人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

「苦しみ」「悲しみ」が主人公ではなく、「主」が主人公

2012年02月27日 | お気に入りの言葉

   きょうを生きる言葉 一日一篇 大宮薄・小塩トシ子・関正勝・深田未来生編より
 神の訓練 澤正彦
   私達は、自分達がうけている悲しみ、苦しみそれ自身の中にまきこまれる時、
耐えがたく、弱り果てて意気阻喪してしまいます。
そのような者にまったく異なる次元からこの同じ試練を負うようにとの御言葉がここにあります。
それが「主の愛」「主の訓練」であります。
「苦しみ」「悲しみ」が主人公ではなく、「主」が主人公なのです。
神の愛は、愛する者をためし、訓練し、神の「きよめにあずからせるために、そうされる」のです。
・・・・・・・もちろん「すべての訓練は、当座、喜ばしいものと思われず、むしろ悲しいものと思われる」(11節)
ことでしょう。しかし、最後まで、神の愛と神の訓練を信じて生きる者のみが、後の「平安な義の実」(11節)
を得ることでしょう。

 ヘブライ人への手紙12:10
  肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、
霊の父はわたしたちの益となるように、
御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

コメント
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