かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(62:ネパール再び編-第二十一章)

2009-06-02 10:28:26 | 旅行
-ネパール15・16日目-
7時すぎ頃起きて、シャワーを浴び、その後パッキングをほぼ済ませて、8時に朝食です。

食後、ペワ湖方面への道沿いのバザールへ散策に出かけました。
いろいろなみやげ物がありますが、結局相棒も私も何も買わずです。
9時半頃ホテルに引き返し、最終荷造りを済ませ、10時過ぎにホテルを辞し、すぐそばの空港へと向かいました。
そうしたら、何とランバートルさんが見送りにやってきてくれました。
もう彼の仕事は終わっているはずなので、温かい心遣いでしょう。
ふと、彼の足元を見ると、おニューのスニーカーを履いているではありませんか。
我々のガイドを終え、現金収入があったのでしょう。
ニコニコしておりました。
彼にさよならをしてポカラ空港へと向かいました。

飛行機は、案の定今日もまた遅れています。
予定より2時間近く遅れての離陸です。
待ち時間は長いですが、飛行時間は30分程でカトマンドゥに到着です。

空港へは現地旅行会社のスタッフが出迎えに来てくれていました。
車でホテルまで送ってもらい、翌日の簡単な打ち合わせをした後、相棒と二人で最後の買出しに街へくり出しました。





セーター、紅茶、アンモナイト、本、ポスター、ラム酒 購入。
バザールでの買い物を終え、6時頃ホテルへ戻りました。
ネパール最後の夜だからホテルで食事しようか、と相棒と話していたのですが、結局近くのインド料理店へ行くことにしました。

ところが、この店が思いのほか高く、1品大体80~90Rsが主体でした。
そして、ビールも4本飲んだため、合計906Rs(当時のレートで多分4,000~4,500円くらい)です。

相棒と二人の持ち金が足りません! 
しかも、日本円は受け付けてくれないのです。
仕方なく、我々の宿泊ホテルへ一緒にウェイターに来てもらい、ホテルで2,000円をルピーに両替してやっと払えたしだいです。 
いわゆる“付け馬”状況でしょうか。
はずかしい・・・。

両替の時、ホテルの従業員の顔は、「お前ら どんだけ飲み食いしたんや?!」
というような表情に見えてしまいました。
それでも、部屋へ帰ってから、再び相棒と昼間買ったラム酒で飲み直しです。

そして、酒飲みながらそのまま寝込んでしまい、夜中12時頃気が付いてベッドで寝なおしとなりました。

翌朝は、5時前にモーニングコールより先に朝食が運ばれてきました。
トイレとシャワーを済ませ、パッキングしてから食事です。

簡単に食事を済ませ、旅行会社の車で空港へ送ってもらい、7時頃空港に着きました。
ところが、9時出発予定の便が12:40に変更になっております。
またか! 
ネパールでは予定時間通りに事が進むということはほとんどないのです。

とはいえ思えば、半病人状態でのトレッキング スタートでしたが、幸い翌日からはなんとか体調が回復し、無事にトレッキングを続けることができ、ヒマラヤの山々に圧倒され、とても楽しい時間を過ごすことができました。

こうして、私のネパールへの憧れは決定的なものとなったのです。

「さようなら ネパール。また来るね!」


【空港建物から外を見る】

時間は大幅に遅れたものの、無事ネパールを飛び立ち、経由地のバンコクに夕方5時前(タイ時間)到着です。
その後は、夜中にバンコクを出発して、その翌日成田に帰ってきました。

あっ そうそう。私の相棒ときたら、ネパールで喋った英語は「ハウ・マッチ」だけなのです。
恐るべしデス。 

   ≪完≫

 本日もご訪問ありがとうございます。

次回はイタリア編です。