サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09366「マンデラの名もなき看守」★★★★★★☆☆☆☆

2009年05月31日 | 座布団シネマ:ま行

南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラの“囚われの27年間”にスポットを当てた感動作。政治活動家として刑務所生活を強いられたマンデラと、彼との出会いによって社会を見つめ直す白人看守グレゴリーの交流が描かれる。監督は『ペレ』のビレ・アウグスト。マンデラを人気ドラマ「24」のデニス・ヘイスバートが、グレゴリーをジョセフ・ファインズが演じる。存命中の人物を魂を込めて演じたデニスの熱演と、知られざる感動秘話が堪能できる。[もっと詳しく]

たったひとりの「ミトコンドリア・イブ」をイメージしながら・・・。

ネルソン・マンデラが6年にわたる南アフリカはじめての黒人大統領の任期を終えたのは、99年のことである。
ちょうど、この頃のことなのだが、「南アフリカ・日本文化スポーツ交流協会」というNPOが設立され、僕も設立時の理事で名前を連ねたのだった。
もともと、このNPOの提唱者が、映像関係の人間なのだが、何度も南アフリカを訪れていた。
80年代のことなのだが、マンデラが党首であるANC(アフリカ民族会議)が反アパルトヘイトの武装闘争を続けていたが、白人側からは苛酷な弾圧を受けていた。
世界は、露骨なアパルトヘイト政策をなりふりかまわず続ける南アフリカの権力層に対して、制裁措置をとるなどのカウンターを行使したが、民間レベルでもさまざまなANC支援の活動が巻き起こった。
知人のNPO提唱者は、この地下支援装置のひとりであり、投獄寸前の活動家の亡命の世話をしていたのである。
残念なことに、提唱者が身体を壊したこともあり、このNPOの活動自体はほとんど実体がない。



恥ずかしい話だが、理事の任を受けながらも、僕は南アフリカを訪れたことがなかった。
しかし、いまでもそうなのだが、僕が一番訪れてみたい国は、南アフリカなのである。
ヨハネスブルクの近代的な都市を仰ぎ見たいし、世界でもっとも美しい岬といわれるケープタウン・喜望峰から直下の海を覗き込みたい。
あるいはアフリカ最古の部族によって4000年前から実に100年ほど前まで描き続けられたという数万点といわれる洞窟に彩色された「岩絵」にもわくわくするし、都市近郊に忽然と展開する野生動物の自然保護公園で豊穣な動物たちと自然の交歓を観察したい。
現在は世界文化遺産として保存もされているこの映画に登場したロペン島の政治犯が隔離された刑務所跡も体験したいし、もうすぐのワールドカップもそうなのだが、熱狂的なサッカーファンが10万人以上も押し寄せるという巨大サッカー場の熱狂も味わいたい。



南アフリカのガイドブックや写真集を見ながら、そうしたミーハー的な観光客気分で、いつもため息をついているのだが、本当はもっともっと訪ねて見たい理由があるのだ。
それは「ミトコンドリア・イブ」とよばれるロマンチックな仮説なのだが、現代人は全て、20万年前アフリカにいた一人の女性の子孫とする「イブ仮説」という学説にとても魅かれるからなのだ。
1987年米カルフォルニア大のアラン・ウイルソンと同僚レベッカ・キャン、マーク・ストーンキングは
「人の細胞内の小器官ミトコンドリアの遺伝配列の違いを世界の様々な人種と比較して計算した結果、現代人は約20万年前アフリカのたった1人の女性から生まれた」とする学説を発表したのである (旧約聖書の話から「イブ仮説」と呼ばれている)。
それ以降の研究で、この仮説は揺らいでいるのかもしれないが、この学説を聞いた当時、僕はその集団が南アフリカにあったのではないかという話とともに、たったひとりの母系の祖をその地で、感覚してみたいというなんとも雲をつかむようなイメージにすっかり虜になってしまったのである。
もちろん、「たった一人の女性から全人類が生まれた」というのは大いなる誤解であり、「すべての人類は母方の家系をたどると、約15~30万年前に生きていたひとりの女性にたどりつく」という理論上の話であることは分かっているのであるが、僕の頭の中では、南アフリカの大陸にすくっと立つ「全人類の母なる存在=ミトコンドリア・イブ」の造形が植え込まれてしまったのである。



話を『マンデラの名もなき看守』という映画に戻そう。
この作品は、ネルソン・マンデラの生い立ちや弁護士となった青年時代の革命家の誕生を描くわけでもなく、1948年法制化された「アパルトヘイト法」に対するANCなどの解放闘争を描くわけでもなく、獄中から解放され94年の総選挙で大統領に選ばれノーベル平和賞を受けることになったその後のマンデラを描くわけでもない。
ひたすら27年間にわたる投獄生活(終身刑を宣されていた)の過程で、ひとりの「名もなき」看守と出会い、友情を育んでいく時間を描いた作品である。
実話をもとにしており、ネルソン・マンデラ自身が映画化を許可したといういわくつきの作品なのだが、マンデラと看守という地味な設定がとても成功しているように思える。



ジェームズ・グレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は身分の低い一介の小役人に過ぎないが、たまたま少年時代の生い立ちから地元民のコーサ語に精通しているという理由で、ロペン島に囚われているネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)の看守に任命される。
裏を返せば、母国語による会話を盗み聞いて、あるいは差し入れられる手紙などに注意を払って、マンデラらの動きを監視(スパイ)せよ!という任務でもある。
グレゴリーもその妻グロリア(ダイアン・グルーガー)も、貧しき白人であり、黒人を蔑視し恐れる「差別主義者」として、教育されてきた。
人権無視の奴隷的環境は、もちろん南アフリカ全体の白人支配(アパルトヘイト)のなかでは貫徹されているが、牢獄の中ではなおのことである。
しかし、グレゴリーはマンデラの堂々とした、静かな、確信を持った語り口や態度に、次第に敬意を払うようになっていく。
そして、自分の職業上の密告によって、マンデラの近親や仲間を死に追いやったのではないかと、悔悟の念を持つようになる。
マンデラに対する幾ばくかの敬意が、周囲からは黒人の味方、テロリスト擁護というように吹聴され、次第に閉鎖的な白人コミュニティからの疎外を感じるようになるのだが・・・。



「憎しみではなく愛」を求めるネルソン・マンデラは弁護士という知識層であるが、アパルトヘイトされた貧しい黒人層に対して「自由」を説き、解放のためには自己犠牲も厭わず、また絶対暴力に対して武装闘争の必要性を訴え、世界に対して主張の正当性をアピールする冷静さを持っている。
アパルトヘイト下では参政権はなく、土地所有も家屋の所有も出来ず、教育の自由も奪われている。
もちろん、生活圏は隔離され、差別(区別)に満ち満ちた世界である。
ネルソン・マンデラの「独立宣言」の(当然ながら配布は禁止されるのだが)、その言葉の格調の高さ、理想の根源性に、グレゴリーは圧倒されるのである。
もちろん、多くの大衆を惹きつけたのは、彼の知性だけではない。



そのカリスマは家族に対してのよき父親としての姿や、大衆の中に寄り添うその清廉さや、なによりアフリカの大地に根ざした精霊的な悠久の時間も、感じさせたからであろう。
いわば身体感覚的なアフリカ的時間と近代的知性を、ネルソン・マンデラという一身に具現化させてみせたのである。
結局のところ、西欧列強による植民地支配の後のアフリカ諸国の民族闘争・独立国家の形成期において、民族同士の大量虐殺や、所詮は部族長が権力を握りファシズム化した独裁国家の長となっていくようなアフリカのこの100年を、ある程度知る者たちにとってみれば、ネルソン・マンデラは少なくとも腐敗・独裁するような部族長たちとは、はるかに遠くの位置にいることが、誰にも感じられるところが、そのカリスマの秘密の一端なのかもしれない。
もちろん、いまにいたるも、南アフリカでは未解決の多くの社会・政治・経済問題に、見舞われているとしても、そしてまた、マンデラ一族も、スキャンダルの嵐を免れ得なかった時期があったとしても、だ。



もともと、ほんとうは一人ひとりの生活者にとって見れば、肌の色や民族の出自の差異で、憎しみあったり、差別しあったり、支配ー被支配という構造に固定化されたりするいわれはない筈だ。
そんなことはどこかでうすうす感じ取ってはいるのだが、歴史や教育や諍いの記憶やということが、無意識の壁となって現れる。
そういう歴史的時間が、現在までも続いている。
グレゴリーも少年の頃は、黒人の友人と棒術で遊んだではないか。
自分と家族の生活的上昇を求めるしかない視野の狭いヒステリー気味のグロリアだって、最後は監獄を出たマンデラに親愛をこめて呼びかけたではないか。
だれにもそういう可能性や契機はあるのに、どこかで閉鎖されたコミュニティは、あるいは自分たちの暮らしにくさから仮想敵を作ってしまわざるを得ない大衆の弱さは、まだまだこの地上を支配している。

いまのすべての地球上の者たちが、たったひとりのミトコンドリア・イブから派生して類を形成していること・・・そのイメージをもし強固に仮想できるとするならば・・・。
僕たちはもう少し、歴史的時間が自分の身体のDNAに連綿と継続しているといった系統樹を思い起こしながら、僕たち自身が無意識に作ってしまうであろうつまらぬ防御壁といったものに、風穴を開けることが出来るのかもしれない。



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10 コメント

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TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-06-02 09:01:01
「ミトコンドリア・イブ」・・・勉強不足で知りませんでした。
なかなかロマンチックですね。
もろ手を挙げて、賛成はしかねますが、素敵です。

若い人には、「アパルトヘイト」という言葉すら知らず、なんだかよくわかんない、という言葉を聞きます。
それはいいことなのか、まずいことなのか、なんとも判断しかねますが、なんでこういうことが起こってしまったのか!ということは、教え続けていかねばと思ってます。

あたしも喜望峰に立って、大西洋とインド洋をこの目で見てみたいです。
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TBありがとうございました (KGR)
2009-06-02 09:47:00
遠い昔のよその国の出来事のように言う人がいますが、
この国だって、ほんの何十年か前には、
階級や性、出自によって差別があり、
人権が無視されていた時代もあるわけで、
決して対岸の火事ではないです。

差別がひどければひどいほど、
それが無くなったときの反動も大きいと思われ、
南アがまだ平和な民主国家とは言い難いのは残念です。

差別政策時代の負の遺産が徐々に解消して、
みんながある程度豊で、安全な国になるには
まだしばらくは時間がかかるんでしょうね。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-06-02 16:35:28
こんにちは。
人類起源説の仮説のひとつですね。
人類の発生はもっと旧いのでしょうが、いまの現代人の系統樹でいくとこういう仮説になるんですね。
でも、ミトコンドリアというのは、女性だけが遺伝させると言うのが、なんだかいいですよ(笑)
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KGRさん (kimion20002000)
2009-06-02 16:37:47
こんにちは。
やっぱり、イギリスとの独立戦争を含めての歴史から見ても100年ですからね。
南アフリカの安定化も、100年単位で見た方がいいように思います。
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TBありがとうございます (zooey)
2009-06-02 20:43:18
次期ワールドカップの開催国として
南アフリカに住んでいる人が、こんな危ない国に来ちゃいけないと警告しているというHPが以前話題になりましたが、なくなっちゃったみたいですね。
私にとっては、やはり”怖い国”というイメージです。

クリント・イーストウッドが、モーガン・フリーマンを起用して、マンデラの新しい映画を作っているとのこと、それも気になっています。
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zooeyさん (kimion20002000)
2009-06-02 22:59:19
こんにちは。
イーストウッドがねぇ。知りませんでした。
僕が好きなシャーリーズ・セロンも南アフリカ生まれですが、一番尊敬するのはマンデラだと発言していますね。
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こんばんは♪ (yukarin)
2009-06-05 00:23:50
「ミトコンドリア・イブ」は知りませんでした。大変勉強になりました!

このお話はまだ最近のことなんですよね。
映画で歴史を知ることが多いのですが、遥か昔のことではないことに驚かされます。
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yukarinさん (kimion20002000)
2009-06-05 00:28:44
こんにちは。

アパルトヘイトの解体も、ベルリンの壁の報告も、ある歴史時間で見れば、直近のことなんですよね。
不思議な感じがします。
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言い訳の映画評 (オカピー)
2009-11-16 18:46:56
kimionさんは★6つですね。

僕は6にしようか7にしようかで、些か迷った末に7にしましたが、自分の中でもひっかかるものがあるので、言い訳がましい映画評になってしまいました。
こんなの初めて。(笑)

こんな僕の採点でも参考にしてくれている人がいるようなので、結構慎重になっていますよ。

いずれにしてもマンデラさんは健在だから、下手なものは作れないですし、そこの若干遠慮気味のところが見えたような気がします。

>ミトコンドリア
は活動的なバクテリアに取り込まれた動きの鈍いバクテリアの子孫らしいですね。
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オカピーさん (kimion20002000)
2009-11-16 19:43:21
こんにちは。

>結構慎重になっていますよ。

オカピーさん、真面目なんだから(笑)

僕なんか、エイヤーてなもんで。
点数低い割りに、一生懸命書いたりしてね。
あんまり、考えてないの。
その日の気分(笑)

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