goo blog サービス終了のお知らせ 

木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

books200「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん-幸せの背景は不幸」入間人間(電撃文庫)

2011年02月04日 22時52分26秒 | books
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸 (電撃文庫)
入間 人間
メディアワークス

いつも読んでる週刊アスキーの広告を見て、急に読みたくなって神田の本屋さんでゲット。
私は知らなかった、「ライトノベル」ってジャンルがあるんですね。アマゾンの書評はあんまり評判良くなかったですが、私としてはとっても面白かった。初版2007年6月だ!
映画化もされたようで1月22日から公開されています。予告編を見ましたがちょっと僕の受けた印象とはかけ離れています。「青春ラブストーリー」って、原作はそうは思えないんですが、そう感ずる僕が「古い」のかもしれません。特に映画の主人公の「嘘だけど!」ていうセリフの軽さが、私が原作から受けた「・・嘘だけど」という自分を突き放した独白と違って、なんだかなぁ~って感じでした。僕の中ではあんな早口でとぼけた感じじゃなかったんだよなぁ~というのが世代の違いなんでしょう。
私の年代の方なら映画はお奨めしませんが、原作は引き込まれるんじゃないかと思います。
それに僕は「壊れたまーちゃん」に対するニュートラルな作者の視点なんかも好印象に感じてしまって(そんなの作者にとっては全然意識されてないことかもしれないけど)、自分の面白さを加速させてくれました。

books199「運命の人(第1巻)」山崎豊子著(文春文庫)

2011年01月26日 22時07分00秒 | books
運命の人(一) (文春文庫)
山崎 豊子
文藝春秋

先日知人から、この「西山事件」発生当時、毎日新聞でリアルタイムに事件を見聞きしたと伺い読み始めました。
アマゾンの単行本第1巻の「凱晴」さんの書評を読むと「しかし、難点は西山の沖縄時代で終わっていること。西山は2005年に国家賠償請求訴訟を提起し、控訴、上告した。それも棄却されると2008年には外務省と財務省に対して外交文書の情報公開を求めている。」とあって、
ウィキペディアの記事を読むと「2010年12月7日 - 外務省、5月に決定した「作成後30年経過した文書は原則公開」の規則に基づき、沖縄返還や60年安保関連の外交文書を22日に公開することを決定。公開された文書により、“アメリカ政府が負担すべき米軍基地の施設改良費6500万ドルの肩代わり密約”が存在していたことが判明。」とあります。今まだ動きつつある事件なんですね。
第1巻だけを読んでは分かりませんが、こうした背景を踏まえて読むととても楽しめます。

books196「無文字文化の歴史」川田順造著(岩波現代文庫)

2011年01月03日 21時32分14秒 | books
無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に (岩波現代文庫)
川田 順造
岩波書店

読売新聞の以下の記事を読んで、すかさずアマゾンで注文、一気に読みました。
読売新聞2009年3月10日(火)夕刊より
『生老病死の旅路●川田順造さん』

■人類の右往左往 長い目で


 初めての「異文化体験」は16歳。千葉の山村で1年間、他人のなかで暮らしたのです。病弱で高校を1週間で退学した後のことで、体を鍛えようと、親に頼んで知人の家に住み込ませてもらいました。農作業を手伝ったり、山仕事をしたり、東京下町育ちの私が知らなかった体験ばかりでした。
 見聞きするすべてが珍しく、炭焼きの話、日雇い稼ぎの道楽爺さんの一代記、硫黄島の戦いに生き残った青年の話など、夢中になってノートに書き付け、何冊にもなりました。「聞き書き」の初歩をやっていたのですね。
 山で本をむさぼるように読みました。デカルトやルソーからは、「他者」とのかかわりについての考え方を学びました。後に幻滅することになるベルクソンの「科学的」人間論も、大学で生物学から文化人類学に進んだことにつながったと思います。
 大学には行かなくてもいいと思っていたのですが、山村暮らしで健康になっだので、高校の教科書を買って自分で勉強し、大学入学資格検定を受け、翌年東京大学理科二類に入りました。後期課程で、教養学科にできたばかりの文化人類学分科に進み、日本民俗学を学んだあと、日本と違うところに行きたいと思いました。
 パリ大学に留学し、そこから現地に入りました。博士論文のテーマは、サバンナに生まれたモシ王国の形成過程です。朝から40度を超すこともある猛暑、電気も水道もない、強烈な「異文化」での生活。村々を訪ね歩き、彼らの価値観や歴史意識を理解しようとする、そんな体験の連続でした。
 文化人類学は、取るに足らないと思われることでも、質的に深く追究して、人類全体に通じる意味を探る学問です。サバンナの無文字社会から、私たちの歴史意識全体を見直す契機を引き出すことができるのです。
 アフリカで通算9年暮らし、フランスでも、講義や地方での調査などで9年間生活しました。日本を考える時はフランスとアフリカを参照点にするというふうに、3地域の二つを参照点にして、他の一つを考えることが習い性になりました。地測の三角測量にならって、「文化の三角測量」と呼んでいます。今の地球時代には、従来の東西比較に、南の視点も加えた文化の理解が大切だと思います。
 アフリカ奥地では、自動車事故で即死寸前の体験もしました。胸のなかに大量の血が溜まって、高熱のまま何日も放置されました。死の恐怖はなく、元気になって調査を続けることしか考えなかった。40歳で若かったんですね。
 文化人類学が、何の役に立つのかと聞かれることがあります。けれども役に立つとは、その時々の社会や政治の要求に左右されやすいということ。人類という長い目と広い視野から、私たち自身の右往左往を是正する学問が必要ではないでしょうか。
 好奇心が強いので、毎日やりたいことがふえて行きます。学べば学ぶほど、自分の無知を思い知らされるからです。
 「道は遠い。だが、まだ日は暮れていない」といつも言い聞かせながら、自分にのこされた、この世にある時間を生きたいと思います。
(聞き手・泉田友紀、撮影・林陽一)

■豊かな人脈築く誠実さ
 川田さんは、幅広い交流でも知られる。東大受験前に英文学者の小田島雄志氏に英語を習い、学生時代には、志賀直哉氏や柳田国男氏の自宅で談論を交わし、パリ留学時代にはレヴィ=ストロース氏に師事………。豊かな人脈に驚くと、「誠実に接すれば、きちんとこたえてもらえるものです」という言葉が返ってきた、その同じ態度で、アフリカの人々に接してきたのだろう。だからこそ、彼らは遠い異国の学者に心を開いてくれたのだ。そう、感じた。


・川田順造さん(かわだ・じゅんぞう)
 1934年東京生まれ。文化人類学者。アカデミー・フランセーズ大勲章、フランス政府文化功労章、紫綬褒章などを受章。著書に『無文字社会の歴史』『人類の地平から』『文化人類学とわたし』『文化の三角測量』など。

僕は「13.歴史伝承の『客観性』」にろう者の歴史に重なる問題を感じました。
ちょっと長いですが、引用します。
一言でいうと音声文化の「文字」によってでなく、ろう文化の「手話」により伝承されてきた歴史こそがろう者の歴史を真に語るものであるという考え方です。
そして聴者である私がろう者の歴史とどのように「共に歩む」ことができるのかについても重要な示唆を与えてくれている。そのキーワードが『触媒』。私も手話通訳者養成やウィラブパンフ運動に関わる中で『触媒』として何か役に立つことができたら幸いであると考えている。

■13 歴史伝承の「客観性」(119ページ)
 それでは、歴史伝承の「客観性」とは何だろうか。(中略)
 十五世紀のポルトガル人をはじめとするヨーロッパの探検航海者が、「歴史のない暗黒の」アフリカを「発見」して以来、ヨーロッパ世界の勢力拡大にともなって、「観察され」「客観的に叙述された」アフリカの無文字社会の歴史は、ヨーロッパ世界を中心にひろげられた歴史の周辺部分をなしてきたといえる。アジアやアメリカ大陸の諸文明を、西洋文明と共通の場でとりあげているかぎりでは、単なる西洋史よりは包括的なトインビーの歴史研究でも、トインビーの価値観によって「未開」という「種」から「ほんとうにちがった種」として区別された「文明」という「種」が研究対象となっているので、「文明」をとりかこんでいた、そしていまもとりかこんでいる、人類の広大な未開部分は、視野に入れられておらず、せいぜい「文明」の底辺として、ごくまれに参照されているにすぎない。トインビーが、彼の歴史研究で「未開社会」を除外した理由にあげている、「未開社会は数は多いが、比較的短命である」(TOYNBEE,1935,1:148)というようなことが、いったいどのような根拠で一般論としていえるのかについても、私は疑問を抱かざるをえないし、「原住民」を、地方の動植物相の一部のようにみることを戒めている(Ibid.:152)点では、彼が「近代西洋の観察者」にしては、さめた心をもっていることは確かであるにせよ、「既知の」未開社会(Ibid.:148)などと、さりげなく書いてもいるのである。西洋の学者が、「既知の」ということばを使うさりげなさは、同じ大ブリテン人であるナデルが、「われわれ観察者」の規準を「客観的」で「普遍的」と考えるさりげなさと相通じるものがあり、またそれは、コロンブスがアメリカを「発見」したと平気でいう、大部分の西洋人や、そうした歴史観を西洋の学問と一緒にうのみにしてあやしまない、われわれ日本人の多くの自称知識人の考え方にも通じているのである。
 こういったからといって、私は、アフリカの無文字社会の上にまでおしひろげられた、西洋中心の、それも近代以後の西洋を中心とする尺度で西洋の過去自身もはかりなおした歴史認識が、細部にいたるまで、すべてまちがっていると断定するのではない。そうした断定は、近代西洋中心のアフリカ史の認識が、「客観的」であり「普遍的」であるとするのと同じく、前提ではなくて一つの問題-おそらくその断定にいたる形では落着しない問題-でしかありえないだろう。トインビーやナデルのように、近代西洋世界をそれと異なった諸文明と対比させて検討することに、仕事の上で最も親しんでいるはずの人々にさえしみついているこの西洋中心主義は、十五世紀にはじまる大航海時代以降、ヨーロッパ世界が、他の地域へ勢力を拡大してゆき、それらの地域に対して、ほとんどつねに「見る者」の立場をとって来られたことに由来しているのであろう。そうした勢力の拡張と技術の優越、多くの社会に対する植民地支配の中で獲得され蓄積された厖大な知識が、「見られて」だけいて自己主張を投げかえす手段さえもちえなかった社会のひとつひとつが、黙って抱きかかえてきた知識よりも、参照の体系を構成する上でより豊かで広範囲にわたっていることはまちがいあるまい。また、近代西洋世界による、空前の規模の侵略と収奪を可能にした、武器をはじめとする技術の優越が、西洋世界に、その知的規準を「普遍的」と自認する根拠を与えたこともたしかであろう。だが、近代西洋に視点の中心をおいた自称「世界」史が、いろいろあくどいことをやりながら立身出世した有力者の自叙伝でないかどうかを、しつこく疑ってみる必要があることも、またたしかなのである。
 こんな当然のことさえ、私にとって、身にしみてわかるのには、アフリカでの何度かの生活や、この問題が一種の極限状態であらわれる、パリ大学のアフリカ史セミナーでの体験が必要だった。故国の歴史を学ぶために、旧宗主国のフランスまで来て、フランス語の本を読み、フランス人の教師から教えてもらわなければならないアフリカの学友たち-かれらは、祖先からうけついできた郷土の生活感覚では、どうしても肯定できないような解釈をフランス人のアフリカ史の権威から「教え」られても、その反撥をうまく表現するすべさえしらず、たどたどしく反駁を試みても、たちまち圧倒的に巧みなフランス語で、かずかずの「客観的」な資料をあげてやりこめられ、不服をかみころして沈黙してしまうほかはないのだ。こうした場面にいあわせたり、かれらのやりばのない憤憑(それでもかれらはフランスで「免状」をもらって帰国しなければならない羽目におかれている)をうちあけられて、私まで焼きごてをあてられたような痛みを胸に感じたことが何度あったことか。しかも、こういう経験をした学生もアフリカの故国にかえれば、まちうけていた「要職」に就いて、いつかその生活のなかに埋没してしまい、初志をつらぬいて祖国の歴史研究をつづけることは、きわめてまれなのである。
 私は、一見本書の主題からはずれているようにみえることに言葉をついやしすぎたかもしれない。だがこうした学問以前の状況(いまのべたことはそのごく一部にすぎない)が、アフリカの無文字社会の歴史研究の本質にも、実はふかいかかわりをもっていることは、どれだけ強調しても、しすぎることはないのである。
 文字がなく、歴史もない暗黒大陸の熔印を押され、ただ「見られる者」として生きることしかできなかった黒人アフリカの人々が、自分たちも世界のなかにたしかに主体的に存在しているのだということを主張した「ネグリチュード」(黒人性)の思想運動の発端は、一九三〇年代にさかのぼるが、主唱者サンゴールの思想が次第に歴史性を無視した文化の人種決定論に向う一方、アフリカの歴史家たちが実際に発表した歴史研究は、たとえどれほど戦闘的な装いをこらしていても、よくみれば結局、既成の歴史上の価値観の枠のなかで、既成の権威を支えにしながら、ヨーロッパ文化に対するアフリカ文化の位置を相対的にひきあげようとしたにすぎないという感のあるものが多かった。古代エジプト文明が、西アジア高文化の影響によってではなく、黒人アフリカの文化を基盤にして成立したという議論(Diop,1955)や、中米の謎の古代文化オルメカ文化をつくったのはアフリカから大西洋をこえて渡って行った黒人であるという説(MVENG,1967)。黒人アフリカ社会は無文字社会だとヨーロッパ人はいうが、ヨーロッパでも、学校教育が普及するまえには、文盲が多かったではないかという、ヨーロでハ文化の相対的なひきおろし(Ki-Zerbo,1969)など、いずれも地道で綿密な基礎研究のつみかさねの成果というよりは、傾向性のつよい性急な主張という性格のものであるだけになお、既成の価値の権威にすがろうとする基本姿勢の弱々しさがめだつのである。
 他方、デヴィドソン(Davidson,1959)に代表される、ヨーロッパ人の「アフリカびいき」による「アフリカの再発見」-アフリカの過去にも、かずかずの立派な大帝国があった、だからアフリカ人も、それほどひどくヨーロッパ人に劣っていたとばかりはかぎらない、といった種類の議論-があり、アフリカのインテリも好んでそれを口にするが、つまりは、ヨーロッパ人の尺度で、かれらに「再発見」されているにすぎない。大帝国など、なければなかったで結構ではないか。人間による人間の搾取の組織を発達させたことのない歴史があったとすれば、その方が、はるかに誇るにたる歴史ではないだろうか。ピカソなど二十世紀初頭の一部の西欧の芸術家に、アフリカ彫刻がどれだけ影響を与えたかという、人々の耳にたこをこしらえた話も、アフリカの芸術家がそれをアフリカ芸術の評価のささえとして援用するなら、それは裏がえされたヨーロッパ中心主義にほかなるまい。「白人に発見された、おどろくべきアフリカ黒人芸術」の強迫観念から自己を解放しないかぎり、新しいアフリカ芸術の創造はありえない(川田、広富)ように、「再発見された暗黒アフリカの輝かしい過去」の呪縛心、アフリカの歴史の探究を、むしろゆがませる役割しかはたさないのではないだろうか。
 このように筆をすすめることによって、私は自分の足もとも掘りくずしていることになる。私自身、アフリカの人たち、モシ族の人たちにとって、一介の外来者にすぎないのだから。だいいち「無文字社会」について、ながながと文字を書きつらねること自体、私の属する文化の存立の意味を、根本的に問うことではないか。モシ族の事例を中心に。アフリカの無文字社会の歴史を検討する者としての、一外来者である私は、欧米の研究者たちの研究成果をできるかぎり参考にしてはいるが、それらがそのまま「客観的」で「普遍的」な歴史資料になりえないことは、前章までの検討を通してもあきらかなことである。私は外来者として、モシ族のさまざまな王朝や異なる階層や、モシ族と類縁関係をもつ諸族の人々のなかに、その人たちにとっても十分対象化されずに潜在している歴史を、たが
いに比較し、関連させ、私の仮説的な解釈をふたたびモシ族の人たちにもどして考えてもらうという作業を気ながにつづけながら、かれらの歴史を顕在化する触媒の役割をはたすことができたら、と思う。このようにして顕在化されたモシ族の一部の歴史は、さらに大きい単位の歴史となるための、他のアフリカ社会の歴史との比較の可能性を帯びることになるだろう。だが、こうした作業を通じてあきらかにされた歴史は、「客観的」歴史とよぶことができるだろうか。
 モシ族の歴史を顕在化する触媒としての役割をはたそうとするにせよ、私は彼らと異なる文化に属する外来者としての立場をはなれることはできないだろうし、アフリカの歴史や社会について、これまで欧米の学者が行なってきた。モシ族の人たちの知らない研究の一部を、私は学んで知っている。だが。モシ族の社会の中で私か異物であるからこそ、私は触媒としてはたらくことができるのではないだろうか。また、私の異質性も、かれらの歴史を探る上での視点も、決して不変の、固定したものではなく、モシ族社会での生活経験や彼らの歴史を学ぶ作業を通じて、変化してきており、これからも変化してゆくにちがいない(その意味では、私は、化学でいう、反応の中でそれ自身は変化しない触媒ではない)。同時に、私の作業が、私の視点からだけ一方的に枠をあてはめて歴史を再構成しよ
うとするものではないとはいえ、モシ族の人々と私との解釈の往復運動を通じて、モシ族の人々の歴史意識にも、ささやかではあれ、変化がおこることは当然であり、事実おこっている。

books195「日仏カップル事情-日本女性はなぜモテる?」夏目幸子著(光文社新書)

2010年12月27日 23時53分02秒 | books
日仏カップル事情 日本女性はなぜモテる? (光文社新書)
夏目 幸子
光文社

12年前に亡くなった3つ年上の姉は、お茶の水大学仏文科4年の時(1979年?)に朝日新聞の「コンクール・ド・フランセ」に優勝?してその副賞でフランス・グルノーブルに2年間留学(その頃はこんな豪華な副賞が付いていた!)、その間に早稲田大学仏文の彼氏を振って、フランス人のM.G.さんと仲良しになって帰国し、2年後くらいには結婚して渡仏しました。あれ?でも一人目のA君は三軒茶屋生まれだったから、最初はM.G.さん(当時ファジー理論の研究者)の方が日本に仕事をこさえて東工大に留学して来たんだったかな。そんな事情もあって読んでみました。
先日「ダーリンは・・」を読んだばっかなのでミーハーな内容かと思っていたのですが、なんか著者の「気合い」を感じる本でした。特に「第5章 これからの女と男」で書かれている「文化的相対主義という大義名分のもとに女性差別を容認する政治家」は勉強になりました。フランスでイスラム教のスカーフ着用が禁止されたという記事を読んだとき、私もどういう風に理解したらいいのかちょっとよく分からなかったので、そういう視点なんだと納得できました。

books194「就活のバカヤロー」企業・大学・学生が演じる茶番劇(石渡嶺司・大沢仁著)光文社新書」

2010年12月15日 22時40分45秒 | books
就活のバカヤロー (光文社新書)
大沢 仁,石渡 嶺司
光文社

2008年11月20日に初版が出た本なんですが、アメリカのリーマン・ブラザーズが破綻したのがその直前の9月なんで、ちょっとタイミングが悪かったようです。というのはこの本は就職戦線がほんのつかの間の「売り手市場」だった社会情勢を元に書かれているからです。
その後世界経済が急降下し不況となって一気に「就職氷河期」がやってきてしまいました。
「バカヤロー」なんて言えた時代が懐かしいって感じです。
今就活中の学生さんには見向きもされない一冊なんだろうなぁ~ブックオフで105円だったし。

books193「ダーリンは外国人」小栗左多里著(メディアファクトリー)

2010年12月10日 22時07分10秒 | books
ダーリンは外国人―外国人の彼と結婚したら、どーなるの?ルポ。
小栗 左多里
メディアファクトリー

このシリーズ累計300万部売れてるとのこと。私が秋葉原のブックオフで500円で買ったのもナント61刷!どうにも理解できん。映画化もされています、って知らなかったのは私だけのよう・・・。
そもそも「コミックエッセイ」なるジャンルがあることも初めて知った!ブックオフでも、私がいつも行く本屋さんでも、ホントだ確かにそういうコーナーがあったのだ。しかもかなりいい位置。
漫画とのコラボレーションっていうと私なんかは現代書館の「for Beginner」シリーズを思い浮かべてしまうので、「ダーリンは外国人」なんて、なんじゃこれっ!状態です。バス片道で読めちゃうよ。中身スカスカじゃん! 文庫で50ページくらいの文章で880円で300万部かぁ~、いいなぁ~印税。

books192「希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想」古市憲寿著(光文社新書)

2010年12月10日 00時23分29秒 | books
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿,本田 由紀
光文社

ちょっと事情があって、ピースボートのことを知りたくて購入。
とっても面白いです。ちょっと今あれこれ忙しくて、いつものようにゆっくり「抜き書き」してる時間がないので、とりあえず「今時の若いやつは何を考えておるのかワカラン!とお嘆きの貴兄にお奨めです」とだけ書いておきます。

books190「ことばと思考」今井むつみ著(岩波新書)

2010年10月29日 23時07分21秒 | books
ことばと思考 (岩波新書)
今井 むつみ
岩波書店

いつも立ち寄る本屋さんで発見。帯には『異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!-最先端の審理実験に基づく、科学からの回答』とある。
私がこの本を読んで考えていたのは、聴者にとっての「手話言語の空間・動き・時間・認識」の困難さのことだ。
いつも手話の読み取り学習をやると感じるのだけれど、手話を読もうとしたら口型からの情報を「認識」しつつも、眉毛の上下、うなづきだ、上体の前後だ、などと空間認識にすぐれた能力が求められる。しかしそもそもそうした「三次元の言語を説明」しようという「言葉」がないのだから困難を極める。
まして「空間には基準となるスケール」がない。つまり「身体の斜め前」といっても具体的には①「手首」を、②身体の右45度に、③胸の高さで、④右胸から30センチ話した位置で・・など空間に固定された手話の動きひとつ表すのもたいへんだ。
さらに⑤手の形も様々だし、これに⑥動き(移動)が加わったらホントお手上げだ。
モノとモノの間の関係については、どこにも明確な境界線がない。私たちが存在する三次元の空間上に、空間関係をカテゴリー化するための線など引かれていないのだから。(121ページ)
音声語は一本の線のように文字で書くことができるけれど、手話の場合には例えば身体の周りに三次元の座標軸を引いて、その軌跡をグラフのように示さないと「記録する」ことができない。まして、さっきも書いたようにこれに「時間軸」(左右の手の動きの順番や時間的な「間(ズレ)」の有無)が加わらないと実用的な「記録(記述)」にはなり得ないのだから、「手話文字」がなかなか発明されないのは仕方のないことだと思うし、学習者が指導者の模範どおりにシャドウイングできないのも、そもそも指導者から示された「手(非手指動作を含む)運動の軌跡」を、正確に受け止めることができてない(だって聴者の頭の中に「記録する」方法がない)のが大きな原因じゃないかと感じる。
言語が子どもにもたらすものは、単にコミュニケーションの手段にとどまらない。子どもは言語を学ぶことで、それまでと違った認識を得る手段を得、思考の手段を得るのだ。(182ページ)
言語は、私たち人間に伝達によってすでに存在している知識を次世代に伝えることを可能にした。しかし、それ以上に、教えられた知識を使うだけでなく、自分で知識を創り、それを足がかりにさらに知識を発展させる道具を人間に与えたのだ。(183ページ)

ここを読んで手話による教育の大切さを改めて感じました。特に「教えられた知識を使うだけでなく」ってところはとっても重要じゃないでしょうか。「教える」だけが教師の役割でなく、ろうの子ども自身が「創り出す力」を育むことが教師の仕事ですよねぇ~。
私たちが見て認識するのは注意を向けたものだけである。一般的に私たちが「見た」と表現している行為は、実は「注意を向けて認識した」という行為に他ならないのだ。(191ページ)
筆者はこれらの様々な歩き方に使われる(英語の)動詞を覚えるのに非常に苦労し、いまでも数個の動詞しか思い出すことができない。これは、これらの動詞が使われるのを聞く度に「よちよち歩く」「よろめきながら歩く」など、無意識に日本語に直してしまい。日本語に直した時点で、「歩く」としてしか記憶に残らないせいではないかと思う。(217ページ)

ほんとそうですよねぇ~。手話の読み取り学習やってるとつくづくそう思います。
(表現されているのに)見るべき手話(非手指動作を含む)が学習者に見えてこないのは、そこに注意が向かない(指導者がそこに注意を向けさせていない)ことに大きな問題がある。全日ろう連の示すテキストにはそうした非手指動作を含む「注意を向けさせるべき点」への指導が理論づけられてないように感じる。それはいわゆる「基礎」テキスト(入門の次)のカリキュラム(指導内容)の問題だと思うし、あそこが一番ろう者にとって違和感(指導上の壁になる)ところじゃないかと思う。「基礎」カリキュラムが「日本語の意味をつかんで日本語で翻訳して手話を考える」という発想に立つ限り、この問題(壁)は解消しないと思う。
外国語と母語での世界の切り分け方を意識的に理解することは、外国語の熟達にとって重要だ。(218ページ)
いわゆる「手話独特の表現」なんて紹介されている日本手話単語は、こうした「切り分け方の違い」を一緒に理解しないと意味をつかめない、全然使いこなせない。
子どもは、母語の情報処理を効率よく行うことができるよう、母語にとって関連のある情報には注意を向け、関係ない情報には注意を向けないような情報処理システムを、非常に早い段階から作り上げる。(218ページ)
母語と外国語における語の非対応に気づかない、ということのほか、外国語で必要な情報に自動的に注意が向けられないことが、外国語学習の難しさの原因になっている。(218ページ)

読み取りというと手の動きと口型だけで手一杯なのに「まゆ」だ「あご」だ「うなづき」だと『こんなにたくさんの情報いっぺんに読み取れるわけな~い!』ってことがありますが、実は「無駄な情報ばっかり必死見ていて肝心な情報をスルーしている」てことなのかもしれませんねぇ~。
この先生の講演、聞いて見たいです!