

 

彼女の通学路だった坂。

 

 

ああ、歌で知ってる。

と、思われた方も多いのではないでしょうか。

と言うのも、私も思ったからなのですが。

こんな坂でも観光になってしまう東京って凄いです。などと私などはすっかり田舎者の観光客です。でも友達にとっては、懐かしい通学路で、そして昔家のあった場所を教えてくれたのですが、そこはマンションになっていました。

 

同じ風景を見ていても、その心象風景は違います。

だけどその気持ちが分からないと言うわけではありません。

かつて住んでいた所から離れたことのある人は、そしてある程度の年齢を重ねた人は、時には自分の過去へと旅をしたくなるものです。私も実家に帰った時、故郷の道を時々歩いてしみじみとしてる時があるでしょう。

故郷の道を歩く

 

下の画像は総合体育館です。

 

そのはずれには一枚のプレートがあります。(厳密に言えば2枚ですが、そちらの「尋常小学校」のプレートは省略しました。)かつてここにあった学校は、今はそのプレートの中にのみ存在の証明がなされているのです。

 

 

 

かつて通った懐かしい母校は既になく、その姿は新しい建物に代わっていました。

変化変遷の多い東京はそんな街なのだと思いいます。

友達は言いました。

「今日の私の一番の収穫は、この一枚のプレートにまた出会えたことだわ。」と。

 

 

 


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