森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

お馬さん日和 その2

2024-10-01 00:01:25 | お出掛け日記

・「お馬さん日和 その1」の続きです。

初めての競馬場体験のお話です。

「競馬体験」と言わないのは、昔、2・3回は友人に頼んで馬券なんかを買ったことがありますよ。

名前だけで決めて、まったくかすりもしませんでした。結婚する前のことです。

あまりギャンブルの才能は無いんです。今回も、それを身に染みて実感しました。

私は締まった馬の姿と、その馬たちが目の前を走っていくのが見たかったと言うのが今回の一番の理由です。

それでもやっぱり、競馬新聞を買うくらいですから、馬券を買う楽しみも少しはあったのです。

だけどその前にですね、凄く納得したことがあったので、そこから書きますね。

 

11レースの「スプリンターズステークス(GI)」は午後3時40分くらいからなんですよ。

第1レースは10時5分くらいから。

座席券の抽選に外れて、入場券のみを買った私たち。

そんなに早く行けないよと言ったら9時過ぎの入場チケットになりました。私のイメージでは最初の方のレースは捨てて10時くらいにのろのろと行けばいいのかななんて思っていたのですが、どうもその場所での楽しみ方のイメージが分かりません。それで妹の名都さんに任せることにしました。

それで8時半の待ち合わせになりました。

久しぶりの早起きです。6時半に目覚ましをかけて7時半に家を出ました。

なんか丸一日なのね。

そんなに長くて気持ちはモツの・・・・なんて思ってしまったのですが、そこは全く関係はなく、一日は楽しくあっという間に過ぎてしまいました。

確かに第1レースから楽しもうとなったら、その時間で行くのは正解ですが、8時とか8時半とかの入場でチケットを買うことの意味が、また別にもあるのだと、私は悟りました。要するに場所の確保です。

座席券がゲットできなかった場合、みな競馬場の中のベンチを確保するのですね。

9時入場でその事をまったく知らなかった私たちに、空いている席など見つけられるわけもなくがっかりしました。

 

でも外のレース場に行ってみると、芝生のいい場所を確保することが出来たのです。

この日のお天気は、

まったく暑くなかったのです。風も気持ちが良くて、ベンチは確保できなくても何も問題はなかったのです。

「なんてラッキーなんでしょう。」と私と名都さんは語り合いました。

だって涼しくなったのは、この2,3日前からだったし、27日の日はまた凄く蒸し暑く汗がダラダラと流れました。

素晴らしいお馬さん日和だったのです。

 

と言うわけで、また馬券の話に戻ります。

遠い昔、名前だけで馬券を頼んでかすりもしなかった私に、会社で隣に座って居た女性が、「私は馬の何々を見る。」と言ったのです。

彼女の言った「何々」って何だっけなぁと思いながら、お馬さんを見たら何かが分かるのかと、もう先に馬券は買ってしまったのですが、パドックにお馬さんたちを見に行きました。

やや、なんかやたらはしゃいでる馬がいるぞ。

なんかスキップしているじゃん。きっとああいうのはダメなんじゃないかな。

あら、あのお馬さん、やたらしょげている。

あのお馬さんもダメなんじゃないかしら。あのお馬さん、買っちゃったのよね。先に見に来ていたら、買わなかったかも・・・・なーんて事を思っていたのですが、トンデモナイ事でしたよ。

はしゃいでいた馬が3位だったと思います。そしてしょげていたように見えたシホリーンは1位だったのですよね、たしか。

きっとはしゃいでいて、まるでスキップしていたように見えたお馬ちゃんは、気持ちが高揚していたのですね。

そしてしょんぼりしていたように見えたお馬ちゃんは、「やったろう」と言う気持ちゆえに緊張していたのかも知れませんね。

 

と言うわけで、お馬さんたちを目の前で見ても全く分からない私なのでした。

 

3連複って、けっこう難しいなと思いました。2頭までは当たったりしますが、あと1頭がね。で、配当に拘っていないので、単勝で買ってみると言うのはどうかしらと思いましたが、申し込みチケット(?)の書き方が分かりません。それで近くにいるおじさまに聞いてみました。

その方は丁寧に教えてくださって、そして11レースの予想も教えてくれました。

ボックスで買う方法も教えてもらい

「これを買えば概ね間違いがない。」とおっしゃったので、その予想に乗ることにしました。

 

帰り道、私と名都さんは、「あの人、私たちに教えちゃって、ちょっとまずかったかなくらいなことを思ったかもね。」と言い合いました。

もちろん私たちは、外れたって何も思ってません。むしろ親切にして頂けて、その触れ合いが嬉しかったです。

その時、第4レースの馬券を単勝で3頭選んだ私。

すこぶる手堅いものを選んだので、1頭くらい来るのではないかと思いました。が、それも甘かったのです。

私の目の前をゼッケン12のダンツティアラがトップで駆け抜けていきました。

「そのままイケー!!」と言う応援の声が飛び交いました。

そのまま行くのだと思ってワクワクしました。

が、・・・・そうはならなかったのです。

でもまあさ、数秒、私の目の前で夢を見させてくれたのだから良いんじゃないと、私は思いました。

 

第7レース。

このまま箸にも棒にもひっかからないと言うのは嫌だなと、ちょっとだけ思っていました。

だって今日は、私的には競馬場見学会なのですから、このままでいったらアレを経験できないじゃん。

アレって払い戻しです。

パドックでゼッケン1のトライデントスピアってかっこいいなと思いました。それで単復で買ってみたのです。

3位でした。

アッ、これ払い戻し体験が出来るじゃんと、イソイソと払い戻しの機械を見つけ、やってみようとしたのですが、「どうやってするの、これ」状態になってしまいました。すると後ろにいたお兄さんが親切に教えてくれたのです。

そしてその人が名都さんに「勝ったのですか。」と聞いていましたが、すっごく恥ずかしかった、私。

「思ったよりいっぱい出て来たね。」と名都さんが言いました。

「うん、10円玉がね。」と私。

きっと後ろの人は、どうやったらそんな金額を出す掛け方が出来るんだろうかと、逆に謎を残したと思います。

でもこれで払い戻しの使い方も分かったし、さあこの先の不安もなくなったわと強気の私。この先、この場所には縁がなかったのですが(笑)

 

ここ数年でおばさん度が増した私。

見知らぬ人に話しかけるのに抵抗がなくなってきたわけですが

だから馬券の買い方から、払い戻し機の使い方も、親切に教えて戴けたのだと思います。

そしてたまたま隣に座られた気になる方ともお話が出来ました。

 

その方は一人で来ていた女性でした。家からだいたい私と同じ時間かかる埼玉の方でした。

レース場に来なくても馬券は時々買うとおっしゃっていました。

私は8・9・10レースは買いませんでした。2時間近く何をしていたかと言うと、ただ走ってくる馬を見ていたのです。なんか馬券を買ってしまうと、私は数字ばっかり見ているような気がしたのです。

「かっこいいな。可愛いな~ !!」と言っていたら、その人が

「そう可愛いんですよ、馬って。」と私の大きめな独り言に応えてくれました。

 

この日、途中で小雨がぱらつきました。

大した雨ではありませんが、ほんの少しだけ傘を差しました。

するとその方は、ちょっとかっこいい河童型のレインコートを着ていました。

出来るなお主ってな感じでしたよ。

 

帰る時、その人に

「またどこかで。」と言って戴けました。

「またどこかで。」と私も言って、ふと「勝ちましたか?」とにっこりしながら聞いてしまいました。

すると彼女は、とても可愛らしく指でジェスチャーをしながら「ほんのチョーっとね。」と、やはり微笑みながら言いました。

 

そして私は思いました。畑でも陶芸でも、そしてお馬さんのレースでも「ローマは一日にはならず」だなと。

 

お昼。

 

中山から船橋法典まで地下道で真っすぐ繋がっていました。

途中には歴代の優勝馬のパネルが飾ってあったり、絵が描かれていたりしました。

 

 

 

 

 

楽しい一日でした。

 

「お姉ちゃん、12月までに少しだけ勉強しておくね。」と、私は名都さんに言いました。

 

有馬記念、行けたら良いなって思っています。

 

 


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お馬さん日和 その1

2024-09-30 10:51:36 | お出掛け日記

ワタクシ、かねてより、馬がドドドと走っていくレースを見に行きたいと思っていました。

中山で「スプリンターズステークス(GI)」が29日にあると言うので、予定に入れて楽しみにし出掛けてまいりました。

競馬場体験は初めてなので、実はそのレースがどのようなものかなんて、実際にはさっぱり分かりません。ただ大きなレースなのねと言う感覚です。

少し29日前に競馬のお勉強をして行こうかと思いましたが、その余裕もなく、出掛けた朝に、地元の駅前のコンビニで「競馬エイト」を買いました。

コンビニのお姉さんが
「エイト・・・ですね。」と確認しました。

心の中で、「なんで?」と思いました。

普通の新聞と間違えてると思ったのかしら。

 

でも私もですね、この新聞を、電車の中で出して読む勇気はなかったです。

お馬さんファンに方には、ちょっと嫌な感じって思われてしまうかもしれませんが、なんたってやっぱりお馬さんレースはギャンブルですからね。

馬にはドウドウって言っても(私が言うチャンスはないけれど)、私は堂々とは出来ないことでした。

 

だけど途中で読まないのであれば、競馬新聞は中山競馬場の前で売っているおじさんから買えば良かったと思いました。

別料金だったかもしれませんが(もしくはサービス)、赤鉛筆が横にたくさんあったからです。

競馬新聞に赤鉛筆ってセットじゃない ?

この日に限って、いつも持って歩く3色ボールペンを忘れてしまったのです。

私はペンと紙(手帳など)を忘れると、スマホを忘れたくらいテンションが下がってしまうのです。

今思うと、そこからチョイ負けでしたね。

 

初めて体験なので、書きたいことはたくさんあるのですが(主にドタバタ体験)、やっぱり最初は、この「スプリンターズステークス(GI)」の事を書きますね。

なんとこのレースの勝利者は、ゼッケン13番ルガルでした。

このお馬さん、なんと後から知ったのですが9番人気だったのですね。

私もノーマーク。チョイ愚痴ると、このお馬さんが勝たなければ、3連複、実は勝てたのですよ~(ノД`)・゜・。

 

でももとより、ギャンブルの方は、実はおまけの楽しみだったので、すぐに「まっ、いいか。」ってなものです。

 

それよりもレースが終わった時、大画面に勝利の馬が映し出されました。

そのルガルを見て、思わず私「俺はやったぜ。俺はやったぜ。」とアフレコを入れてしまいました。これって、家にニャンコ・ワンコがいらっしゃる人って癖になってないですか?

だってルガル、そんな顔をしていました。

アッ、今気になって確認したのですが、牝でしたね。

じゃあ、「ふふーん。私やってやったわ。」だったでしょうか。

でもその時、西村騎手が目を腕で覆いました。泣いているのです。そしてルガルによくやったねと言うように、その首筋をポンポンと叩きました。

 

思わずもらい泣き。

 

表彰式でも、子供を抱いたご婦人が泣いていました。馬主さんでしょうか。

ドラマチックです。ここに至る道には、様々なドラマがあったに違いありません。

 

良いものを見たなと思いました。

 

 

ファイルを貰いました。妹のと2枚分写しました。

続きますが、次回は「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめての競馬場体験」で、上にも書いた通りドタバタ体験記です。


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「終わりに見た街」

2024-09-29 01:53:38 | テレビ・ラジオ

夏シーズンのドラマが終わってしまって、次のドラマが始まるまで、ドラマ好きにとっては一番夜がつまらない毎日ということになりますが、最近の私は9時頃から11時頃まで、昼寝ならぬ夜寝タイムでグーグーと寝ていることが多いのです。

何となくブログ更新から遠ざかってしまっているのも、そんなこんなが理由です。

 

ゆえにタイムリーには書けないことが多いわけですが、少しずつ追いつくように書いていきたいと思っています。

あまり熱くは語らずあっさり目になると思います。

 

先日大泉洋主演の「終わりに見た街」を見ました。

タイトルを見て、ああアレだなと思いました。

アレと言うのは、この山田太一原作のドラマは過去に2回映像化されていて、細川俊之主演の1982年版と中井貴一主演の2005年版があって、私は中井貴一主演の2005年版を見たことがあるのです。(もしかしたら両方とも。2005年度版は最後の方だけだったかも。)

その時も衝撃的なかなりインパクトの強い内容に感じました。

正直言って、お話の重さから再び見たくなるようなものではありませんでした。それでも主演が大泉洋でシナリオがクドカンなら、何か違ったカラーで見せてくれるかもしれないと思って見てみたのです。

主演以外も吉田羊・堤真一・三田佳子などのいい味を出していて、ドラマ全体が重すぎることもなかったです。

また脇を固める人たちの俳優陣が豪華でした。

神木隆之介・田辺誠一・塚本高史・西田敏行・橋爪功・勝地涼などなど。中にはほんのちょっとと言う方もいて、クドカン組の力だなと感じました。

このドラマの衝撃的な部分は、もちろん主要な訳の分からないSF部分、つまり家族で過去にタイムスリップと言う所だと思うのですが、なぜ彼らだったのかと言う謎は解明されません。でもそれは・・・・・って後で書きますね。

 

意外と驚きだったのが、若い人たち、つまり子供たちの反応です。

大人はこの戦争のあとに、何が来るかを知っています。何としても生き延びなければ、生き延びることが、最初の1歩です。

だけど子供たちは、今目の前の現実と向き合って、それが過去の事だからとは思うことが出来ません。彼らにとっては、今が現実だからです。

かつての国民たちがそうであったように、国の為に国を信じて自分なりに頑張ろうとします。そして「こんな戦争」という親に反発するのでした。

だけど1982年、2005年を含めて、その親たちもみな戦争経験者ではないはずです。実は子供たちと同じなのです。

戦争を歴史の時間で習い、誰かの話で知り、さらに映像などで体感していた・・・・。

だけど親と子供で、なぜその反応に違いが生まれたのか・・・・?

たぶんそれは、子供たちは純粋だったからと言うより、空っぽとは言い過ぎかもしれませんが、かなりの容量の隙間があったからじゃないかなと思いました。

ここに出てきた子供たちが、今までで一度たりとも、前の戦争について思いをはせたり考えた事なんかあったのでしょうか。

隙間、もしくは真っ白。だから簡単に染まった、または詰め込まれたのだと思うのです。

もっともらしいことを言って、さながら、もしかしたらそっちが正義なんじゃないかなと思わせるような顔をして、親に反論してくるけれど、この子供たちの思考のからくりが分かっていれば、親は揺るぐこともなく子供たちと対話が出来ていくと思うのですが、何せ時間と言うものがなかったのでした。なぜなら東京大空襲が迫っていたからです。

 

が、最大の衝撃は、ラストシーンですよね。

主人公が見た終わりに見た街は、未来または現在の核によって破壊された東京だったのでした。

過去に飛ばされた時、何かが窓の外で光ったのです。

あれは何だったのか。

これは彼が核の爆風に飛ばされてしまうまでの間に見た夢なのかもしれないのです。

だから思いがけずに再会したばかりの遠い親戚の男親子もまた過去に飛ばされて、また直前までスマホに出てきていたプロデューサーの男が様々な場面で出てきたりしたのではないでしょうか。

これが彼の夢ならば、彼の家族だけが過去に飛ばされた理由もそこにあると思います。

だからと言って「なんだ、夢落ちか。」とはならないメッセージの強さがそこにはあったのです。

もちろん、この「夢落ち」と言うのは、あくまでも私の感覚であって正解ではありません。

じゃあ、正解はと言ったら、それが分からない・・・・・。

なぜあの時、窓の外が光って、彼ら一家は過去に飛ばされたのか。

なぜあの男は様々な場面で出てくるのか。

なぜ記録にはない場所で大きな空襲が起きたのか。

なぜ彼は未来に飛ばされ、核のよって死んでいかなければならなかったのか。

 

だいたいあの光はなんだ !?

さっぱり分からない。

いや、この「分からない」が正解なんだと思います。

そこに描かれたものは、「理不尽」そのものだったから。

その「理不尽」と言うモンスターの正体は、戦争。

そしてそれは、ある日唐突にと言う所が、最大の恐怖なのかもしれませんね。

 

最後に、クドカンには必要なかったみたいで、過去作にはあって今回なかったシーンについて触れておきたいと思います。なぜならそのシーンが、過去作の中で頗る私には印象深く心に刻まれていたからです。

それは、家々にチラシを配って歩く主人公が、道行く人にチラシを渡しながら、「逃げてください。」と言うと、道行く人は言うのです。

「こんなチラシを配られててしまうから、逃げるに逃げられない。」と。

噂に流した言葉(「東京大空襲がある。上野に逃げましょう。」)はちゃんと効果があったのです。だけど恐怖を感じていたとしても、出どころの分からないチラシの言う通りには行動できない。人の目、特に軍部の目がそうさせていたのでした。

ビックリしがっかりする主人公・・・。

良かれと思ってやってきたのに・・・・。

そう、そこにも「理不尽」はちゃんと存在していました。

 

心に残る印象深いドラマでしたね。

あっ、なんか「さっぱり目」ではなかった・・・・・かな・・・・(;^_^A

 

 


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じわっと涙が!! ☆「虎に翼」

2024-09-27 23:15:10 | テレビ・ラジオ

最終回だけ見ても、もう胸がいっぱいになり、瞼が涙で濡れました。

特に最後に出演者たちが、カーテンコールのように皆が映し出されて、そして最後に寅子が主題歌に合わせて「さよーならまたいつか」と口が動くところに感動しました。

素敵な演出でしたね。

 

このドラマ、本当にいろいろな事をぶち込んできた内容だったなと思いました。

彼女のモデルになった三淵嘉子さんが、原爆裁判に携わったことは後から知ったことですが、それをこのドラマの後半のメインに持ってくるのかと私は思っていた節があったのでしたが、そうではなかったですね。確かに丁寧に描かれ、請求は棄却するも、原爆投下は国際法違反であったと明言したのです。

( 原爆投下国際法違反判決(東京地判昭和38年12月7日下級裁判所民事裁判例集第14巻第12号2435頁)ウィペディアより)

だけどそれを決してメインで大きく時間を割くことはなく、他にも様々な問題に向き合ってきました。

家庭内では絶大な権力を振るいながら(笑)、外に向けては自分の意見も言えず「スン」とした顔をする母を通して、その時代の女性たちを描き出し、法律の勉強をしようと進学を希望すると、その母は地獄を行く道と反対しました。

が最終回で、その母の幻影が表れ(またはnhkお得意の幽霊)、「その道はどうだったか。」と寅子に尋ねると、その寅子は「最高でした。」と答えました。

なんだかんだと言って、桂場の言葉に反発してだったと思いますが、最終的に彼女の背中を押したのはこの母でした。子が歩んだ道は最高だったと答えるとは、母親冥利に尽きる言葉だったと思いました。

それを過去を思い出すと言う形で描き、その時の寅子はやはり幽霊・・・・・(笑)

でもこの演出って・・・・と、私は思わず再放送が始まった「カーネーション」の最終回を思い出してしまいました。

(次の2行はネタバレの発言です。「カーネーション」初めて見る人もいらっしゃると思いますから。)

 

糸子の「死にました。」と言うアレです。

この時の糸子は、このドラマのナレーションの尾野真千子さん。

私は全く思わなかったのですが、巷では彼女の何らかの登場を期待する声があったのですってね。言われてみれば、登場してくれたら気持ち的に盛り上がり倍増だったような気がします。

さて、(「はて」ではないのですがw)、お話をいろいろな事をぶち込んできたと言う所に戻したいと思います。

男女不平等の社会での生き辛さから、教育の不自由さ、無能力者と言う嫁のポジション、それだけでものめり込みたくなるような内容でしたが、その後にジェンダーの問題や民族差別の問題、夫婦別姓の話題、そして尊属殺人にまで話は切り込んでいきました。(ああ、忘れてはいけないのが、常に法は正義かという問題もありましたね。まさか花岡さんがあの餓死してしまう裁判官になるとは思ってもみませんでした。)

最終回には「男女雇用機会均等法」まで。

とうとうここまで来たなと言う想いでいっぱいになりました。

少しドラマとは離れたことを言ってしまうと、私は古い水夫。この法律が私の生きてきた道に関わったことはないのです。それが残念にも感じ羨ましくも感じつつ、それでもその法律が生まれてきた社会を素晴らしい進歩と信じたいと思うのです。

追記:間違えました !!

最終回に出てきたのは「男女共同参画社会基本法」でした。「男女雇用均等法」は1986年。この「共同参画」は1999年(平成11年)。要するに男女平等を法律化したものと言って良いでしょう。これ、みんなの意識の中にあまりないんじゃないかと、私は思う・・・・。あなたにはある?

 

一つ一つの問題を広く展開はされなかったかもしれませんでしたが、決して浅くはなかったです。

少々堅かったかなと思う部分もあったけれど、そこに主演の伊藤沙莉さんや夫役の仲野大賀さんの時にはコミカルに感じた演技が救ったかもしれません。もちろんそれは他の芸達者なキャストさんたちの力にもあったと思います。

私はこの寅子と最初の夫の優三さんがどうなってしまうのか、気になって気になって我慢が出来ずに、その頃にモデルになった三淵嘉子さんの事を検索してしまいました。

そこで知ってしまった優三さんの未来。

でもこれは私的には、知っていて良かったです。じゃなければ私は、感情移入しすぎて悲しみから立ち直れず、激しいロスに苦しんでしまったように思います。それだけ彼の事が好きでしたから。

その後、新宿の方の病院に彼が出ていて嬉しかったです、マジで(笑)

 

岡田将生さんの航一も好きでした。この方のモデルになった方も、かなりのイケメンさんなのですよね。真実の方は、彼は妻が亡くなった後、ほぼ1年後に亡くなってしまうのです。この彼をその後15年も生きさせたのは、「ほらあの時ですよ。」と思い出のシーンに導くためだったのでしょうか。

桂場に言い切った

「いつだって私のような女性はごまんといると思いますよ、ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです。」は良かったし、その前のよねが言った

「ほんの僅かだろうが、確かにここにいる。」と言う言葉にもジーンとしました。

 

このドラマの脚本を書いたのは吉田恵里香さん。まだ36歳なんですって。

素晴らしいわ、その若さも賢さも。寅子風に言ってみました(笑)

 

でも私らしく言うと、凄く凄くお勉強しましたね。おばちゃん、そんなところにも感動しちゃったよ・・・・かな。

 

 


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ようやく秋の風が畑の上にも

2024-09-23 00:52:59 | 畑日記

21日22日と涼しい日が続いてくれたので、ホッとするのと同時に、ちょっと活動的になることが出来たのは畑生活です。

 

 これは9月10日に植えた大根です。その時はかなり暑かったのですが頑張りました。

 

21日は、耕しておいた畑に小松菜と人参を植えました。

うちの畑のナスはもう終わりです。

花は咲いても、もう実をつける力はないようです。

この葉の色からしてバレてしまうと思うのですが、手をかけてはやれませんでした。

それでも夏中、たった2本のナスなのにお店で買わずに済みました。

22日、ルート君に手伝ってもらって抜きました。しっかり根を張っていたので、私にはちょっと無理だったかもしれません。

最後の方には、小さいナスをいくつか頂きましたが、9月9日には、最後の大物が収穫できたのですよ。

あまり美味しくないのかと思ったら、そんな事は無くて、凄く美味しかったのです。

そのナスは生姜焼きにしたのですが、1個で丼いっぱいありました。

ナスを抜いて耕しました。

 

 向こうに見えるのは小松菜です。

そして人参。

人参は芽出しさえすれば成功するのですってね。

1回、種をまいた後、土をかぶせるだけで、上から押さえつけずに失敗したことがあります。ちょっと遅めの種まきになってしまいましたが、今回は頑張りたいと思います。

私の畑は猫の額。

人参のすぐ横までのところです。

ちゃんとやりだすと、なんか狭いなと感じています。

でも真夏は、それでも夏草にゼィゼィ言っていたから、あまり欲はかけないかなと思っています。

 

真夏に、あまりに草の勢いが凄いので、周りの人に悪いかなと思い、いつも会うたびに謝っていました。

するとその人たちは、いつも優しく「遊びなんだから良いんだよ。」と言ってくれたのです。

 

何をやってもへっぽこです。きっとベテランさんから見たら、なんだこれはの畑だと思います。

だけどこの遊びは楽しいです。

 

ついでながら野の花。

【ウリクサ】

【ハキダメギク】

あの~、もうちょっといい名前、思いつかなかったのかい?

 

トップ画像は【クズ】

ああ、そう言えば、「葛の葉」って昔ばなしがあったよね・・・・・と思い出しました。

安倍晴明の母と言う伝承があるのですよね。

なんか胸がキューンとしちゃいました。

葛の葉 - Wikipedia


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9月13日の吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD

2024-09-21 09:07:31 | テレビ・ラジオ

(トップの画像は記事には関係がなく、9月17日の中秋の名月の時に撮ったものです。)

 

9月13日に放送された「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」でしたが、タイムリーには聴けませんでした。

今はradikoがあって本当に助かります。でもそれも、「しまった、しまった。もう木曜日じゃん。」と19日に急いで聴いたのです。だけど何となく内容や雰囲気は、ツイッター(現・X)で伝わっていました。

拓郎さんがずっとこだわっていたのは、実は自分はバンドの中の一要因だった・・・・・

バンドのメンバーとしてセッション出来て幸せだった・・・・

新しいミニアルバムを作成していた時の事を言っていたのだと思います。

この「いたのだと思います。」というあいまいな書き方は何だという感じですが、拓郎さんの話を聞いていると、自分の思考があちらこちらに飛ぶのです。

彼が話すことが元になって自分の事を思う・・・・・。

でもこれはラジオの正しい聴き方の一つと言っても良いのではないでしょうか。

 

彼が語る昔語りは・・・・

ちゃらんぽらんでやっていなかったらやっていられなかった。

あの時代の吉田拓郎を体験したのは吉田拓郎だけだから・・・・。

分からないけれど、分かります。

その時代を生きてきたそれぞれ人たちの苦しみと悲しみ、そして喜びと幸せは、またそれぞれの人たちにしか分からないと言うことがたくさんあるからです。

吉田拓郎には吉田拓郎の体験とその時に自分しか分からないであろうと思われる感情。

それは彼だけのものであるから、私には分かりません。

だけどそれと共にラジオ前で聴いている人たちも、何も特別な人たちでもない世界の片隅で生きている人たちであっても、それは同じことだなと思いました。

 

彼が語った昔語りの一つに、拭い去れない悔いの想いの事がありました。

ラジオで聴いていた多くの人が「大丈夫だよ~。」と思ったと思います。

でもそれも、もう遠い過去の事だからです。

その時、その苦しみは実は多くの人が共有した苦しみだったと思います。

直前でその公演の中止を知った人たちの中には、かなり長い時間、その悲しみを引きずった方もいたと思うからです。

だけどその時の事を「拭い去れない悔い」と語ったことで、単にもう昔話になっていたことが、「ふっ」と笑い話になっていった人たちもいて、

「もう全然大丈夫だよ~。気にするなよ。応援してるよ~。」となったのではないかしら。

 

このようにいちいち反応していてはキリがありませんね。

 

途中の韓国ドラマの話とか(私もIU推しなので、数分嬉しかったです。どんどん一番好きな人が変わっちゃうからさ(笑))、新しいアルバムの話とか、もろもろ楽しかったですね(雑なまとめ(;^_^A)

「ショルダーバッグの秘密」とか流れてきた曲を、出来るだけ貼ろうかなと思ったのですが、カバーのものしか出てこなくてしょっぱなから挫折しました。

ウロウロしていたら(ネット界をですよ)、YOUTUBEで見つけました。

なのでもうradikoでは聴けませんが、そちらで余韻をお楽しみいただけたらと思います。

でもそれ、残念なことに、ラストまではないのです。

だから余韻をと言うことになります。

アメリカン オールディーズ メドレー セットリストを作ってくれた方がいらっしゃいました。ありがたいですよね~。

ありがとうございます。

 

 

一番下には、拓郎さんの「夜霧よ今夜もありがとう」を貼っておきますね。

夕食作りながら、よくこの歌を歌っています。

拓郎さんが歌ってくれたからだと思っています。

それが今度は「骨まで愛して~~♪」に変わるからかしら(笑)

 

ちょっと私的に気になったのは、最後の拓郎さんのラジオに対しての感謝の雨あられ的な感謝の言葉でした。

なんだか本当のお別れのような気がして、切ない気持ちになりました。

と言っても、アルバム発売の時には、また出て来てくれるのではと勝手に思っているのですが、そうであってもらいたいと思います。

いや、絶対に。

 

吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2024.09.13

 

夜霧よ今夜もありがとう


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8月の暮らし☆2024

2024-09-20 02:21:46 | 梢は歌う(日記)

なんかもう、9月になっちゃったねとか言っていたけれど、あっという間にそれも3分の2が過ぎちゃったのよね。

こんな調子じゃ、2024年はあっという間に過ぎちゃうのかも。

8月も「暑い暑い」と言っていただけで終わってしまったような気がするし、それでも何かしていたような気もするし・・・・

何をやっていたのかなぁと言うことで、今月もおまとめ日記を残しておこうと思います。


下の囲みは昨年の9月16日に投稿した2023年の8月の暮らしです。


だいたい8月って、「何をしていたのだっけ!?」となっているようです。(;^_^A

 

 
8月の暮らし☆2023
gooブログも、グーグルフォトも、昨年の記事や写真をメールやサイトに送ってくれたりするでしょう。凄く好きなサービスです。でも時には胸がキューンと切なくなって締め付けら......
 




おまとめ日記はいつもここから。

 映画

別に記事を書きました。

8月に見た映画☆2024

 

 ドラマ

感想を書いたのは、

青春ウォルダム~運命を乗り越えて~

下の作品は、たぶん8月に見たわけではないけれど、8月に思い出したと言うことで。

朝鮮弁護士

8月に一回は見終わって、感想をせめて1記事は書きたいなと思っているのは「主任警部モース」です。

とうとう見たのですよ。長い道のりでした(笑)

そうすると、次は「ルイス警部」なのですが、それはゆっくりと見たいかなと思っています。今の時点では見たのはまだ初めの方の数話です。

 

感想は書きませんでしたが、日本のドラマでは「ダーウィンが行く」が面白かったですね。

『『ダーウィンが来た!』の制作現場における体験談を交えながら、自然や生き物に熱い思いを抱く人間たちの物語を描くヒューマンコメディ』←ウキペディア様からお借りしました。主演は富田望生&本郷奏多。配役も魅力がありましたね。

 

 読書

「ポワロと私」デビッド・スーシェ自伝

 

この本のおかげで、今ミステリーチャンネルにて放送されている「名探偵ポワロ」が二倍の楽しさ。

 

 漫画

感想を書いたのは

「コレットは死ぬことにした」

この漫画のおかげで、カワウソを今とっても見に行きたいです。

 

 

ポーの一族「青のパンドラvol.9ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテルⅡ&Ⅲ」

 

 

 お出掛け

お盆の時に、息子君たちと横須賀に遊びに行きました。

猿島に行きました。その1

猿島に行きました。その2

横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展

 

ひとりでは上野の東京国立博物館に行きました。

東京国立博物館にて「神護寺展」

 

 ラジオ

「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」

 

 悲しいお別れがありました。

「冒険者たち」に憧れた。

さよならドロン。美しかった人。

 

 畑日記☆陶芸日記☆ぴあの

なんだかんだと言って、8月は草ボーボーになった畑の草刈、9月に窯入れがあるので、そのための陶芸生活で終わったように思うのです。

ふぅふぅ言いながらやっていました。

毎日「畑に行かなくっちゃ行かなくっちゃ。」

毎日「陶芸やらなくっちゃやらなくっちゃ。」と過ごしていたように思います。

そんなので楽しいのかと言ったら、あまり楽しくは無いような気がします。

ただお勉強と同じで、行かなくっちゃと思っていた畑に行って土を耕したりすると、とっても楽しくなるのです。

陶芸もやった日は不思議な達成感があるのです。

そんなこんなの毎日でした。

  

 

まだ焼く前ですが。

他にも「図書館の本を読まなくっちゃ。」「ピアノの練習をしなくっちゃ。」とか生活していました。

そんな話をピアノの先生にしていたら

「ピアノは最後に思ってくれればいいし『しなくっちゃ』と思わなくて良いです。」と言って戴けました。

「しなくっちゃ。」から「したい」に変わっていかなければ、人生は楽しくないよね。

 

 他にはベランダのお掃除をして花などを楽しんだりしました。

 

 

 義兄がお食事会を開いてくれました。

楽しいひと時でした。

姑がその2時間の間に、同じ話を同じ切り口で3回話しました。

私は心の中で、これは2年くらい前の私の母と一緒だと思いました。

同じ話をするのは、もう私の年代でもあることです。でもそれは前回会った時にした話を誰に話したのか忘れてしまって、話してしまったりするのですよね。

2時間の間に繰り返して話すのは、それとは違います。

3回目の同じ話の時、みんなそれがショックだったようで返事をする人が居ませんでした。

だから「でもそれはさ・・・」と口の中のものを飲み込んだ私は言いました。2回目の時と違うお返事。でも姑はまるで私が初めてそれに応えたかのように

「そうかしらね。」と言いました。

翌日、私は夫に言いました。

「男の人は自分の母親の老いをそうそうには認めたくないと思うのだけれど、昨日のお母さんは今までとは違うと思ったわ。うちのお母さんの2年前と同じような気がしたのよね。」

それはやはり夫も義兄も感じていたことで、その数日後にはケアマネから電話がかかってきてしまいました。

 

夏はある意味成長の季節。みな数歩前に進みます。子供は成長し、大人は老いの方へ前進です。

姑の心配もあるけれど、私自身の未来のために考えて行かなくてはならないなと思った8月の日々でもあったのでした。

 

 


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朝鮮弁護士

2024-09-15 09:49:14 | 海外ドラマ

青春ウォルダム~運命を乗り越えて~」の感想を書いたら、もう一つ書いてないドラマがあることを思い出しました。

そのドラマの中のキム・ミョンジンを見ていたら、「朝鮮弁護士」の主役の人を思い出したからです。

でも「青春・・・」のキム役はイ・テソンと言う人で、「朝鮮弁護士」の主役のハンスの人はウ・ドファンと言う人だったのです。

よく見ると全然似てないしキャラも違うのに、なんか雰囲気が似てるような気がしてしまったのですね。

双方のファンの方に叱られてしまうかもしれませんね。

 

でもそのお陰で、またそのドラマの事を思い出すことが出来たわけなのです(;^_^A。

 

何となくいい加減な雰囲気のハンスは、実は有能な弁護士。

しかし両親を罠にはめられて殺され、自分自身も殺されかけた過去を持つ男でもありました。しかし良い仲間を得て密かに真実に近づいていくハンスでした。

そのよい仲間と言うのは、王女と言う身分を隠して旅館で働くイ・ヨンジュ。

そしてこともあろうか、ラスボスである院相ユ・ジェセの息子で、王女を慕うユ・ジソンは正義の人で、ハンスの味方になっていくのでした。

韓国ドラマは、ヒロインを挟んでの三角関係が多いと思うのですが、たいがいそのライバルは主役に匹敵するほどのいい男と言う人が多いと思います。

今回もジソンを演じるのは、チャ・ハギョンでかなりかっこいいです。

この方、「バッド・アンド・クレイジー」の中で正義のおまわりさんギョンテを演じていましたね。

子供の時からの親友や王女の乳母、他にもたくさん味方になってくれる人はいますが、敵は強者で何回も窮地に陥ります。

と言っても、敵は強くなければつまりませんよね。

 

みんなのそれぞれがあってお話は終わっていくのですが、ひとりだけ、みんなに愛されてその幸せを願われていたのに、悲劇で散っていった人がいて、可愛そうに思わざるを得ません。

この人が何となく、「青春ウォルダム」の王妃と重なって、私は時々ストーリーがちょっと混乱してしまいました(笑)。

ただこのドラマは、法廷劇(お白州みたいな感じですが)を含めながら進んでいくので、なかなか面白かったですよ。

 


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9月11日、水曜日

2024-09-14 02:21:23 | 梢は歌う(日記)

9月11日の夜、タイトルを入れて昨年の記事の取り込みをした後、私はボーっとして、いったい何を書いていいのか分からなくなっていました。

2001年、9月11日の朝、イスラム過激派アルカイダによって米国同時多発テロ事件が起きました。

日本では、この23年前に起きた出来事は、ほとんど風化と言って良いのではないですか。

記憶の中にはあるけれど、敢えてもうそれを話題にはしない・・・・

そんな感じでしょうか。

日本の事ではないにしても、それは忘れてはならない大きな出来事だったのですよと言っても、中には今現在に起きていることの方が悲惨で大変なことで、そちらに大きく目を向けなければならないのだとおっしゃる方もいらっしゃると思います。

それも大事なことで、実は私も半分はそう思います。
ただ「伝えていく」と言うことは、忘れてはいけないその時代を生きた者たちの使命なのかもしれないとも思っているのです。

 

しかし「今現在に起きている悲惨な出来事」は本当に、心を暗澹とさせるものですよね。

お勉強不足できちんとは語れませんが、私自身、もっと学ばなくてはと思うことばかりです。

実はウキペディアにはこんなページも→進行中の武力紛争のリスト - Wikipedia

だけどそんな事を検索していたら、AIが教えてくれました。

【現在、世界各地でいくつかの深刻な紛争が続いています。以下はその一部です:

  1. ウクライナ侵攻:ロシアによるウクライナへの侵攻が続いており、多くの犠牲者が出ています1
  2. パレスチナ問題:イスラエルとパレスチナの間での対立が続いており、特にガザ地区での衝突が激化しています1
  3. アフガニスタン紛争:タリバンが再び政権を掌握し、国内の不安定な状況が続いています1
  4. シリア内戦:シリアでは内戦が長引いており、多くの人々が避難を余儀なくされています1
  5. イエメン内戦:イエメンでも内戦が続いており、人道的危機が深刻です1

これらの紛争は、政治的、宗教的、経済的な要因が絡み合っており、解決には時間がかかると見られています。】


もちろん、こんな事ばかり考えているわけにもいきませんよね。暗く憂鬱な気持ちになってしまうこと間違いなしですもの。

暗く憂鬱な気持ちになると言えば、メディアに出てくる機会の増えたあの方々の口から、「ついでながら」でも「この場をお借りして」でも良いから、この「令和の米不足」という状況について語る人はいないのかと思ったら、「あーあ、いつの時代も『世のため人のため』なんて言うリーダーはいなくて、またも国盗りか」って思ってしまうのは、絶対に私だけではないはずです。




ところで先日「歌の会」に行ってきたのですが、その時

「ロシア民謡だったら、みんなが知ってる曲も多いから。」と言う理由でリクエストをしておいたのですが、躊躇われました。

ああ、そうか。

「確かにそうだけれど、でもちょっとそれは違うと思う。」とかなり曖昧な言い方をした私。

じゃあ、トルストイもドストエフスキーもみな焚書にしてしまうのかって言いたいよ。

で、結局、リクエストしたロシア民謡は楽しく歌われたわけですが、その時ウクライナの曲も歌われました。

いい曲で、教えて戴けて歌えて良かったです。

 

が、主催者様は、見えない何かに気を使ったのです。

疲れる毎日です。

平和が一番!!

下の囲みは昨年の「9月11日」の記事です。

2014年からツリーになっています。

 
9月11日、月曜日
私の母はボケてしまいました。少し前の私は、「まだそれの入り口です。」などと願いを込めて書いていました。でももう入り口などではありません。すっかりと、同じ言葉を繰り......
 


・・・・・

ポーリュシカ・ポーレ

 

キエフの鳥の歌 Знову осінь(また秋が来て)

 

Song of the Birds ( El Cant dels Ocells ) by Nataliya Gudziy / 鳥の歌 ・ ナターシャ・グジー

 

 


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青春ウォルダム~運命を乗り越えて~

2024-09-10 23:21:01 | 海外ドラマ

何とはなしに、このブログから遠ざかってしまってる話題は「ドラマの感想」なのかと思います。

この「青春ウォルダム」を見終わったのが、7月の終わりだったのか8月の初めだったのかも曖昧になってしまいました。

どちらにしても感想を書いていないようなので書いておこうと思います。

 

作品紹介をまたもアマゾン様からお借りして、手抜きしたいと思います。

【呪われた王世子と、殺人の濡れ衣を着せられた女が出会い、運命が動きだす!無実の罪を晴らす男と、呪いを解く女。過酷な運命に直面した熱い青春…彼らは真実の愛を見つけられるのだろうか!?】

これは最初のスタートは、かなり過酷。

何しろ自分の家族を毒殺した殺人犯として追われる身になってしまうのですから。

そこからヒロインであるミン・ジェイは、どう乗り越えるのか。

思わず応援したくなります。

また呪われた王子イ・ファンの呪いとは何か。その謎はいかに。

この王の一族と彼らを呪う人々の間に何があったのかと言う謎に迫っていくのも面白いです。

タイトルに「青春」なんて付いてると、ワシャワシャした感じがしてしまうのですが、なかなか本筋の部分もしっかりとしていて見ていて楽しかったです。

 

このドラマ、勧善懲悪ドラマと言えると思うのですが、そうと言い切れない部分もあって、そこは本当に切ないのです。

一番の「惡」であるあの人のラストは、恐ろしかったです。

いろいろな刑罰がありますが、どうして人間はそこまで残酷になれるのだろうかと言う刑罰です。

その惡に利用されて、闇落ちしていたあの人は、切なすぎる・・・・・。

しかしラストのシーンに救いがありました。

見てない方には何を言ってるのか、さっぱり分からないと言うところですね。

つまりよく最終回にしぼむドラマもありますが、これは違うと言いたいのです。

 

世子のイ・ファンにパク・ヒョンシク。ミン・ジェイにはチョン・ソニ。

こんな風に名前を書き込んでいても、あまり覚えられません(;^_^A

ただこのドラマは、お仲間たちも魅力的です。ミン・ジェイの婚約者・ハン・ソンオンにユン・ジョンソク。

実は私はこの気高い人が、世子よりも推しでした。なんか可哀そう・・・・。

でも‥‥ってネタバレしちゃだめよね(笑)

このドラマ、8月までnhkで放送されていたのですね。

だけど今でもアマプラで見ることが出来ますよ。

ミン・ジェイの侍女やその師匠の仲間たちが良い感じです。

そのHPには「青春ミステリ―」と書いてありました。確かにそんな感じです。

 

青春ウォルダム 呪われた王宮 - NHK

(nhkのHPはいつまで残っているかはわっからないことです。)

青春ウォルダム - Wikipedia

 


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