かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

伊能図フロア展 3

2010-08-16 10:53:51 | お出かけ
さあ、いよいよ四国に上陸だ。 
伊能隊による四国の測量は、文化5(1808)年の第六次測量で行われている。


足摺岬周辺
土佐清水市は、学生の頃何度も訪れた。

そして、九州上空から佐田岬半島を望む。 


自分が持っている伊能関連の唯一の単行本では、日本地図が単行本の見開き程度のスケールに縮小されており、眼をこらして我が佐田岬半島を見たとき、どうも半島の先端あたりが正確に描かれておらず、ずんぐりむっくりの形に見えていた。
無理もないか、と思っていた。
そんなこともあり、実物大の地図を見たかったというのもある。
ところが、実物復元の地図を見ると、見事に半島の先端まで地形が再現されている。


   【旧三崎町地域】
正確だ。
海岸近くの連続した赤い線は、おそらく側線だろうと思われる。
「えっ!この急崖岩場続きの海岸線も実測できたの?」と思えるほどの側線だ。
まあ、歴史の表舞台には出ないけれど、地元民の協力(財政面、労働力など)なしでは成し遂げられなかった偉業だろうと思うわけです。

ズームアップして、

我が地区名取周辺である。
ちゃんと「名取浦」と表記されている。
なお、「梶谷鼻」は「梶谷崎」となっている。当時はこう呼んでいたのだろうか?

ところで、当地区を測量したのはいつだろうか?
ということも気になっていた。
会場には、「愛媛県における伊能忠敬の足跡」と題した年表なども展示されていた。





それによると、文化5年7月6日(当時の暦)に八幡浜に到着して、その後半島の測量が行われている。
そして、7月12日に大久(我が地区の隣の地区)に宿泊、翌13日に三崎へ行っている。
名取地区には宿泊しなかったようだ。
しかし、大久-三崎間を1日で測量したというのには驚いた。 
今の地形図で、大雑把にこの間の海岸線を測ってみると、少なくとも17~18kmはある。
実際にはこまかな海岸線の出入りがあるだろうから、20kmを超えるかもしれない。
すごい!

今回の展示会場が伊予市だっただけに、さすがに伊予市、隣の松山市付近には常に多くの人だかりで、なかなかそこを見ることが出来なかった。
こんな感じだ。


写真中央付近の人だかりが松山市周辺。
一瞬の隙を見つけて パチリ!


   【松山周辺】
やっと撮れた。

最後に、九州福岡周辺。



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