人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

目を覚まして祈る。

2016年10月16日 | お気に入りの言葉

   彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 マルコによる福音書一四章三四節
 人の罪の壮絶な闘いがなされています。
神の怒りのすべてがイエス・キリストに向けて、巨大なダムの水門が開くように、一挙に注ぎ尽くされようとしています。
 そのとき当の人間は眠っているのです。他人の罪に対しては結構厳しいわたしたちですが、
自分の罪がそんなに深刻だとは少しも考えていません。
 救い主は、そのわたしたちのために、今も目を覚まして祈っていてくださることを忘れてはなりません。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


従兄の訃報。

2016年10月15日 | 日記

   また従兄の訃報。横浜時代の十年間世話になった人。
色々なことが思い出される。よく遊んでもらった。麻雀、競馬、パチンコ、ボーリング、将棋、野球等など。大の巨人ファン。
二人で柔道場に通ったこともあった。私の愚かさで喧嘩したこともあったが、優しく接していただいた人。
また寂しくなった。


朝ごとに。

2016年10月14日 | お気に入りの言葉

   主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。詩篇五篇三節(口語訳)
 自分の思いや決意から一日を始める、というのではありません。
 神に呼びかけることからいっさいを始めるのであります。
 ひとりで始めるのではなく、
 神と共に始めることができる・・・
 それがわたしたちのさいわいであります。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


とりなしの下に。

2016年10月13日 | お気に入りの言葉

 キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。ローマ人への手紙八章三四節(口語訳)
 キリストは死んで、わたしたちから離れられたのではありません。
甦って、神に最も近くいて、わたしたちのためにとりなしてくださるのであります。
 孤独な戦い・・・なんて悲壮な気持ちになってはなりません。
強力な祈りの援護の下に、わたしたちの命はあります。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


偽りの愛。

2016年10月10日 | お気に入りの言葉

   愛には偽りがあってはなりません。ローマの信徒への手紙一二章九節
 愛はつくりものであってはならないというのです。
なぜなら、わたしたちの受けている愛は真実なものであるからです。
神の独り子の十字架において、差し出されているものであります。
 自分がいっさいく苦しむことも傷つくこともない行為は、愛ではあり得ないことをわたしたちは知っています。
  小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


呼び求める。

2016年10月09日 | お気に入りの言葉

 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。ローマの信徒への手紙一〇章一三節
  少年時代に母親を亡くして、それから泣けなくなったと、そんな話を聞きました。
 心ゆくまでなくことのできる場所をもっているということが信仰者の力であります。
何をしなければならないとか、どうあるべきとかそんなことはひとつもないのです。
「助けて!」と神の名を呼び求めるその人が救われるのです。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


覆う。

2016年10月07日 | お気に入りの言葉

   罪を覆い隠された人々は、幸いである。ローマの信徒への手紙四章七節
 罪がなくなったわけではありません。
 覆い隠されたのです。白い雪がものを隠すように。
 いえ、もっと激しく、イエス・キリストが身を投げ出してわたしたちの罪を覆い隠してくださったのです。
ふりかかる火の粉の中、母が子を覆うように。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


忍耐。

2016年10月06日 | お気に入りの言葉

  忍耐は力の強さにまさる。箴言一六章三二節
 力ずくで道を開いていく生き方があります。
しかし、力ずくでは切り開けない場面に直面します。
無理やりにこじ開けようとして人間はつぶれてしまうのです。
 忍耐が大事であります。必ず道を開いてくださる方を信じて待つのです。
不思議な仕方で道は開かれます。
人生の大切な場面は力ずくで開くことのできないものです。
神に、向こう側から開いていただくのです。それを待つ忍耐。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


台風18号。

2016年10月05日 | 日記

今日は、台風18号が通過するため、小中学校は休み。
私のソフトバレーも休み。琴浦町でも再三、警戒放送が流された。
強風が吹き荒れたのは、午後三時頃から八時頃までの間。皆が警戒していたほどの影響はなく、なにか拍子抜けした感じ、しかし被害が少なくて良かった。


愛と律法。

2016年10月04日 | お気に入りの言葉

   「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。ローマ信徒への手紙一三章九節
 律法は禁止しまい。「するな」「するな」と。
 信仰は勧めます。「愛しなさい」と。
 間違いを犯さない正しさよりも、たとい傷ついても愛する行為が貴いのです。
 正しいだけの神は、わたしたちになんの関わりもありません。
 「独り子をお与えになったほどに」自ら傷つかれた神こそ、わたしたちの神であります。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


強いきずな。

2016年10月03日 | お気に入りの言葉

 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしく ない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。マタイによる福音書一〇章三七節
 「血はこ水よりも濃い」。たしかに父や母、息子や娘との血のつながりは、他の何ものに増して強いものがあります。
 しかし、イエス・キリストとわたしたちの関係はそれよりもはるかに強固なものであります。
神の子が、十字架上でご自身の命を捨てて、生み出してくださった「きずな」だからであります。
 わたしたちが切ろうとしても切れない強靭なきずなで結ばれて、わたしたちは救われているのです。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


最後まで。

2016年10月02日 | お気に入りの言葉

 最後まで耐え忍ぶ者は救われる。マタイによる福音書一〇章二二節
 長いトンネルでは入口も出口も見えなくなる部分を走らなければなりません。
人生にも出口の見えない暗闇の部分があります。
ここが終わりだと考えて立ちすくめば文字どおり「終わり」であります。
 しかし、どんなトンネルにも神の備えていてくださる出口が必ずあります。
大事なことは、途中で投げ出さず「最後」まで走りぬくことであります。
最後の場面で神が待っていてくださります。
 抱きとめるために。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より