goo blog サービス終了のお知らせ 

サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

暴れん坊/浜田幸一(元衆院議員)/83歳

2012年08月05日 | 毎日がメメント・モリ

浜田幸一元衆院議員が死去=「ハマコー」「暴れん坊」の異名

時事通信 8月5日(日)11時46分配信

 元自民党衆院議員で奔放な言動で知られ、「ハマコー」の異名を取った浜田幸一(はまだ・こういち)氏が5日午前、千葉県富津市の自宅で死去した。83歳だった。千葉県出身。自民党の浜田靖一(やすかず)元防衛相の実父。通夜は9日、葬儀は10日に富津市西大和田1334の1の天昇閣で近親者のみで執り行う。喪主は長男靖一氏。
 旧富津町議、千葉県議を経て、1969年の衆院選で旧千葉3区から出馬し、初当選。当選7回。自民党副幹事長、衆院予算委員長を歴任した。80年には米ラスベガスでのカジノ賭博疑惑で議員辞職に追い込まれたが、83年に復活当選。歯に衣(きぬ)着せぬ発言や特異な振る舞いで「政界の暴れん坊」とも呼ばれた。
 93年の政界引退後も、テレビ番組に出演し、著書がミリオンセラーになるなど幅広く活動した。2010年には借金の担保に差し出した株を無断売却したとして背任罪で起訴され、無罪を主張していた。 

ハマコーは、すぐ頭に血が上り、「暴れん坊」として周囲に喝采も浴びたし、嫌われたり敬遠されたりもした。それが一般評価なのだが、僕にはハマコーのパフォーマンスはいつもとても計算づくであったように思う。

「木更津のダニ」と呼ばれ喧嘩にあけくれた日々、傷害で実刑判決、服役後に頼ったのが稲川総裁。そこで児玉を紹介され、小佐野のもとで商売を勉強し、国会議員になってからは、笹川や町井を後援者にしている。
どこかで、日本の黒幕たちに可愛がられる資質を持っていたのだろう。
青嵐会で暴れ、国会予算委員会で数々の舌禍事件もおこし、ラスベガスで一晩で4億5000万をすった話は伝説化し、殴打事件もおこしたりして政界引退表明となった。

その後の執筆活動や、バラエティでの活躍はいうまでもない。

日中友好などで田中角栄と激しくやりあったが、角栄も人心掌握術に関してはハマコーを高く評価していた。自分との共通点を感じたのだろう。

日本の黒幕たちに可愛がられたのは、利用した利用されたというよりは、黒幕たちがどこかで持っている浪漫主義や愛国主義や一家主義といったものを、政治やメディアやパフォーマンスの世界で、その分身のような役割を表現してきたことによるかもしれない。
晩年は、嬉々として、twitter発信もしていた。

もちろん、小インテリである市民主義的民主主義あるいは公共概念からみれば、ハマコーは時代遅れの虫唾が走るやくざまがいの旧弊人間ということになる。
時々は、若い子達から見れば、きもかわいい親父のようにバラエティではみえていたかもしれない。

しかし、1928年生まれのハマコーは、やはりどこかで戦中派の生き残り組みである。
中学三年で予科練の試験を受けているが、特攻隊での生死と紙一重であったかもしれない。
そこから、戦後の獣のような愚連な日々に入り込んだ。

著書を通じて、いろんなことを暴露していたように見えるが、本当のところはもっともっと裏の話にがんじがらめになっていただろう。
そのほとんどは、墓場に持っていくことになった・・・合掌!








 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿