人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

すべての門が真珠 傷みなくして真珠はなし どんな不幸も贈物に

2012年02月01日 | お気に入りの言葉

 荒野の泉2 カウマン夫人著より
 すべての門が真珠である、というのです。
天上の生活に入る門は、すべて真珠を通ってというのです。
一体真珠とは何なのでしょうか。
それは、貝が傷つくところから始まるのです。
例えば、一粒の砂のようなものがその傷の中におしこめられたとすると、
貝は傷口を治そうとして必死になります。
やがて、傷口がふさがりすべてが完全に癒されると、
真珠が傷のところにできあがっているのです。
傷つけられることによって、貝の思いもよらない力が引き出され、
こうした方法でしか完成しない美しいものが造りあげられるのです。
傷つけられることなしに、真珠はありえないのです。・・・・・・・

   「すべての門が真珠であります」
どんな不幸も、失敗も、損失も神は変えられます。
また、どんな不幸も贈物に変える力を持っておられます。
イエス・キリストは犯罪人の辱めの印である十字架を、
神の愛のあらわれに変えてくださったのです。
しばしば、ペテロのように主を否む人を、
大胆な「岩」のような人にするのは、傷や痛みです。
「傷みなくして真珠はありません」
打ちのめされるような人生の経験は、
もっとも豊かな報いをもたらし得るのです。
「人生がその人をすり減らすか、磨きあげるかは、
その人が何によってできているか(生きているか)によってきまるものです」