木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

砂田アトム氏講演会

2010年08月29日 00時30分10秒 | sign language
地元の手話通訳者協会県南支部の定例会でアトム氏をお招きしました。
お芝居などでは拝見したことがあったのですが、単独での「講演」はナント私は初めて!
すごいパワーですね。人を惹きつけて止まない。
ろう者も聴者も(まあ今日参加した聴者は読み取り通訳不要だったからとも言えますが)腹の底から笑える方ですね。ろうと聴がこんなにも「笑い」を共有できる時間って、なんか幸せな気持ちでした。
手話通訳者に苦言を呈しているのに、楽しく学べて私はちょっと「松竹新喜劇」のノリに似てるなと感じました。
ずばり厳しい指摘をされているのに、聞いてるろうも聴もゲラゲラ腹を抱えながら学べる講師って、お芝居で鍛えているからあんなに魅力的なんでしょうか。
今夜はテレビで映画ハリーポッター見てて遅くなっちゃったんで講演の内容については後日補足したいと思います。
【追記;講演メモ】
1.手話通訳者を見ているろう者が、本人がいると「うまい」って「拍手」してくれるけど、その通訳者が交代して退くと「ところで今どんな話だったんだ?」ってお互いにしゃべってることがある。その通訳者はいったい何を手話「通訳」していたんだ? 「意味」を伝え「理解」してもらうことが手話「通訳」であることを考える必要がある。
2.読み取り通訳で「日本語」に翻訳できていない通訳がいる。一般に「私の名前は」とわざわざ「名前」を入れて自己紹介する人はいないはず。なのに手話通訳者には「私の名前は」とやる人がいる。ろう者が「わざわざ/来た」というのを「わざわざ来ました」と読み取ったらそれは日本語に「通訳」しているとは言えないでしょう?
3.ろう者の「固有名詞などの漢字の読み間違い」を指摘する場合には、もっと配慮が必要だ。「あなたは間違っている」というんじゃなくて「ひらがなで書く場合には○○○というよ」みたいな配慮があって欲しい。例「あさくさでら」→「せんそうじ(浅草寺)」
4.様々な世代のろう者が広くつきあうことが大切だ。今の若い人の手話も読み取れるようになるには若い人との交流に積極的に参加することも必要だ。例「『タ』折る」=タオル、「『バス』『タ』折る」=バスタオル、「『キ』ムチ打つ」=キムチ、「『メ』『(麻雀の)ロン』『そうだ!』=メロンソーダ、ジンジャエール、メタボリックシンドローム、などなど。でも僕らも先輩たちから指文字を使った手話に対して「おかしい!」「ホントはこういう手話だ」って言われてきたから同じことだ。例「意見」「アンケート」。だから若い人から年配の人、未就学の人から高学歴の人、いろいろな地域の人など広範囲に交流を持つことが大切だ。
5.「場(TPO)」に合った手話表現をして欲しい。例;「(その他の祝電は)お時間の都合で割愛させていただきます。」→「はぶく」「捨てる」という手話では、失礼だ。「保留(保管)する」など工夫が必要。
6.手話通訳者が話者に過度に感情移入してしまってはダメ。例;葬儀の手話通訳で故人に親しい手話通訳者がぼろぼろに泣きながら通訳していては参列者に情報が伝わらない。
7.どんなろう者であってもろう者に面と向かって読み取り通訳するぞという姿勢を持って欲しい。自分は基本的に原稿を用意しない。事前の原稿がないとふくれてしまったり態度が変わってしまう通訳者、陰で通訳者同士で講演者の悪口言ったりする通訳者がいる。年配の口話の全くないろう者だって頑張って読み取る姿勢が大切だ。
8.口型には文法的な意味があることを学んで欲しい。「ぱ~ぽ」「あ~お」「ん」などそれぞれ勝手につけているんじゃない。大まかな意味の傾向として「ぱ」;過去や後悔、「ぴ」;(? 自分がメモした文字が読めませんでした。)、「ぷ」;いらない、「ぺ」;少ない、「ぽ」;方法、できた、「ん」;疑い、「あ」;納得、「い」;いい、苦しい、「う」;問題ない、「え」;うらやましい、「お」;驚き、
9.敬語のように年配の人に向かっては使わない手話がある。例「朝飯前(できる)」→「できます」という手話を使うべき、「なるほど」→「へぇ~」を使うべき
10.手話を学ぶ人たちに「やめて欲しいこと」;①経験年数の多寡で「上下」を決めつけること。自分の方が経験年数が長いと威張って、短いとへりくだる人がいる。聴者にとって「手話は、永遠に勉強する必要のある言葉。」「手話の勉強は一生(天国まで)終わることがない。」。②「士」「登録」など資格のあるなしで「上下」を決めつける人がいる。
11.ろう者に向かって「ろう者は表情が豊かねぇ」「うまいねぇ」という人がいるけど、そうじゃなくてろう者(手話)にとって表情が付くことは当たり前のことだと理解して欲しい。逆にいうと表情のない「手話」ってあり得ないのだ。それは「手話」じゃないことを学んで欲しい。ただし、お芝居の手話は別。歌手の歌がうまかったら誉めるのと同じように芝居の手話(せりふ)に対して「素晴らしかったよ」と誉められたら嬉しいです。
12.手話通訳の対象や手話指導の対象者を「好き・嫌い」で特定の人に絞り込んではダメです。手話通訳の会場で大きく頷いてくれる特定のろう者に向かってばかり手話通訳している人がいる。反応のある人に向かって手話通訳したくなる気持ちはわかるけど、あなたはその会場全体の手話通訳なんだってことを忘れないで欲しい。手話指導の場合も同じ。自分の気に入った聴者にばかり指導するような態度はダメ。なかなか覚えられない人や気の合わない人にも平等に指導の努力をする必要がある。
13.この会場にいるようなすでに手話を学んできた聴者の皆さんたちは「ろう者と聴者の橋渡し」の役割を果たしていくんだと自覚を持って今後も頑張って欲しい。
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