かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

過ぎ行くお盆に物思い

2011-08-17 14:52:26 | 田舎の生活
お盆が過ぎて行った。

子供の頃、自分なりに“死”ということを理解しようとしたことがある。
たかだか10歳前後のガキんちょが、どう理解しようとしたのか。

例えば友達同士でゲームをしているとする。
人数が多いので、ビリになった人は次のゲームで「1回休み」というルールにする。
そんなある日、“死”とは、この1回休みが永遠に続くことなのだろうと、子供心に理解しようとした。
ゲームでの1回休みであれば、休んでいる間も他の友達がゲームをしている成り行きを眺めていられるし、次には自分も参加できる。
ところが、“死”はその「次に出場できるチャンス」がなくなることだ。
それよりもっと怖いのは、「他の友達がゲームをしている成り行きも観戦できない」ことなのだろうと・・・。
眼も見えず、意識もなくなる。そういう事態が理解できなかった。
そのうち、暗くて、とてつもなく広い宇宙みたいな中に意識のない塵のような自分を想像したようにも思う。
暗闇の中でそれを子供心に思い至った時、身体全体がそれまで感じたことのない何か寒いものに襲われるのを感じた。

それ以来、そのことを想像するたびに結果は同じだった。
やがて、できるだけそのことを考えないようにしてきたように思う。
“死”を理解するのは難しい、いや無理かもしれない・・・と。

今年もたくさんの方々の葬儀・告別式に参列した。
各地で送り火が行われたであろう日に、そんな子供の頃の記憶をふと思い出した。
大人の知恵では、
色即是空 空即是色 ・・ 不生不滅 不垢不浄 であろうし、
千の風になるのかもしれない。
もしかしたら、彷徨っているのは・・、
         定まっていないのは・・・
亡くなった方々の魂ではなく、残された自分たちのような気がする。
そのために“供養”があるように思える。


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