木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

「聞き取り通訳すると難しい文」ってあるのか?

2010年08月25日 21時58分02秒 | sign language
昨日は、久しぶりに元地元手話サークルTへ。8月第4週はテープを聞いての「聞き取り通訳練習」でした。
これがまぁ~エラい難しかった。最初は「音声を吹き込んだカセットテープが聞きづらい」とかいろいろ言い訳してたのですが、何度やっても難しい。どういう訳なんだろう。
最後にろう者のTさんから講評。「みんな日本文に拘りすぎてて、何を言ってるかさっぱりわからない」とのご指摘。まったくそうでしょう。自分で「何が言いたいのかどうもうまくつかめないまま手を動かしている状態」だったから。
活字で読めば何でもない文章なんですが、どうもうまいこと通訳できませんでした。原因は何だったんだろうと考えてみると・・。

(1)教育関係の単語に慣れていなくて聞き取れない。
 例①「文章題の無解答が目立つ」→「文章題」って?→数式でなくて問題が文章で書いてある問題って意味ですよね?一瞬「どういうのだったっけ?」と考えてしまった。
 例②「大学を卒業した新社会人」→「新」って?→新しく会社に入ったばかりの人のことですよね?わかってるんですが「社会」って手が動いてしまって・・・。詰まってしまった。
 例③「ゆとり教育」からの転換→最初にやった人は「豊臣」「豊島区」の「豊」って手話やってくれましたが・・全然意味分からなかった。でもじゃあ自分はどう表現するの?って問われたら・・詰まります。下手すると「暇な教育」に受け止められちゃいますよねぇ~。

(2)言い回しに惑わされて、頭がフリーズ。
 例③「好き、嫌い」しか自分の意見を言えないような人→質問がなくていきなり「好き、嫌い」という文章が耳から入ってくると、ロールシフトが出てこない。
 例④「しかも今年は国会決議に基づく『国民読書年』。→体言止めというか、固有名詞で終わってしまう文章って、”だから何だっていうんだよぉ~?と泣きたくなる。そもそも『国民読書年』って知らなかったし、何の『国会決議』があったかも知らなかったし・・泣く。
 例⑤「2月12日付け本紙『現論』で、興味深い話を紹介している。」→そもそも『現論』って沖縄タイムスの社説なのかな? そのうえ「興味深い話を紹介」って・・・日本語にとらわれてしまって全然ダメでした。

(3)Tさんからも指摘されたんですが、登場人物の関係を瞬時に把握するのが難しい
 例⑥「子どもの遊びの時代的変遷」のパラグラフ→「卒論を読んでて、田中さんは」・・あとから「田中さんは」って出てくるから、卒論を読んでたのが誰か一瞬混乱する。
 例⑦「遊びの中に読書が全く出てこないのに気づいた」→「気づいた」のは田中さんだよなというのは分かるのですが。「出てこない」って誰の話?と思ってしまった。卒論で調べた対象者の遊び経験の中にっていう意味なんですが・・・。
 例⑧「私にとって読書は遊びの筆頭だった」という田中さんと違って、一般に→ここも「田中さん」があとから出てくるから「私にとって」って?と一瞬詰まって、さらに「と違って」でガクッとなって、さらに「一般に」で「一般」ってだれ?と思ってしまった。

(4)長い単語についていけない(正確に記憶できない・再現できない)
 例⑨「沖縄印刷団地協同組合」「文字、活字文化大賞」「沖縄県青少年意見文 小論文コンクール」→最後にこういうの出てくるとホント辛いです。

その例文は以下のとおり
沖縄タイムス(2010年8月20日 09時55分)
[国民読書年]「読む至福(しふく)」を味わおう
http://www.okinawatimes.co.jp/article/20100820_9427/

 本が売れない、新聞が読まれない、といわれて久しい。紙の媒体である本や新聞がケータイなどの電子媒体に押されて苦戦しているのは確かだが、その一方で、文字・活字文化を支える本や新聞の役割を見直そうという動きも広がっている。
 元NHKニュース解説者の池上彰さんは昨年7月、『小学生から「新聞」を読む子は大きく伸びる!』を刊行した。明治大学教授の斉藤孝さんも8月に『新聞で学力を伸ばす』を出版し、新聞の効用を説いている。
 手前みそのようで気が引けるが、二つの著書に共通するのは、「読力」を身につけることの大切さである。
 よく読んで、深く考え、その意味を理解し、論理的にまとめる―それが読解力である。文部科学省の全国学力テストで文章題の無解答が目立つのは、読解力が弱く、問題文の意味が分からないからだ。
 大学を卒業した新社会人の中にも、「好き・嫌い」しか自分の意見を言えないような人がいる。
 新学習指導要領は「ゆとり教育」からの転換と同時に、「言語活動の充実」を前面に打ち出した。小学校は2011年度から、中学校は12年度から全面実施される。
 新しい学習指導要領に新聞の活用明記されたことで、学校現場でのNIE(教育に新聞を)の取り組みにも勢いがでてきた
 しかも今年は国会決議に基づく「国民読書」。この夏休みは子どもたちの読む力、書く力を高めていく絶好の機会である。
 本を読むという体験は、どういう性質の体験なのだろうか。法政大学教授の田中優子さんが、2月12日付本紙現論」で、興味深い話紹介している
 「子供の遊びの時代的変遷というテーマの卒論を読んでいて、田中さんは、遊びの中に読書が全く出てこないのに気づいた
 この学生は大人に対しても、「子どものころ何をして遊んでいたか」というインタビューを試みているが、「本を読んだ」という回答はなかったという。
 「私にとって読書は遊びの筆頭だった」という田中さんと違って、一般に読書は、遊びだとは見られていないようである。
 読書を上から押しつけても、拒否反応を招き、読書嫌いを生むだけだ。
 読書であれ勉強であれ、子どもにとって大切なのは「わくわくする体験」である。
 沖縄印刷団地協同組合などは、今年も「文字・活字文化大賞 沖縄県青少年意見文小論文コンクール」を実施する。文字・活字文化振興法が制定されたことを受けてスタートしたこのコンクールは、今年で5回目を数える。
 印刷業に吹き荒れる不況の風を受けながら、使命感でここまで運営してきたが、「応募作品が少なければ、賞を維持するのは難しい」と同組合は言う。
 文字活字文化の灯をともし続けるための試みが、さまざまな形で、静かに着実に、広がっていくことを期待したい。

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