かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
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お墓調査 その4:蓮華からスリンへの変遷

2011-07-27 15:38:38 | 田舎の歴史
竿石と上台石との間にある「スリン台」が、「蓮華台」を簡略化したものだということは前々回書いた。
スリン台の四隅にある“とんがり”が“蓮華”を究極に擬した形ではなかろうか、と思うのだが、本当のところはわからない。
ならば、蓮華からスリンへどのように変化していったのであろうか?


これは江戸時代後期の蓮華台である。

地区の共同墓地を見ていったところ、文政・天保(1818~1830年)頃から、竿石の下に蓮華台を作るようになったようだ。
もっとも、それ以前のものにも蓮華台があったが、移転などで紛失してしまった可能性は否定できないが・・。
とはいえ、この蓮華台は、それ以降明治時代の終わり頃ないしは大正初期までほとんどデザインを変えていない。


【明治44年】

ところが大正4年なると、下の写真のような形状のものが登場する。


蓮華台の上半分(竿石直下)は四角(板状の直方体)になり、下半分(猫足台の直上)にかすかに“蓮華”の形・名残が見てとれる。
このありようを見た時、蓮華からスリンへの移行が理解できたように思う。 
そして、蓮華からスリンへと移り変わっていくのとほぼ時を同じくして、材質が砂岩から花崗岩に交代していくようだ。


とはいえ、同じく大正7年のものでもまだ完全な蓮華もある。


ということは、大正4年~7年ころは、蓮華台からスリン台への過渡期・混在期だったのだろう。

そして、大正10年になると こうなる。


こうなると、“蓮華”の形状は読み取れず、
現代の「スリン」に近くなっている。
しかし、今の「スリン」と異なるのは、直方体部分の四隅に“とんがり”がほとんどなく、
下側にわずかにとんがりがある程度である。
これは、四隅の“蓮華”の形状のみを残したように見える。
また、大正10年ではスリンの斜め部分が膨らんでいるが、
大正13年のものは、逆に細くなってくる。


そして、昭和になってからも基本的な形状は引き継がれるようだが、スリンの直方体部分が薄くなってくる。


そして、下側にほんの少しとんがりがある。

昭和14年になると、上下ほぼ均一に少しとんがってくるが、まだ控えめである。

【昭和14年】

そして、昭和20年代後半になると、四隅は上下に完全にとんがってくる。

【昭和28年】

こうして、昭和年代後半になると益々とんがりが強調されてくる。

【昭和44年】

こうなってくると、台石だって黙っちゃいない。 
こちらもとんがってくるのである。


はてさて、今後どんな進化をとげるのであろうか? 

※ここで紹介した墓石の年代は、昭和14年以降のものは建立された年が刻まれているが、
それ以前の墓石は、亡くなった方の死亡年しか刻まれていないので、正確にはそれが建立された年代かどうかは不明であることをお断りしておきます。


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