人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

キリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者。

2015年01月16日 | お気に入りの言葉

   だれでもキリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者です。
古いものは 過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(コリント第二書五・一七) 

 われらにとりては、新年かならずしも新でない。旧年かならずしも旧でない。
霊これ新である。肉これ旧である。キリストこれ新である。この世これ旧である。
キリストは、きのうも、今日も永久に新である。この世は過去も現在も永遠に旧である。
肉を捨てて霊に行き、この世を去ってキリストに至るよりほかに、旧より新に移る道はない。  
(信一七・一一三)
 続一日一生 内村鑑三著より


人生の目的。

2015年01月15日 | お気に入りの言葉

  イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。
しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
(ヨハネ伝一四・六-八)

  人生の目的は、神を知るある。
その他にない。金をためるのではない。人にほめられるのではない。
哲学と美術とを楽しむのではない。神を知るにある。
これが人生の唯一の目的である。この目的を達せずして、人生は全く無意味である。
ほんとうの夢である。この目的を幾分なりと達せずして、最も成功せる生涯も失敗である。
われらは、年の初めにあたって、再びこの事を深く心に留むべきである。(信二〇・二五六)
 続一日一生 内村鑑三著より


うしろを見ないで、つねに前方を見る。

2015年01月14日 | お気に入りの言葉

   うしろを見ないで、つねに前方を見なさい。
最後には、この世の命をこえてかなたを見なさい。
あとを振り替えるのはなんの益にもならない。
ただし、まだ改めうることを改めるためや、
過去の失敗をこんご用心するためや、
または、人から受けた恩誼に感謝をもって報いるために、そうする場合は、また別である。

 眠られぬ夜のために ヒルティ著より
 


人それぞれが祝福の泉。

2015年01月11日 | お気に入りの言葉

   人それぞれが一つの祝福の泉とならねばならない。
その泉には、一方から神の祝福が、
その人の我意にすこしも妨げられずに、自由に流れこむことができ、
次にはそれが、その人に接するすべての人たちの方へ流れ出ていく、というのでなければならない。
このことが起らないかぎり、その人の生涯の営みは大部分失敗したのだ、といってよい。

 眠られぬ夜のために ヒルティ著より


沈黙で失敗する者はない。

2015年01月10日 | お気に入りの言葉

  「沈黙で失敗する者はない。」
このいささか風変りな言葉は、さまざまな社会的地位にあって、成功を収め人に抜きんでた私の親友の一人が、いつも口にしていた文句であった。
実際、きわめて多くの面倒で不愉快な人生のいざこざも、しばしばこのやり方で、たやすく切りぬけることができる。
これに反して、多くの人が愛好する、いわゆる「自分の意見発表」は、たいてい、ただ双方の意見のくいちがいを一層きわだたせるだけで、ときには事態を収拾のつかないものにしてしまうことがある。
 「よく考えておきましょう」という言葉も、ひどく激しやすい人や、気心や決心が変りやすい人に対しては、しばしば奇跡的な効果がある。
 文通の場合にも、返事したくないことには答えず、また催促されてもこの決心を変えないことが、多くの不快な議論をうち切る確かな方法である。
ところが、大部分の人が、三度目にはその決心をひるがえしてしまう。
 しかし、改めさせることのできる、また改めさせねばならない明白な不正に対しては、沈黙してはならない。
不正を心ひそかに憎みながら黙っているのも、まちがいである。

 眠られぬ夜のために ヒルティ著より


正しい楽しみとは?。

2015年01月09日 | お気に入りの言葉

  人間はだれでも生活の楽しみを得たいという自然の欲求を持っている。
彼らからそれをしいて奪いとるならば、きっと彼らは――特に若い世代には――精神的にそこなわれてしまう。
だから、適当な時期に彼らを正しい人生の楽しみに導いてやることが大切である。
正しい楽しみとは、神との互いに愛にみちた交わり、また、すべての被造物への友愛である。
これは、正しい道にある人の心を必ず十分に満足させるものである。
そういう人には、その他のどんな生活の楽しみも物足りない。
真の楽しみを持たないなら、俗に退屈といっている不快感が入りこんでくる。
  この真理を人びとに教示して、彼らもまた、できるだけこの真理に従って生活する能力を持たせること、
これこそ教育の名に価いするものである。これと異なる教育は、すべて誤った方向を追っているのだ。

 眠られぬ夜のために ヒルティ著より


最終の卒業試験。

2015年01月08日 | お気に入りの言葉

  われわれがしだいに年をとるにつれて、
死後も別の生活をつづけるために、
またそこでのわれわれの席を決めるためにも、
なおより多くの愛を習得するというこの世の最後の課題がそれだけ重大なものとなる。
この最終の卒業試験に臨んでは、どんな学問や芸術も全く役に立たない。

 眠られぬ夜のために ヒルティ著より
 


我らの上になされることは最善である。

2015年01月06日 | お気に入りの言葉

  わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が食物を請いあるくのを見たことがない。詩篇三七25

私が行くべき道の入口にある門に着いた時、そこの主人が旅に必要なすべてを与えてくれて、最後まで希望を持てと言ってくれた。--『天路歴程』--

  旅立つ者は誰でも、当然次のように思うことでしょう。
「距離はどのくらいだろう。私は耐えれるだろうか。どうやって、その道を行こうか」。
神の道を歩むとき、絶えることのない力が与えられるのが旅人の特権です。
旅人の靴は荒れ果てた道の証ですが、神の力強い御手が、長旅に疲れた弱い足を運びます。

新しい年の入口に我らは再び立つ
一年を終えるまでに
いかなる喜び、励ましが
また、いかなる悲しみ、苦しみが訪れるが
我らは知らない
だが、我らは知らない
だが、我らは、このことに安らぐ
神のみが知りたもう知恵で
我らの上になされることは
最善であるということを
トマス・ウィーリング

日の出に向かって  カウマン夫人著より


私たちは、一度に一日だけを見る。

2015年01月05日 | お気に入りの言葉

後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ・・・・。(ピリピ三・一三)

  新しい年が私たちとともにあるのではない。
ただ、新しい一日が私たちとともにあるのである!
私たちにとっては常にそうである。
私たちは、一度に一日だけを見る。
もし、一日一日が正しく生活されるなら、
一年全部が正しい年となるであろう。
もし、一日一日が邪悪なものであれば、
一年全部が邪悪な年となるであろう。
一日一日は、文字を書きしるすべし白い紙である。
その上に美しく書きなさい。
そうすれば、一年が美しい年となるであろう。

山頂をめざして カウマン夫人著より


新年の祈り。

2015年01月04日 | お気に入りの言葉

後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ・・・・。(ピリピ三・一三)

新年の祈り

主よ、あなたは私に、
きよらかな新しい年を与えて下さいました。
どうか私を助け、
そのページをそこなうことなく
美しく保つことを得させて下さい。
その巻物に
情け深い思いだけを書きしるし、
見苦しいしみによって汚すことの
ありませんように。

これほどに白く、清純で
汚れのないこのページを、
私の思い、言葉、
あるいは行いによって
傷つけることがないように
守って下さい。
私があなたの助けを必要とするとき、
あなたは常にそこに立っておられることを知らしめて下さい。

主よ、私が務めに召されるとき、
快楽を差し控え、
私の召しを全うすることができますように。
私の思いではなく、
あなたのみこころが行われますように。
おお、主よ、
あなたの是認なさる静かな御声と、
あなたのたの静かな導きを
常に私に聞かせて下さい。

愛する主よ、
安らかな道に私を導いて下さい。
しかし、もし、山の中の小道が
あなたの道であるならば、
たとえ険しく寂しい道であっても、
「主よ、私はここにおります」と答えることができますように。
I・S・エリス

山頂をめざして カウマン夫人著より